ロシアンルーレット5

 降車駅に着いた途端、千草はするりと人混みに入り込んでゆく。足が悪いとは思えないその無駄のない動きは、きっと今まで二年と数カ月の経験により培われたものなのだろう。

 経験値の浅い俺なんかは、あっちへ押されこっちへ押され、無駄な動きし放題ですぐに千草の姿を見失ってしまう。

 電車内でいくら会話が弾んでいようとも、駅に着いた瞬間から俺の事なんて完全無視なその姿勢が俺にとっては結構ダメージだったりする。揉まれている俺を助けようとする気もなければ、待っていてやろうという気もないらしい。電車が止まったが最後、はいさようなら、なのだ。

 向かう先は同じ学校だというのに、あまりにもつれない。

 まあ、電車を降りた後バスを使う千草と自転車を使う俺とでは、この先の行動を共にするのは困難であるのも確かだが。

 それでも、自転車置き場とバス停はわりと近くだし、そこら辺まで一緒に歩いてくれてもいいのに、と思うのは俺のわがままだろうか。

 俺たちにそこまで深い関係はないのだから仕方がないのかもしれないけれど。

 それにしても冷たい。その徹底した態度たるや、それはもう冷たい。一瞬にして俺を寄せつけないオーラをはり巡らされる感じである。

 いつか、追い付いてやりたいと、毎朝そう思っていた。

 俺が千草の動きについていければ、少しぐらい途中で言葉を交わしてくれるかもしれない。




 その日、電車を降りる際にやはり見失ってしまった千草を、ホームの階段を上がった辺りで発見した。千草が混み合うエスカレーターに乗っている間に頑張って階段を駆け上った甲斐があった。

「千草さん」

 人混みを泳ぎながらなんとか近寄ってその腕をつかむ。

 足を止めて振り向いた千草は一瞬驚いた顔をして、それからため息を一つ吐いた。


「なに?」

「たまには一緒にいきましょうよ」

「いやだ」


 3文字で俺を拒否した千草は、再び人混みへ消えようとする。

 へこんでいる暇もなく、俺もその後を追った。

 声をかける余裕はなく、必死で後ろについていく。

 改札を抜け、駅から外へ出る頃にはだいぶ人の数も減り、俺はそこで再び千草に追い付き隣に並んだ。


「ねえ、千草さんてば」

「あのなあ、電車からバス停まで全力で行かないとバス間に合わないの。邪魔するな」

「えー、だって俺自転車だけど全然余裕な時間っすよ?」

「ここのバスの本数、そんなに多くないんだ。それに、バス降りてから学校まで、学校に入ってからも教室まで、走れない俺にはそれなりに時間が必要だ。自分の基準で測るな」

「そっか、ごめんなさい」


 そう言われてしまっては俺にはどうすることもできない。ただ黙って千草と同じペースで歩いた。彼の歩みのスピードを邪魔しなければ問題ないだろう。話はできなくても、隣で歩いているだけでもそれはそれで幸せだ。

 すると、唐突に後頭部をバシンと叩かれる。


「バス行っちゃったじゃねーか、このヤロウ」


 目の前を走っていくバスが一台。あれに乗る予定だったらしい。

 ここからバス停まで20メートルほど。バスのスピードに追い付くのは千草の足ではまず無理だろう。


「どうしてくれるんだ、お前のせいだぞ」

「あー、じゃあ、責任とって、俺のチャリの後ろに乗せます」

「おまえ、はなからそれが目的か?」

「違いますよ。今思い付いた妙案です」


 眉を顰め、しばらく考えた千草は、けれど遅刻するよりはいいだろうとそれを承諾した。

 まさか、千草と二人乗りできるなんて。

 夢のような甘い展開に、俺は飛び上がって叫びたい気分だった。


「ああ、でも、後ろに立つタイプなら無理だぞ。平均に体重かけられないから」

「問題ないっす。俺の愛車はママチャリですから。荷台はバッチリついてます」

「ママチャリかよ。お前、そのナリで?」

「置きっぱなしだから、良いチャリだとすぐ盗まれちゃって。母ちゃんのお古で我慢してます。これが案外足腰鍛えられていいんすよ」

「…選択誤ったかな」


 ぽつりと呟いた千草だったが、やっぱりやめるとは言わずに自転車置き場までついてきた。




 後ろに千草を乗せて、ペダルを漕ぎ出した。

 すいすいとカッコ良くはいかないのがママチャリの悲しいところで、ぐらりぐらりと左右に揺れる。


「おい、ちょっと、大丈夫なのか?」


 振り落とされてはたまらないと、俺に掴まる千草の手に力が入る。

 ああ、おいしい展開、なんて俺は一人浮かれ気分でペダルを漕ぐ足に力を込める。


「すいません、後ろに人乗せたことないんで。でも大丈夫っす。スピードに乗るまでの辛抱ですっ」

「俺ら、とてつもなくかっこ悪くねえ?」

「バス通り横切ったら後は人の少ない裏道行きます」

「ぜひ早くそうしてくれ」


 いつになったらスピードに乗るのか、男二人乗りのママチャリは、周りの視線を集めながらふらふらと危なっかしくバス通りを横切っていく。


「しっかり掴まってて下さいよ」

「お前がしっかり漕げ。陸上で鍛えてんだろ?」

「漕いでますよ。千草さん重いんすよ」

「俺のせいか?…うわっ」


 一段と自転車が傾き、千草が俺にしがみつく。

 倒れるのだけは回避しつつ、俺はにんまりと自分の顔が緩むのを感じていた。


「まさか、こういう作戦なのか?」

「違いますよ、たなぼたです」

「へらへらしてないでしっかり漕げっての!」

「は~い」


 しっかりと真直ぐに漕げるようになったのは、その道程の半分ぐらいを行った頃だった。


「なんか、やっとコツがつかめてきましたよ」

「おせーよ。このペースで間に合うのか?」

「次のバスの方が早かったりして」

「お前が言うな、馬鹿。絶対間に合え!遅刻したら二度と乗らないからな」

「やったぁ!間に合えばまた乗ってくれるんだ」

「そんなこと誰も言ってない。喜んでないで急げよ」


 ご褒美を目の前のぶら下げられた馬のようにスピードを増した自転車は、先ほどまでの危なっかしさは微塵もなくなったが、ママチャリではあり得ないスピード感に、しがみつく千草の腕は緩まなかった。


 後半の追い上げは我ながら見事だったと思う。始業時間まで10分もの余裕を残し、俺たちは校門をくぐった。


「合格?」


 自転車を降りた千草は半ばぐったりしており、首を横に振った。


「安全運転できないやつは失格だ」

「千草さんが早くって言ったんじゃん」


 俺の抗議に返す言葉はなく、ただひらりと手を振って千草は3年生の校舎に入っていった。

 一人自転車置き場に向かいながら、俺はまだ背中に残る千草の感触を噛み締め頬を緩ませる。

 毎朝こんな風に登校できたらなと、そんな夢を思い描きながら。



<終>

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