ものいう花 ものいわぬ花4

(やわらかかったなぁ)


 渡された通知表を手に、栗山はぼんやりと岡田の頬の感触を思い出していた。

 あれから、気がつけばいつもそんなことを思って、岡田のことが気になって仕方なくなっていた。

 明日からは楽しい夏休みだというのに沸き上がる思いもなく、頭の中に霞がかかったようにぼんやりしていた。

 無意識に岡田の行動を目で追ったり、ともすればもう一度触ってみたいなんて考えていたり、そんな自分にふと気付く瞬間、がっくりと落ち込む。


(何がしたいんだ、俺は…)


 男でもやわらかいやつはいるんだと知った、ただそれだけのことなのに。

 何をこんなにも動揺しているのだろう。


「あ~あ」


 大きくため息をつく。


「そんなに酷かったの?」


 いつの間にか栗山の背後に来ていたらしい岡田が、栗山の肩ごしににゅっと顔を出して手元を覗き込む。


「い…や、別に、フツー」


 中学の時とさほど中身の変わらない通知表は、なんとなく開いていただけであってそれを見ていた訳ではなかった。成績なんてたいして興味もない。


「そう?じゃあ帰ろう?」

「…おう」


 どれぐらいの間栗山はぼんやりしていたのだろうか、教室にクラスメイトの姿は既にほとんど見当たらない。

 少し心配そうな目で岡田が見ていた。

 このところ栗山が変なのは、岡田も気付いているのだろう。


(ダメだなぁ)


 いつも通りしゃっきりとしようと心の中で気合いを入れて立ち上がった。





「…あちぃ…」


 照りつける夏の太陽は容赦なく、このところ寝不足気味な栗山を痛めつける。

 どれだけ気合いを入れてもついぼんやりしてしまうのは、この暑さのせいもあるのかもしれない。

 額を流れる汗を掌でぐいっと拭って、栗山は足を止めた。遮るものの何もない空を苛立たし気に睨みつける。

 二、三歩先に進んでしまった岡田が「どうしたの?」と栗山を振り返った。

 なんでもないと視線を戻した拍子にばちりと目が合って、その途端どきんと心臓が跳ねた。


「具合でも悪いの?」


 急に顔が熱くなるのは、灼熱の太陽のせいばかりではなさそうだ。


(あ、あれ…?)


「大丈夫?気持ち悪くない?」


 心配げな表情で栗山の顔を覗き見る岡田が、いつもと違って見えるのはなぜだろう。


(岡田ってこんな…あれ?)


 妙に可愛く思えてたまらない。

 間近にあるあのぽよんとやわらかい頬が、そして頬ほどではないけれどぷっくらとして赤い唇が、栗山の心を惑わす。

 触れてみたい。

 その感触を確かめたい。

 岡田の掌が、栗山の熱を確かめようと額に当てられた。

 その掌さえも、やわらかい。


(なんだよ、こいつ…)


 手首を掴んでそのまま少し引き寄せる。

 ドキドキと早鐘を打つ心臓に追い立てられるようにして。


(おっ俺は今一体何をやらかしてるー!?)


 唇を重ねていた。

 衝動的に、体が勝手にそうしていた。

 相手は岡田だというのに。


(やべ…)


 想像以上にやわらかく、そして弾力のある唇の感触に、満足している自分がいた。


(どうする、俺!?)


 考えるよりも先に行動する、普段の性質が裏目に出た。

 ここは何としても堪えるべきだった。

 やってしまったものの、このあとどうしたらいいのかわからない。

 とりあえずは触れた唇を離すべきだが、離してそれから、元通り並んで歩くことなんて絶対無理だ。直視出来ない。

 一瞬が永遠にも感じる。

 全身から、暑さによるものではない汗が吹き出すような気がした。




 明日からは、長い長い夏休みだ。

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