第15話 15周年記念

「15周年記念に何かやろうってことになったんだけど、ファンが何を望んでるか。1つしかないのよ。『別れの哀殺』よ。観たことある人にはもう一度観たいって、観たことない人には一度でいいから生で観たいって、何度となく言われたんだから。劇団員も同じ気持ちよ。逢友社といえば『別れの哀殺』、『別れの哀殺』なのよ。それでスポンサーの意向もあって再演が決まった。結構大きな劇場だったんだけど、チケットは前売りの発売日に完売したわ」



 旗揚げ15周年。『別れの哀殺』は初演から5年が経ち、逢友社は円熟期を迎えていた。



「後輩たちも場数を踏んでたしね。再演に向けてみんな気合が入ってたわ。一人を除いてね」



 その一人、会田安宏は苛立っていた。

 会田にとって『別れの哀殺』は汚点でしかなかった。称賛を浴びた作品でありながら、柳田と共に主演を務めた自分は見向きもされなかった。今さら再演するのは、過去の過ちを蒸し返される気分だった。


 再演は拒否したかったが、他に記念公演に相応しいものはなく、避けられないことも分かっていた。嫌でも受け入れるしかなかった。


 15周年記念公演での『別れの哀殺』の上演を発表すると、マスコミが取り上げた。プロモーションの一環で逢友社は取材を受けたのだが、質問は柳田に集中した。柳田優治が出演するからこそ取材に来た訳で、仕方のないことではあったが、会田安宏を知らない記者もいる始末。同じ主演であるのに会田は完全に蚊帳の外に置かれた。


 稽古が始まると、会田は柳田の演技に執拗にダメ出しを繰り返した。



「『映画の芝居が抜けてない』って。『なんでカメラを意識してるんだ』とか『平面の芝居が染みついている』とか、もっともらしいことを並べて。見ているこっちが辛くなるぐらい。止めればよかったんだけど、あんなことになると思わなかったから」


 思い出すのも辛いのか、小林は目を閉じて、首を振った。


「確かに芝居が少し変わったのよ。映画の後にやった舞台でもそれは感じた。自分でも気づいていて、それもあって映画をやめたのかなって思ったりもしたし」



 映画に出演した影響は演技だけにとどまらなかった。慣れない現場は負担もまた大きい。芸能プロダクションに所属していない柳田は勝手が分からなくても頼れる人がおらず、戸惑うことばかりで大きなストレスになった。

 主演ゆえ出番が多く、撮影は早朝から深夜までおよび、睡眠不足に食生活の乱れも重なって心身ともに不調をきたしていたが、余計な心配を掛けまいと周囲に話すことはなく薬を飲んでやり過ごした。


 なんとか撮影を乗り切ったものの、休む間もなく次の舞台が始まった。柳田人気に乗り、逢友社は間を置かずに次々と公演を打った。スポンサーもついた。それも柳田がいるからこそで、観客も柳田目当てに劇場へ足を運ぶのだから休演は許されなかった。

 そこへ、公開へ向けての映画のプロモーション活動が重なった。疲労は抜けず、弱った体をストレスが蝕み、薬の量が増えて精神のバランスも保てなくなっていた。

 追い打ちをかけたのが会田だった。柳田優治は15周年記念公演の初日を迎えることなく、自宅で首を吊った。



「芝居に悩んじゃったのよね。会田に厳しくされたのもあるけど、それだけあの舞台への想いが強かったってことなのよ。そこに疲れとかストレスとかが重なって、あんなことになったみたい。劇団には、会田さんが殺したようなもんだ、っていってる子もいたわ。会田本人の前ではいえなかったけど」

 多村の頭にはまず古山博美が、次に滝沢の顔が浮かんだ。


「私もこの世界で25年やってきたけど、あんな俳優いないの。いろんな役者と共演したけど、あんなに素晴らしい俳優は後にも先にも一人だけ。柳田優治は本当に特別な俳優だったのよ」

 小林の目に涙が浮かんでいるのに気づき、多村は視線を明後日の方向へ向けた。


「滝沢さんや西野さんは、柳田さんに憧れて逢友社に入ったんですよね。彼らはなぜ劇団を辞めなかったんですか」


「あの子たちは特に柳田を慕っていたからね。逢友社に残って、柳田の遺志を継ぎたかったんじゃないかしら。柳田自身が逢友社を凄く愛していたから」

 それと、と言って話を続けた。

「もう一度『別れの哀殺』を上演したいのよ。柳田優治が遺した作品を自分たちの手で。私のところにも何度か頼みに来たのよ、会田さんを説得してくれって、許可してくれないって。結果は見えてるから会田には何も言わなかったけどね」


 会田の前で柳田に触れるのはタブーになっていた。その死の一因が己にあるにもかかわらず。会田の人間性が垣間見られた。


 小林は腕時計に目をやった。

「ずいぶんしゃべっちゃったわね」


 会田の死で懐かしい記憶が甦り、誰かに話したかったのかもしれない。いつの間にか1時間以上経過していた。舞台出身の女優は話しもまた上手だった。


「何が訊きたかったんだったかしら」

 小林は思い出したように言った。大概は訊けたが、肝心なことが残っていた。


「会田さんは、自殺するような人ですか」


 その質問に、小林の顔から笑みが消えた。


「自分のことしか考えない、自分さえ良ければいいってタイプだと思ってたんだけどね」


 含みを持たせた言い方だった。小林も自殺に疑問を持っているのかもしれない。


「自殺に納得いってないの?」

 小林の問いに、多村は微笑を浮かべて首を振った。

「ああいった亡くなり方をしたので、少し気になっただけです」

 そう答えた多村の目を小林がじっと見つめていた。腹を探っているようだった。


「じゃあ、そろそろいいかしら」

 小林は視線を腕時計に戻して言った。


「お話が聞けて参考になりました。ありがとうございました」

 女優をこれ以上引き留めておくのも気が引けた。多村は伝票を取ろうとしたが、それを制して、小林がレジへ向かった。


「色々とありがとうございました」

 多村は頭を下げた。


「それじゃあね」

 小林はそれだけ言ってタクシーに乗り込んだ。


 女優に連絡先を聞くわけにもいかず、多村はそのまま後部座席に見える小林の後ろ姿を見送った。


 多村はビルまで歩いた。7階にはまだ明かりが点いているが、小林の話を整理しきれておらず、日を改めることにした。


 『別れの哀殺』によって逢友社が潤い、専用の稽古場を持つことが出来た。柳田もあそこで稽古に打ち込んだのだろう。

 小林は『別れの哀殺』の初演の頃がもっともいい時代だったと言っていた。であればあの明かりのついた稽古場は、いい時代を知らない。逢友社にとってはあまり縁起のいい場所ではないだろう。


 多村は駅に向かって歩き出してから、もう一度振り返り、明かりを眺めた。

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