第17話 芝居

 舞台を観て帰宅するつもりだったが、多村は署へ向かった。すっかり夜は更け、吐く息が白い。コートを着ていても首元が冷えた。マフラーも必要な季節になっていた。手袋をしていない手はコートのポケットの中に入れた。貰ったチラシは丸めてズボンのポケットに入っている。


 夜の電車は空いていたが多村は立ったまま、今しがた目の当たりにした光景に想いを巡らせていた。

 ふと正面を見ると暗い車窓に自分がぼんやり映っていた。コートを着て吊革を掴んでいる。空いた手で髪に触れると、窓の中も髪に触れた。そのままじっと窓に映る自分を見つめていると、急に窓が明るくなって、駅に到着した。


「あれ、どうしたんですか?」

 とっくに退勤したはずの係長を見付け、パソコンに向かっていた当直担当がキーボードを叩く手を止めた。

「ちょっと調べものだよ」と笑顔で掌を向け、多村はあの部屋へ向かった。


 誰もいない暗くて寒い部屋に明かりを点け、エアコンのスイッチを入れた。多村はコートを脱ぐ間も惜しむように、そのまま椅子に座り、冷たい手でDVDを再生した。ラストシーンはビデオテープだったら擦り切れているほど観た。そこにばかり注目していたが、今観ているのは冒頭の部分。


 国村里沙が西野佑樹に妊娠を打ち明けるシーン。ここは実際に舞台でも演じられたが、画面の中は稽古場でスウェット姿。垢抜けない環境もあって国村の演技はどこか不安気で、たどたどしくが見える。滝沢が芝居を止め演技に駄目を出すと、国村はうつろな表情で俯いた。横で西野や古山博美が慰めている。


 多村は映像を早送りし、今度は国村が会田を糾弾するシーンを再生した。

 初めは両手で顔を覆って泣いていたが、古山に促され、涙を流して会田を責め立てる。気弱な女の子が勇気を振り絞った、そう見えた。これは稽古ではなく現実、そう思っていた。


 つい数時間前まで、舞台を観るまで、多村は国村里沙に対して気弱な少女という印象を抱いていた。葬儀の間ずっと俯き涙を流していた姿も記憶している。


 しかし『復讐するは我になし』で男を破滅に追い込む主役の女は、まるで別人だった。舞台上の国村は自信に満ち溢れ、オーラさえ感じられた。主演に相応しい迫真の演技だった。


 正反対といっていい。同じ人間とは思えないほど見違えたが、どちらが本当の国村里沙なのか。普段は気弱な少女が舞台に上がると女優に変わる、そんな催眠術にでもかかっているのか。


―違う―


 催眠術などではない。魔法でもない。


―演技だ―


 全ては演技。この映像の中で、一人の女優が気弱な少女の役を演じているに過ぎない。

 国村里沙は天賦の才を持った女優だからこそ、滝沢はこの、会田を死へ誘う芝居でも大役を任せたのだ。


 エアコンの風が、コートの襟を揺らしていた。

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