第6話 そこにかつての自分は映っていなかった


 俺はベンチから動けずにいた。


 正直この手袋を使ってみたい。でも、なんの落ち度もないやつから盗めるのか……? しかも、相手が最も守りたいお宝を……。


 電車の扉が開き、うじゃうじゃと人が溢れ出てくる様子をベンチから呆然と見ていた。みんなそれぞれ絶対に譲れないもの――大事なお宝――を抱えながら生きているんだ。それを盗むなんて、そんな大それたこと俺にできるわけがない……。


「くっせえな」


「……」


「おい、こら。そこのおっさん、お前だよ、くせえからどけよ」


「あ……」


 見上げると不快そうに鼻をつまんだ長髪のイケメン野郎がいた。しかも美人の彼女連れだ。


 男は不良っぽい空気を醸し出して俺を睨んでるが、とても痩せていて背も低く、探求者という感じはしない。服装に関しては、探求者でも今時ゴテゴテの鎧なんて着てるやつはいないから見分けがつかないんだが、ホームレスの俺よりガリガリだし何より威圧感がない。


 こんな一般人に舐められるなんて俺も落ちたものだ……。探求者は前衛でなくとも鍛えている者がほとんどだからな。防魔術を専門としている俺でさえ、ダンジョンでよく走り回っていたので体格はいいほうだった。


「どけって言ってんだよ!」


「そうだよ。俊也の言う通りどきなよ、おっさん!」


 カップルはどっちもゴミを見るような目で俺を見下ろしている。


「……ふ、不快な思いをさせてしまい、どうもすみませんでした。今すぐどきます……」


 正直ムッとしたが、風呂に全然入ってない俺がベンチに座るのは確かに迷惑だと思ったのですぐに席を立った。


「さっさと自殺すりゃいいのに。糞ホームレスが」


「あはは、俊也、さすがに言い過ぎ―」


「言い過ぎじゃねえよ。早く死ねばいいのによ。もう生きてるだけで周りに迷惑かかってるレベルだろ。こんなゴミ同然のおっさんを産んだ親が可哀想だなー」


「……」


 イケメンの罵声が背中に突き刺さる。不快な思いをさせたのは俺が悪い。でもそこまで言われなきゃいけないようなことか? 何故そこまで貶す必要がある。


 こいつはろくなやつじゃない。水谷たちと同じように他人を足蹴にして、踏み台にしながら生きるタイプだ。実際、俺は心を削られた。これは盗まれたことに等しい。なら、奪い返してもいいんじゃないか?


『――盗め……』


「……盗め、盗め……」


 盗めという声がどこからともなく聞こえてきたような気がして、俺は迷いがすっと消えていくのを感じるとともに、いつの間にか例の手袋をつけていた。


「な、なんだてめえ! きたねえ手で触んじゃねえよ!」


 背後からイケメンの肩に触れると、激昂した様子で振り返ってきた……って、あれ? 違う。この男、顔が変わってしまっている。な、なんだこのブサイク……。


「ちょっとー、俊也。どしたの……って、あんた誰よ!?」


「は!? お前何言ってんの!?」


「触んないでよブサイク! 俊也ー! どこー!?」


「え、ちょ、待てよ……!」


「しつこい!」


「ぎゃああああっ!」


 ブサイク野郎が狼狽した様子で女に食い下がるも、急所を蹴られて悶絶している。面白いものを見せてもらったしそろそろ帰るか……って、待てよ。まさか、俺が盗んだのは……。


「素敵なおじさんー……」


「ちょー渋いよねえ。ドラマの撮影かな? なんていう俳優さんなんだろ?」


 周囲から熱い視線を感じる。特に女の子がうっとりした眼差しを向けてくるのがわかる。まさか……。パーソナルカードをミラーモードにして覗き込んでみると、そこにかつての自分は映っていなかった。作り物かと思うほどに整った顔をした俺がいたのだ。


 誰だよこれ……。やはりそうか、俺はあのイケメン野郎の顔を盗んだんだ。やつにとって一番大事なお宝は美貌だった。それを盗まれたやつは猿のように醜くなり、盗んだ俺はイケメンになった。


 といっても若者のあいつの顔をそのままコピーしたわけじゃなくて、30歳の俺の元の顔をベースに美麗にした感じだ。身だしなみさえ整えればすぐアイドルにもなれそうな面だな。おじさんだが……。


 なんだか急にやる気が出てきた。まずはちょっとした金がいるが……手袋がなくてもすぐ集められそうだ。

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