精火門 リュード

 白亜の廊下を赤毛の青年は進んでいた。縁無しの眼鏡の奥に、切れ長の目が冷たく光っている。突き当たりで止まり、扉を軽くノックした。


「入ります、父上」


 簡素な部屋だった。派手な装飾もなく、執務に必要な最低限のものだけが置いてある。扉の正面に机があり、窓を背にして壮年の男が座っていた。精火門の長、レストーグだ。

 リュードは正面に立ち父を見つめた。リュードと同じ燃えるような赤毛には、よく見ると所どころに白いものが混じっていた。執務の合間にリュードを見る顔にも、僅かだが皺が刻まれている。

 老いたな、とリュードは思う。未だ壮年とはいえ、昔の猛々しさはすっかりなりを潜めていた。長子を失ったあの日以来、レストーグはめっきり衰え始めたのだ。


「失敗したそうだな」


 書類に目を通しながら言う。冷たい物言いだった。


「すみません」

「お前が精霊皇の娘を捕らえてくると言ったから、わしは兵を貸し与えたのだぞ。まったく、セストスが生きておれば……」


 リュードは父親の叱責に、入ってきたときと変わらぬ冷たい眼差しで答えた。一瞬だけレストーグがたじろぐ。


「まあ、精地門の連中に奪われなかっただけよしとしよう。それで、娘の居場所は突き止めたのか?」

「いえ。しかし心当たりはあります。エスティの兄であるグレンもこちらの手にあることですし、必ず捕らえてみせます」

「期待しておるぞ」


 形だけの言葉だった。八年前に兄であるセストスが死んで以来、いや兄が生きていた頃から、リュードに対し父親が期待をかけたことなどないのだ。


「御期待に添えるよう、がんばります」

「さがってよいぞ」


 リュードはそのまま背を向けて部屋を出た。


「老いぼれが」


 歩きながら呟く。レストーグは恐れているのだ。自分が老いてしまったことに。そして、リュードを。今では権力がなければ何もできない、ただの老いぼれだ。

 かつてのレストーグなら、エスティなど必要としなかったろう。エスティをめぐって各門派がしのぎを削る今を利用して、素速く他の門派を制圧していたはずだ。今はすっかり弱気になっていた。精霊皇の娘という大きな力にすがろうとしているのだ。


「リュード」


 廊下を歩くリュードにの背に、女性の声が届いた。立ち止まって振り向く。


「おかえりなさい、リュード」

「母上」


 中年の女性が侍女を伴って近づいてきた。


「無事だったのですね」

「大げさですよ母上。争いに行ったわけではないのですから。そんなことより、出歩かれて大丈夫なのですか?」


 リュードの言葉にイルーナは微笑んだ。


「今日は調子がよいのです。リュード、無理はしないようにしてくださいね。セストスだけでなくあなたまで失ってしまったら、私はどうしていいか」


 まただ。また兄の名が出た。両親の口から、兄の名が出なかった日はない。


「大丈夫ですよ母上。僕は仕事がありますからこれで失礼します。母上こそ無理しないように」


 リュードの声が堅い。リュードは歩きながら拳を握った。

 自室についたとたん、思わず拳を壁に叩きつけていた。言いしれぬ悔しさが込み上げてくる。それが何なのかは理解していた。理解していたからこそ、よけいに腹立たしかった。

 いなくなった今でも、〝兄〟はリュードについてまわった。嫌いではなかった。むしろ尊敬していたぐらいだ。それほどよくできた人間だった。だが、その〝兄〟の存在が、リュードにとって大きすぎる。

 控えめなノックの音がした。


「入れ」


 部下の一人が一礼して入って来る。流れるような黒髪の、きつい感じのする美女だ。歳はリュードより少し上か。


「ミラン。どうした?」

「精水門のフィンナ様と連絡がとれました」


 リュードは有能な自分の片腕を見た。ミランは精火門の人間ではない。精風門の元素術使いだ。怪我をして行き倒れになったのを助けられて以来、ミランはリュードに仕えていた。他の門派に仕える。それは自分の門派である精風門を裏切ることに他ならない。


「リュード様。少しお休みになってはいかがですか? 二日前に帰ってこられてから、一睡もしてません。エスティ様の探索は私が行います。後は私に任せて下さい」

「僕を心配してくれるのか?」


 リュードはミランに微笑んで見せた。


「当たり前です」少し怒ったようにミランは言う。「リュード様はほおっておくと、すぐに無理をなさいます」

「誰かさんにうるさく言われるようになってから、これでも気をつけているんだけどね」


 瞳に悪戯っぽい光を湛え、リュードはミランを見つめる。


「リュード様」


 自分がからかわれてること知り、ミランは軽く睨んだ。


「美人が怒ると怖いな」リュードはわざとらしく肩を竦める。「さて、親友の恋人を待たせるのも悪い、行くぞ」


 リュードとミランは部屋を出た。

 館を中を進み、奥まった一角にある部屋へと入る。部屋の中にはすでに三人ほどがいた。

 中には〈門〉に似た大がかりな魔導具が設置されている。ただし〈門〉と違い中央に水晶板はなかった。代わりに大きな水晶の玉が三つ、正三角形を形作るように並んでいた。

 先に部屋の中にいた三人は、それぞれ水晶球の前に立っている。


「写してくれ」


 その言葉に水晶球の前にいた三人が動いた。互いに目配せして、台座部分にある秘紋に触れる。すぐに水晶球が光り出した。

 光は斜め上方向に扇状に広がった。三つの光は中心に向かって集まるように、重なっている。

 その光の中に像が結ばれた。赤みがかった金髪の穏やかな感じのする女性だ。ミランとは正反対の美人だが、その中にある力強さは似たところがある。


「貴方が連絡してくるなんて珍しいわね」


 フィンナは艶やかに笑った。何も知らない者が見ると、歓迎している笑みに見える。だが、リュードにはフィンナが警戒しているのが分かっていた。たとえ自分の恋人が親友と呼ぶ相手であっても、彼女は無条件に信用したりはしない。

