才気溢れる心理描写、儚い命の灯が消えないように抱きかかえる強き愛

 読み合い企画から拝見いたしました。コメントを付けさせてください。評論家気どりでアドバイスをしている箇所などありますが、ただの高校生のいうことですから聞き流す程度にお願いします笑
 この作品の良いところは何といっても主人公セツナの心理描写、ひいては彼女の目を通して映る風景描写の巧みさにある、と思います。冒頭、サトルの肌を「陶器のよう」と比喩するのは、脆く美しい彼をうまくとらえた見事な比喩です。
 同じく冒頭ですが、
 「ベンチの脇には大きな窓がついていたが薄いレースのカーテンがなにかからここを隠すように閉められていた。」
 とあります。名文だと思います。この描写は「外界からの遮断」を意識させる意図があるのではないかと感じましたがいかがですか?セツナとサトルが外の世界から遠ざけられて、二人だけの病室の中で壊れゆく愛を必死に抱きかかえる姿とうまくマッチしています。
 そんな二人の愛の形が美しいからこそ、「サトルの母親」の存在に少し違和感を感じてしまいます。話の展開に不可欠なキャラクターではありますが、ここまで会話をしなくてもよいのではないかとも思えました。むしろ義務的に見舞いに来ている、という設定にして一言も会話をしなくても良い気さえします。(もちろん個人的な意見です。天野さんが意図していることもあることは承知しています。)
 生命力をみなぎらせている木々や明るい空の描写が、最初は主人公の心情とマッチしないように思えて違和感がありましたが、後半
「カーテンの向こうはきっと青い空が広がっているのだろう。外の木々は日の光を浴びて、風とともに歌うのだろう。」
というセリフがあったことで、僕が感じた違和感はセツナが同じく感じていたもの、つまり青く冴えわたる外界とサトルの白き儚さのミスマッチであったのかもしれないと気づき、納得がいきました。セツナが他人事のように語るこのセリフは非常に重要な役割をもっていますよね。
 エピソード自体は目新しいものではないとは思います。それは同時にハードルの高さを意味しますよね。あっと驚くオチがあるわけではないですが、僕はこの作品を非常に気に入りました。また読ませてください。
 長々と失礼しました。