第8話 遠征

 多村はクルマを走らせていた。自宅近くに借りている月極駐車場を出発してすでに2時間が経とうとしている。昼食をとって家を出たから、途中パーキングエリアで15分のコーヒーブレイクをとっただけだった。

 高速道路の外の景色は地方の色を濃くしてビルは少なくなり、田畑の占めるが割合が大きい。あいにくの曇り空だが晴れの日はいい眺めだろう。

 カーラジオから流れるヒット中のアイドルソングは、多村の意識まで入ってこなかった。


 劇団逢友社を主宰する会田安宏の死は自殺ではなく殺人。それも劇団員たちが周到に計画した、自殺に偽装した集団殺人。多村はそう考えていた。しかしすでに自殺として処理されてしまっている。覆すのは容易ではなく、現実的ではないといってもよかったが、目を背けるわけにはいかなかった。


 どこから手を付けるか。一度訪問したせいで、逢友社は警戒しているに違いない。口裏合わせをする時間は十分過ぎる程あったから、視線を変えてみる必要がある。多村がまず選んだのは劇団『ひいらぎ』の主宰である倉本俊夫くらもととしおだった。


 倉本は会田と6日間、死の当日まで行動を共にしている。会田の様子はどうだったのか。もう一つ、多村が考える会田を死に導いた“仕掛け”、それに対する意見を聞いてみたくて、非番を利用して足を運んでいた。


 電話で警察と名乗ったうえで面会を希望すると快く引き受けてくれ、倉本の自宅の最寄駅で待ち合わせた。

 『ひいらぎ』の事務所を兼ねた自宅は茨城にある。稽古場に伺いましょうかと申し出ると『ひいらぎ』は小劇団ゆえ専用の稽古場を持たず、必要に応じて貸しスタジオなどで稽古をしている、今は公演が終わったばかりで稽古の予定はない、とのことだった。


 待ち合わせは昼の3時。多村がコインパーキングにクルマを停め、15分前に駅の前に到着するとすでに倉本が来ていた。お早いですね、と声を掛けた多村に、倉本はこの業界は時間厳守ですからと俳優のプライドをのぞかせた。

 50間近の丸く穏やかな顔つきながら、眉毛は太く凛々しさを残している。セーターにスラックス姿は、どこにでもいるおじさんと言った風采で、知らない人は俳優だと気付かないだろう。


 簡単な挨拶をすませ、倉本の行きつけだという近くの喫茶店に入った。洒落たカフェとは異なる地下にある古びた店で、入り口を開けると鈴の音が響いた。倉本に気付き笑顔で迎えたマスターに、倉本は手を挙げて返した。


「こないだのです」

 倉本が含みのある顔で指差したのは、壁に貼られた『ひいらぎ』のポスターだった。日付から先日の公演のものだと分かる。多村は立ち止まってそれを眺めた。出演者の一覧に倉本は写真付きで紹介されていたが、会田の名前は見当たらなかった。


 20席ほどの店内に、今他にいるのは一人だけ。多村が希望した小ぶりな四人掛けのテーブルに向かい合わせで座った。

「ここのコーヒーは美味しいですよ」

 倉本に勧められ同じホットコーヒーを注文した。多村も無類のコーヒー好きで、インスタントから缶コーヒーまで、水代わりに飲んでいる。


 倉本は決まってコーヒーなのだろう、間を置かずマスターが白いソーサーに乗った白いカップを運んできてくれた。

「美味しいですね」

 口を付けて多村は笑顔を作ったが社交辞令を含んでいた。


 いきなり会田の死に触れるのははばかられ、『ひいらぎ』や倉本の活動に関していくつか質問した。人柄なのか、刑事相手だからか、倉本は笑顔で一つ一つ丁寧に説明してくれた。今は地方の小劇団に落ち着いているが、かつては東京の劇団に所属し、映画やドラマにも出演した。今も時々テレビドラマに出演している、演劇教室の講師を務めることもあると話した。


「専用の稽古場はお持ちではないということですが」

 失礼かとも思ったが、この問いにも倉本は穏やかに答えてくれた。


「日本には数多くの劇団があります。大小さまざまですがほとんどは小劇団で独自の稽古場は持てず、必要に応じて借りていると思います」


「逢友社もあまり大きな劇団ではないようですが」

 なぜ専用の稽古場があるのか。


「今はずいぶんと小さくなりましたが、一時はかなり勢いがありました。柳田人気でチケットは完売、公演にはスポンサーもついていましたので、相当な収入だったでしょう。『別れの哀殺』は映画化されて、今もDVDが発売されているので、ロイヤリティーなんかも入って来るのかもしれませんね。柳田は原作者でもありますから逢友社に権利があるんじゃないですか。そのあたりのことは詳しくはわかりませんが」

