第13話 幼馴染

 会田と柳田は幼馴染だった。一人っ子の会田と、弟と二人兄弟の柳田。居酒屋を営んでいた会田の両親と、離婚して男手一つで二人の息子を育てていた柳田の父は、いずれも帰りが遅く、二人は毎晩キャッチボールをして寂しさを紛らわせた。家は貧しく、テレビゲームもない時代だったから遊びはそれぐらいしかなかった。


 夏場はTシャツかランニングシャツに半ズボン。冬は上着は着ても下は半ズボンのまま。寒くても「子供は風の子」で片付けられた。今のように物の溢れた時代ではなく、道も今のように舗装されていないし、街灯だって今ほど明るくない。夕暮れの街を野良犬が徘徊していた。


 街灯の下で会田が待っていると、弟を寝かしつけた柳田がやってくる。そしてキャッチボールが始まる。夜の路地にグローブにボールが当たる乾いた音が響いた。苦情を言われることもなかった。あちこちから夫婦喧嘩の罵り合いが聞こえてくる。そういう時代だった。


 普通のキャッチボールに飽きたら、バウンドさせたり距離を離したり交代でバッテリーを組んだり。柳田がキャッチャーをすることが多かった。柳田の弟が加わることもあったが、彼は身体を動かすことより、家で静かに本を読む方が好きだった。


 夏になると虫捕りをしたり、墓地まで肝試しに行ったりもしたが、はじめはいつもキャッチボール。約束をしなくても、夜になると街灯の下で待っていた。



「会田の右腕に傷があったの知ってる?」

 小林の問い掛けに、多村は首を振った。



 ある夜のことだ。いつものようにキャッチボールをしていたら、柳田の投げたボールが大きく逸れた。電信柱に当たって跳ね返り、大きな音を立てて近所の家の窓ガラスを突き破った。二人は慌てて物陰に隠れたが、何の反応もない。冬だったから、周りの家も窓を閉め切って聞こえなかったのか寒いからか、誰も出てこなかった。


 その粗末な一軒家をおそるおそる覗いたが、人の気配はなく、暗い部屋に白いボールが浮き上がっていた。


―このままにしたらまずいよな―


 ボールをそのままにしておいたら、自分たちの仕業だとばれてしまう。いずれにせよ毎日キャッチボールしている二人が真っ先に疑われるはずだが、動揺している小学生にそこまでの判断はできなかった。


―まだ買って貰ったばっかりなのに―


 貧しい柳田の家では、ボール1つも安い買い物ではなかった。


 その言葉に、とっさに会田が手を伸ばした。ボールを掴んだまではよかったが、引き出そうとした瞬間、窓のふちに残っていた割れたガラスが会田の腕を突き刺した。汗をかいたせいで、上着を脱いでいた。そのまま引っ張り出した腕に、ガラスは糸を引くように傷をつけ、血が流れ出た。


 真っ赤に染まるボール。腕を押さえてうずくまる会田。柳田は慌てて会田の両親を呼びに、居酒屋に駆けて行った。


 会田は救急車で運ばれ、縫合手術を受けた。


「ごめん、やっちゃんごめん」


 泣いていたのは会田より柳田の方だった。


 しばらく不自由を強いられたものの後遺症は残らなかったが、腕に傷跡が残った。

 それ以来二人がキャッチボールをすることはなくなった。



「その時のことを、柳田はずっと負い目に感じていたみたいね」

 小林の言葉で、多村の頭に『別れの哀殺』のワンシーンが甦った。主演の二人が夜道でキャッチボールをしている。会話はなくボールの音だけが響いている。柳田がふと口を開いた。


「俺はずっとこうしてお前とキャッチボールがしたかったんだ」


 あのセリフは会田へ向けたものだったのか。


「『別れの哀殺』の初演の稽古中、二人はよくキャッチボールをしてた。本当に楽しそうにね。今思えばあの頃が一番幸せだったんじゃないかしら。二人にとっても、逢友社にとっても」

 小林は多村の肩越しに黄ばんだ壁を見詰めて目を細めた。

 

 しかし柳田は自ら命を絶ち、会田の前でその名を口にするのはタブーになった。二人に、何があったのか。


「嫉妬よ。会田の」

 小林は細めた目を多村に向けた。



『別れの哀殺』は会田と柳田の二人が主演し、脚本演出は柳田が手掛けた。


「これはいける」


 出来上がった脚本を読んだ会田は興奮で頬が赤らんでいた。他の団員もみな同じ気持ちだった。最高の舞台になる。稽古にもいつも以上に熱が入った。アルバイトで疲れていても手を抜くものは誰もいない。逢友社が一丸となって『別れの哀殺』を創り上げた。


 迎えた初日、満員でも100人に満たない小劇場で、平日だから空席も見られたが、拍手が鳴りやまなかった。涙を拭っている人も一人や二人ではない。こんなことは演劇人生で初めて。団員は抱き合い、涙を流した。会田も柳田も小林も、そこには滝沢と西野と古山の姿もあった。みなこの作品に参加できたことに感謝し、喜びを分かち合った。


 舞台は評判になって再演を重ね、新聞や雑誌にも取り上げられるようになった。なおも再演を願う声が多く寄せられ、新聞社の後援を受け、大きなホールに場所を移して再演された。小劇団では異例の事だった。客席に有名俳優や映画関係者の姿が見られるようになったことにもこの舞台の注目の高さが表れていた。


 『別れの哀殺』は小劇団では異例の東京演劇大賞に輝いた。


 主演のみならず、脚本、演出も担当した柳田優治という稀有な才能の持ち主に対して惜しみない賛辞が贈られた。古くから柳田を応援してきたファンからは高く評価されていたもののマイナーな世界でのことに過ぎなかったが、一気に花開いた。柳田優治は演劇界にその名を知らしめた。


 その傍らで、もう一人の主演である会田安宏は柳田の陰に埋もれていた。

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