 特にエスティが襲われた後ととあっては。


「本来なら直接会って話しをしたいんだけどね。あいにくこちらは君の〈門〉の鍵を知らないんだ」


 人懐っこい笑みを、リュードは浮かべて見せる。


「あら、そちらの鍵を教えてくれれば、こちらから伺ってよ?」


 〈門〉という言葉で、リュード言わんとすることを悟ったのだろう。リュードの軽い牽制にフィンナは余裕の対応をする。

 頭の良い女性だと、リュードは思う。少し間の抜けたところのあるグレンとは、いいコンビだとも。


「相変わらずだな、君は」そこで言葉を切り、表情を真剣なものに一変させる。「本題だフィンナ。君の所にエスティは行っているか?」

「……なんのことかしら?」


 フィンナは艶やかな笑みを浮かべたまま答える。


「心配しなくていい。この部屋にいるのは皆、僕の直接の部下だ。口は堅い。ここで話すことは精火門のリュードとしてではなく、ただのリュードとして話してると思ってくれていい」


 フィンナは答えない。ただ微笑んでリュードを見つめるのみだ。フィンナの頑固さに、リュードは心の中でため息をついた。自分から手持ちのカードを見せないと話しをしてくれないらしい。


「グレンたちが精地門のバッシュに襲われたことは知っているのだろう? グレンはなんとか助けることはできたが、エスティはいなかった」


 グレンの名前を聞いて、フィンナの表情が微かに揺れる。


「エスティを君のところへ逃がそうとしたことは、グレンから聞いている。グレンたちの〈門〉が壊れたことも」


 手持ちの札を晒す気になったのか、フィンナは笑顔を消した。


「…………残念だけど、エスティはここにはいないわ。連れてくることができなかったの」


 悔しそうにフィンナは言う。


「そうか。エスティは壊れた〈門〉に飲み込まれたらしい」

「そんな……」


 不完全に繋がってしまった〈門〉では次元の狭間に飲み込まれてしまうかもしれない。フィンナにもそれは分かっている。


「君の所にいてくれればと思ったんだが……」

「行方は分かったの?」

「いや。だが、精地門の手に渡っていないことは確かだ」


 今のところはね。そう言葉に出さずにリュードは呟く。


「あまり心配していないのね」


 探るような瞳でフィンナは言う。


「そんなことはないさ」その言葉は本心だ。「だがエスティは精霊皇の祝福を受けている。彼女になにかあれば、精霊たちがほおっておかないはずだ」

「……そうね。あの娘が望んだわけでもないのに」


 フィンナの声には同情があった。精霊皇の祝福。それは長い眠りから覚めたエスティが授かった力であり、全ての争いの元凶でもあった。


「グレンは、どうしてるの?」


 やはり恋人の安否は気になるのだろう。いくらエスティのことが心配でも、心の片隅から消えることはないのだ。


「バッシュにこっぴどくやられたみたいだ。今は僕のところで匿っている」

「そう。無事……とは言えないみたいだけど、ちゃんと生きているのね」


 フィンナの表情からは安堵の色が伺えた。


「君と話をさせてあげたいとこどだが、まだ動けない。何か伝えることはあるかい?」

「いいわ。エスティはこちらでも探してみるわ。グレンをよろしくお願いね」


 グレンにとては同門の精火門すら敵と言ってもいい。その中にいて動けないとなれば、フィンナも心中はけっして穏やかではないはずだ。

 それでも取り乱して見せないのは彼女の強さか、あるいはグレンへの信頼からか。少なくともリュードのことを言葉で言うほど信用していないのは確かだ。


「わかった。君も何かあれば連絡してくれ」


 それだけ言って、リュードは会話を終えた。フィンナの映像が消える。

 もしかしたらと思ってフィンナに連絡をとてみたが、アテは外れた。だがこれは予想の範囲内だ。リュードはエスティが無事だと確信している。だが、他の人間に先を越されしまうのは困る。たとえそれが少女の兄やその恋人であっても、だ。


「ミラン。フィンナの所にも網を張れ。エスティのことだから、兄を心配してこちらに戻って来るとは思うが念のためだ。それと精地門の動きには用心しろ。やつらの元素術は意外と探索向きだ。見つけるのは連中の方が早いかもしれない」

「はい。すぐに手配いたします」


 ミランは即答する。


「それとグレンが目覚めたら教えてくれ」


 そう言ってリュードは部屋を出る。ミランは当然のようにその後をついて行く。

 自室部屋の前まで来て、リュードは振り返った。ミランが怖い顔で見つめてくる。

 そんな彼女を見てリュードが苦笑する。ミランを見つめる瞳が、部下を見つめるそれから変わり、ふと優しいものになった。


「分かってる。君の忠告どおり、少し休ませてもらうよ」


 ミランがそれを聞いて笑顔になる。


「そうしてください」


 安心したのか、ミランはリュードに一礼して背を向ける。

 リュードは黙って去っていくミランの後ろ姿を見ていた。

 リュードの考えを理解した上で、ミランはついて来てくれている。リュードの心の中にある〝兄〟への葛藤を知っている、唯一の人間だった。家族の誰よりもリュードに近いのかもしれない。そして、家族の誰よりも、リュードのことを心配してくれている。


「いつも、すまないな。感謝している」


 信頼できる部下の後ろ姿に、リュードはそっと呟いた。その姿はすでに消えていた。ミランに面と向かって言うのは、やはり照れるのだ。

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