 小劇団だと舞台の大道具は自作することも多いが、逢友社は外注も多いようだ、と羨ましげに話した。


 かつての逢友社はかなり景気が良かったようだ。いまその面影はないが、その頃の貯えを食いつないでいるのだろうか。それにしても、亡くなって5年も経つのに今だに逢友社といえば柳田優治のようだ。


「それで、会田さんとのご関係をお聞きしたいんですが」

 頃合を見計らっていた多村はやっと本題に入った。倉本から笑みが消え、コーヒーをすすってから口を開いた。

「会田は、私が以前所属していた劇団『麒麟座きりんざ』の後輩です。年は彼が5つ下です。会田の入団後しばらくして柳田が入団してきました。会田の紹介です。二人は幼馴染の親友ですので」


 幼馴染とは、初めて知る事実だった。それがなぜ名前を口にするのもタブーになってしまったのか。多村は疑問を浮かべたまま話の続きに耳を傾けた。


「会田や柳田は、同じ釜の飯を食ったと言いますか、当時はお金がなくて苦しかったですけど、楽しい青春時代でした」


 演劇に明け暮れ、酒を飲んでは語り明かし、時には喧嘩した時代を懐かしそうに振り返った。会田と柳田はいつも一緒でした、倉本は確かにそう言った。


「現在の逢友社との関係はいかがですか」


「会田とたまに連絡を取っていた程度です。何度か公演を観に行きましたから、劇団員とも挨拶ぐらいは交わしますが、それ以上の関係はありません」

 多村は逢友社の面々を思い浮かべたが、確かに倉本と交流する姿は見えてこなかった。ここへきた目的を果たすにはその方が好都合だった。


「会田さんはなぜ『ひいらぎ』の舞台に出演することになったんですか」


「今回の公演の出演者に急病人が出てしまったんです。初日が迫っていて、それで会田に声を掛けました。ダメもとだったのですが引き受けてくれました」


 劇団員に事情聴取をした桜井から聞いた通りだ。


「東京から来るのは、大変だったと思いますが」

 茨城に来るのは時間も金もかかる。実感がこもっていたのか、倉本は「遠いところをすみません」と冗談交じりに笑みを浮かべた。


「いえいえ、こちらからお願いしたので」

 多村は恐縮気味に苦笑して頭をかいた。


「東京とは違ってこの辺りは劇団が少ないので、代わりの役者はすぐには見つからないんです」


 確かに地方と東京は事情が異なるだろう。


「逢友社も公演を控えているようですが」


「そのようですね。私の頼みだから断りにくかったのかもしれませんね」

 倉本は伏し目がちにコーヒーをすすった。


「会田さんは、何か変わったところはありませんでしたか」

 さりげなく、しかし重要な質問をした。


「それが全くないんですよね。突然呼び出されて舞台に出演したので、疲れはあったと思います、若くもないですし。ですがそれ以外は普段通りの会田でしたから、自殺したと聞いても信じられませんでした」

 

 会田の自殺に接し、倉本も想いを巡らせていたのだろう。間髪入れずにそう言った。自殺を疑っている多村には期待通りの答えだった。塞ぎがちだったと言われることも覚悟はしていたが。


「つかぬ事をお聞きしますが、稽古を撮影することはありますか?」

 これも重要な質問だ。


 突然話が変わり、わずかに戸惑った顔を見せたがすぐに答えてくれた。

「それはよくあります。うちでも公演前なんかはやりますし」


「実は事故の当日も撮影されていたんです。飛び降りる直前までの様子が」

 映像の存在は公にされておらず、一部の関係者だけが知る事実に過ぎない。倉本は表情を強張らせた。

「その映像を見ていただけませんか」

 多村は足元に置いたカバンからポータブルDVDプレーヤーを取り出した。


「会田が死ぬところが映っているんですか」

 倉本はあからさまに顔をしかめた。


「飛び降りる直前で止まっています」


 そうだとしても、と倉本は渋った。


「実は私は会田さんの死に疑問を持っています。自殺ではない可能性があるんです」


 多村が促すと、倉本は目の前のコーヒーをよけた。その拍子にカップとソーサーがかち合う音が鳴った。空いたスペースにプレイヤーを置き、ヘッドホンを勧めると仕方ないと言った様子で耳に付けた。多村は隣に座り、再生ボタンを押した。

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