第11話 劇場

 逢友社の主宰・会田安宏の死は自殺と認定されていたため、本郷東警察署内ではすでに忘れられ、口にするものもいなくなっていた。多村が真相を追っているのは、個人の心情に基づくものだ。

 

 取り調べ中の被疑者が別の事件を自白し、再捜査が行われるのはあることだが、それとは異なる本件ではよほどの証拠がないかぎり殺人事件として捜査を始めるのは難しい。多村も重々承知している。

 それでも自殺に疑いの余地があるにもかかわらず、誰も手を付けることのない死を放っておくわけには行かなかった。捜査一係長としての責任はもちろんだが、正義感の強い男だ。多村は非番や勤務外の時間を割いて、一人で調べにあたっていた。



 この日非番だった多村の姿は図書館にあった。すっかり陽が落ちて外は木枯らしが吹き付けていたが、暖房の効いた館内で脱いだコートを片手に目当ての本を探した。


 スマートフォンこそ携帯しているものの多村はアナログ人間で、図書館で調べものをすることが多い。学生時代からの習慣で、インターネットは便利な反面、誰が書いたか分からない疑わしい情報が溢れ、無意識のうちに刷り込まれてしまう危険もあり、多村は必要とあらば図書館を利用した。


 今日の目的は“劇団”という組織について知るためだった。演劇に興味がなく、劇団員の知り合いもいない多村は、芸能界の一角のように考えていたが異なるようだ。

 蔵書の多い区の中央図書館には、劇団について解説したものが豊富にあると期待していたが予想外に少ない。『芸術』の棚から始まって『技術』や『産業』までくまなく探しても、希望に副うものは1冊しかなかった。仕方なくそれを手に閲覧室に入り、制服姿で教科書を広げる中高生の横で、一人読書に耽った。


 ここに来る前、多村は劇場に足を運んだ。有名劇団なら観劇経験はあるが、小劇場は初めてで、聞いたこともない劇団の公演だったが、チケット代3500円を支払って中に入ると、キャパ100人ほどの客席は満員だった。

 劇団の雰囲気に触れるのが目的だからどこでもよく、先に行った劇場は当日券が売り切れ。それでここへ来たのだが、もう少し遅かったら入れなかった。入口で尋ねたところ、土日は満員、平日でも7、8割は埋まるという。


 客層は若者から中高年まで幅広く、男女が半々くらい。だらけた様子はなく、これから始まる舞台を楽しみにしているのが伝わってくる。

 無名劇団ゆえ閑古鳥が鳴いていると想像していた多村には意外で、自分の知らないところに一つの文化が根付いていると知った。


 ただし肝心の内容は、と言うと面白かったとは言い難い、分かり辛いものだった。

 地上に降りた堕天使が人間界に混乱をもたらし、天使が送り込まれたものの収拾できず、最後は天使もろとも抹殺されてしまう、そんな内容だった。 

 それでも観客には受け、所々で笑いも起きていた。難解な方が演劇ファンには受けるのかもしれない。


 終演後、出演者が客席まで降りて来て、観客と談笑したり、写真撮影したりする姿が見られた。固定客のほか、劇団員の友人も少なくないようだ。

 8、9人いた出演者も、多村は誰一人知らない。この日初めて見た人ばかりで、“劇団”という響きからは芸能界を連想させるが、それとは異なる、マイナーな世界であると認識した。


 生の演劇に触れ、自分なりに考えを巡らせながら図書館まで来た。本に書かれていることが事実ならば、多村の想像はそれほど間違っていないようだ。

 倉本も言っていたが、テレビで見かけるような大手は例外で、実際はほとんどが小規模の劇団。劇団員はギャラを貰うどころかチケットノルマが存在し、割り当てられたチケットをさばけなければ自腹を切ることになる。公演を行うとなると衣装や小道具など、自腹も多い。

 劇団員は演劇で食べているのではなく、アルバイトなど別の仕事をしながら演劇に打ち込んでいる。公演がせまると稽古が始まり、公演中は出勤できないから、シフトに融通が利く仕事しかできない。

 毎日稽古しているわけではなく、公演が決まるとそれに向けてスケジュールを組むのだが、全体稽古は週に1度や2週に1度のこともあるという。


 野球で言えば、プロ野球ではなく、独立リーグや社会人でもなく、草野球に近いのかもしれない。

 好きでなければやっていられず『演劇中毒』という表現は、彼らには褒め言葉だろう。


 小劇団から映画の主演にまで上り詰めた柳田優治の凄さが改めて分かる。演劇ドリームを叶えた憧れの存在になるのも当然で、関係者に与えた影響は計り知れない。

 ただしみんながみんな映画出演を目指しているわけではなく、生の舞台が好きで、そこにこだわっている人も多いようだ。


 現在の逢友社の状況はどうだろう。


 倉本の話では、逢友社には柳田の“遺産”がある。それは専用の稽古場を持っていることからも分かり、映像では客入りが悪いとぼやいていたが、それでも恵まれた環境にあるようだ。


 多村は閲覧室を出て、自販機の設置された部屋に入った。飲食禁止の館内でここだけは許可され、缶コーヒーを買って腰を下ろし、スマートフォンでインターネットを開いた。『逢友社』と入力すると、すでに何度か閲覧しているオフィシャルサイトが表示された。


 稽古場の表札と同じ、シルバーに黒で『逢友社』と書かれたシンプルなトップページ。他はカラフルだが、ごちゃごちゃした印象はなく、どこか温かみが感じられる。

 前回見た時から更新されておらず、最終更新日は会田の死の前。『NEWS』の項目でも死に触れられていない。


『MEMBER』には、劇団員の簡単なプロフィールと顔写真が載っている。

 本当に簡単なもので、誕生日―年は書かれていない―と簡単な経歴だけ。載っているのは会田、滝沢、西野、古山、国村の5人、近藤武史の名前はなかった。近藤が映像を撮影していたのは、出番が少ないからだと聞いている。現役の大学生でもあり、入団間もない新人である事が窺える。


『HISTORY』には設立から現在までの劇団の歴史が記されている。『別れの哀殺』についても記載され、舞台の画像も掲載されているが、柳田の死には触れていない。旗揚げ20周年を迎える来年には記念公演を行うことが予告されていた。


 オフィシャルサイトを離れ、逢友社についてネット検索しても、特段目を引くようなものは出てこない。

 逢友社の団員も、他の仕事を持っているだろうが、その手の情報は出てこない。インターネットにも一劇団員のプライベートまで転がってはいない。


 会田の死についても検索した。

 ニュース記事はいくつかあった。人目がある中での自殺、というのは話題性があるはずも、柳田の死から5年が経過し、一劇団俳優に過ぎない会田に対する世間の関心は低い。

 映像の存在も公にはされていないため、自殺に疑問を抱くものは見当たらず、関係者による内部告発のようなものもない。

 柳田、会田と来たから、次は小林美恵子かな、という質の悪い冗談が見られただけだった。


 多村は頭の後ろで手を組み、天井を見上げた。次は何に手を着ければいいか。もうすぐ会田の追悼公演が行われる。そうすれば何か分かるかもしれないが、その前に出来ることはないか。考えても当てはなかった。


「現場百遍か」


 多村は独り言のようにつぶやき、コートを羽織って図書館を出た。

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