ものいう花 ものいわぬ花6

 まだまだ暑い日は続くけれど、二学期は始まる。

 久しぶりのいつもの光景が戻ってくる。髪型や肌の色は若干変わっている人もいるが、教室の雰囲気までは変わらないものである。

 けれど、明らかにいつも通りではない人が一人いた。


「ねえ…」


 席に座る岡田の耳に口を寄せて、竜平はちらりと教室後方を見やった。

 いつもならば暇さえあれば岡田の机にはり付いている栗山が、ひたすら自分の席に座ったままぼけーっとしている。

 ため息も、もう何度ついたことだろう。


「あれ、病気?」

「…どうなんだろうね」


 朝からまだ一言も話をしていない。

 出校日も栗山は学校に来なかったし、街でばったり出会って以来ということになる。

 岡田からもなんとなく話しかけ辛い感じで、一応おはようと声をかけてみたものの、この調子で気付いてもらえないまま過ぎてしまった。

 あの時、偶然会ってしまった岡田が、どれだけの勇気を振り絞って声をかけたのか、栗山は全くわかっていない。

 こんなふうにぎくしゃくしたくないと思ったからそうしたのに、向こうがあれではあまりに報われない。

 岡田だって夏休みの間中、あれこれと思い悩んだのだ。


「夏休み前の事、まだ引きずってる訳じゃないよね?」

「さすがにね、江森君の事じゃないだろうね」

「休み中に何かあったのかな?」


 竜平は、ふと何かを思ったのか、身を乗り出して岡田の顔を覗き込んだ。


「何か知ってそうだよね?」


 竜平の指摘にぎくりとする。

 ポーカーフェイスにはわりと自信があるのだけれど、竜平の勘は鋭い。

 勘ではなく、観察眼が鋭いのかもしれない。

 態度や言葉の端から何かを察することに長けている。それは前々から感じていたことだ。

 このまま隠し通すのは無理だなと早々に諦めて、岡田は今までの経緯を洗いざらい竜平に打ち明けることにした。


「きっかけは例の生物準備室の一件なんだよ」

「え?そこまで遡るの?」


 全てはそこから始まるのだ。あれがなければこんなことにはなっていないだろう。


「なんていうかさ、男同士の恋愛についてリアルに考え始めたみたいで、俺は女のがやわらかくていい、みたいなことを言ってたんだ」

「わ、エロいね、栗山」

「だから僕はね、男でもやわらかいかもしれないよ、って言ったんだ」


 竜平は岡田の言葉にぶはっと吹き出して笑った。岡田は大真面目なのに、笑われてしまった。

 栗山には唖然とされたが、既に男を恋愛対象と見ている竜平の反応は、また違うものなのだろう。


「さすが岡田、思考回路が大人だね。いや、大人っていうか、大きいね」

「そうかな、だって選択理由がそんなことならさ、別に女の子に限定する必要無いじゃん?」


 岡田の考えもまた、同性が恋愛対象になることを前提とした発想であるということなのだろうか。自分にとってはものすごく普通に出た意見だったのだけれど。


「なんかちょっと栗山が気の毒になってきたわ」


 竜平は苦笑しながらちらりと栗山を見た。岡田たちがこんな話をしていることなど気づきもせず、相変わらずぼんやりとしている。

 どっちもどっちかと呟きながら、竜平は何かに思い当たったようだ。


「ああ、それで、あれか!」


 岡田の頬をぐにっとつまんで栗山の行動を再現してみせる。あの時は深く突っ込まなかった栗山のおかしな行動の謎が解ける。


「うわっ、やわらかっ」


 竜平は調子に乗って岡田の頬をぶにぶにといじくりまわした。

 ちょっと痛いなと思いつつも、別に咎めることはしない。小さい頃から近しい者にはよくやられていたことだ。

 栗山にやられた時だって、別になんとも思わなかったのだ。

 その後の反応を除いては。


「ねえ、もしかして、栗山は岡田のことが好きなんじゃないの?だって岡田のほっぺがいくら予想外にやわらかくたって、普通の反応はこうだろう?あんな焦って逃げることないよな?」


 両の掌で岡田の頬を挟み、ぶにゅっと変な顔にして爆笑しながら竜平はそう言った。

 岡田もそう思う。あの時に、もしかしてと思ったのだ。


「でね、終業式の日、帰り道でキスされた」

「えっ!?」


 竜平は両手を離して固まった。急な展開に驚いたらしい。

 実際、あまりに急な展開だったのだ。岡田自身も、それはもう今の竜平以上に大パニックだった。表にはあまり出ていないかもしれないが、頭の中は真っ白で、自分でも吃驚するぐらい心臓がバクバク跳ねていたのだ。


「それで?」

「逃げられた」

「はぁ!?なにそれ?」

「わかんない」

「で、今のあれかよ~」


 竜平は頭を抱えた。

 そう、だから岡田も悩んでいるのだ。

 キスをされたのはいい。けれどその後に何もないのはどうなのだろう。

 何も告げずに走り去られて、それでこちらはどうしたらいいものだろう。


「僕もね、もしかして僕の事好きなのかなって思ったんだけどさ」

「だってそのキスは決定的でしょ」


 竜平の言う通り、客観的に見ればそれはかなりの決定打だと思う。

 けれど、当事者としてはそれを決定付けてしまうことに不安が残るのだ。


「いや、僕の推測はどうしても希望的要素が入ってしまうから、あまり正確じゃないかと、ね」

「それって…つまり岡田も栗山の事が好きだって事?え?そうなの?いつから!?」


 岡田は栗山の事が前からずっと好きなのだ。

 両思いかもしれないと希望を抱き、けれど違ったらどうしようという不安も同時に抱いてしまう。

 結果的に竜平に問いつめられる形になったけれど、そうでなくても第三者の意見を聞いてみたかったことも確かだ。


「実は一目惚れなんだよね。三つ子の魂百までっていうでしょ。初恋の人がね、栗山君とは少しタイプが違うんだけど、とにかく派手で目立つ人でね。ほら、前に話した隣のお兄さん。その影響なのか、僕、派手な人好きみたい」

「…なんていうか、岡田…おまえ変わった奴だよな…お兄さんって、あの…あれだろ?」


 見たことはないはずなのであの見た目の派手さはわからないと思うが、行動の変人っぷりは以前に竜平を仰天させているので、竜平の言いたいことはよくわかる。

 自分でもそう思う。けれどあの頃は好きだったのだ。無知というのは恐ろしいものだ。

 おかげで平凡な人間には魅力を感じないようになってしまった。

 かわりに刺激のある突出した人間にはたまらなく魅力を感じてしまう。

 一目見て、クラスの中でかなり異質な栗山の存在に惹かれた。

 中身を知って、我の道を進む自由な生き方に更に焦がれた。


「まあ、理由はさておき、さ。ということはつまり二人は両思いってことなんじゃん」

「栗山君の方がそうならね」

「あの態度を見る限り、あいつ多分無自覚なんだよな。ああ、まどろっこしい!」

「どうしようか夏休み中にいろんなシミュレーションを脳内で繰り広げていたんだけどね」

「あれじゃぁなあ」


 二人揃って栗山を振り返り、そして大きくため息をついた。

 このまま待つべきか、こちらから仕掛けるべきか、悩む所である。

 完全な片思いだと思っていた状況が好転しかけているこの事態を、慎重に慎重に扱っていきたいのだ。

 良い結果に結び付ける最善の方法を選択したい。

 後悔はしたくない。

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