第2話 告白

告白



「ったくよ!」


ドスンと言う音がしそうな勢いで、龍也はホールに置かれた一般客の座るソファーに勢いよく座った。


今まで、親分さんの前でかしこまって居たのが嘘の様な力の抜き様だ。


龍也はだらしなくソファーの背もたれに背中を預け、苛立ちを隠そうともしない。


「お酒…何が良いですか?」


聞いた私の声は震えている。


「……スミノフをソーダで割って、カットライムを乗っけてきてくれ」


龍也は一瞬私の顔をじっくりと覗き込んだ後、好みの酒の注文をした。


「スミノフ……」


私は注文されたものがなんで有るのかを理解できず、たった今龍也が言ったことを口の中で反復した。


「なんだ、分からないのかよ」


龍也の苛立ちは、私の愚鈍さへ向いた様だ。


「すみません。初めて聞いた名前だったので」


弾かれた様に頭を下げ、私は龍也の前でかしこまった。


「ウォッカだよウォッカ。ウォッカソーダをレモンの代わりにライムを乗っけて来いって頼んだんだよ。まあ、そもそもそれはウォッカリッキーって飲み物なんだけどよ、その方が分からないと思ったから作り方を説明したんだよ」


「そうだったんですね…じゃあ、ウォッカリッキーをスミノフでってバーテンダーに伝えれば分かりますか」


今聞いたことを整理し、私が理解したことを龍也に尋ねた。


「おう、大正解よ。お前賢いじゃねえか。ライムはフレッシュでな。大概の店はライムジュースで割ってくるからよ。あれは嫌いなんだよ」


随分とこだわりの強い人だと思った。


10年前の龍也に、そんな所は欠片さえ見えなかったと言うのに、時の流れが変えてしまったものは、見た目だけでは無いのかも知れない。



バーテンダーから先程龍也が言った通りのものを受け取り、ウエイターには頼まず、自らの手でそのお酒を運んだ。


「これで良かったですか?」


震える手でテーブルに置こうとするのを龍也が横から奪う様にグラスを取った。


そのまま口元に運び、クビリと一口飲んだ。


「うん、これで良い」


そう言って龍也は初めて笑顔を見せた。


ひどく安心している私が居た。


「ところでよ、お前なんでさっきから震えてんだよ。俺が怖いか?」


龍也は真顔だ。


「そんな事有りませんよ」


精一杯の作り笑いで私は答える。


「嘘つけ、さっき大声出したからヤバい奴だと思ってんだろ?」


そう思ってくれてるなら、私としては好都合だ。


私が本当に恐れているのは、私が私だと龍也さんにバレる事…。


どうか気付かないで欲しい。


私は薄っらと笑みを浮かべたまま、首を横に振った。


「いやな、あれが本当の女だとしたってだぞ、俺はこの化け物がって言ってやったよ。他にどう言えば良いんだよ。まるで悪役の女子プロレスラーみたいじゃんかよ」


私はその言い方が可笑しくて、初めて心から笑う事が出来た。


「おー、笑った笑った…それで良いんだよ。別にお前達に偏見なんか本当にないんだからよ」


そうか…龍也さんは私を安心させようとしてくれてたんだ。


あの頃の龍也がそこに居た。


「弟分って言うとどうも業界っぽくて嫌なんだけどよ、ガキの頃弟みたいに思ってたヤツがいてよ、そいつから自分は女だなんて聞いた訳じゃねぇけど、俺の身内にもいるんだよ…あんたらみたいのが」


突然の龍也からの告白…その言葉に私は凍りつく。


それはもしかして私の事なのだろうか…。


胸がざわついた。


あまりの突然さに、どう返事をしたら良いのかさえ、私には分からない。


涙を溜めないように、私は必死の思いで作り笑いを顔に貼り付けた。


その瞬間、店の照明がすべて消え、フロアー中央にあるシルバーのポールにスポットライトが当たった。


ただでさえ賑やかな音楽の流れる店の中、スピーカーから吐き出される音は更に賑やかなアップテンポの曲へと変わり、大音響でウーハーから吐き出されるベースの波動で身体を揺すられる程だ。


ミラーボールが勢いよく回りだし、真っ暗な店内を宝石箱の中へと誘っう。


その場所にいるすべての人の目が、フロアー中央のポールに集まったとき、一際明るいピンスポットが店の出入り口となるエレベーターのドアを照らし出した。


その光の中心に、最大限に女性の魅力を引き出すセクシーな衣装を着たダンサーが、誰もが知っているマリリンモンローのあのポーズを真似て立っている。


店の中に大きな拍手や指笛が鳴り響いた。


ダンサーは、女性にしては大柄だと言うのに、更に底の厚いヒールを履いている。


腰を振り、時には客席にウインクを投げながら、ダンサーは官能的に、そして力強くポールへと向かって行った。


ポールへたどり着いたところで深々と頭を下げ、重力に勝てず乱れた髪を更に振り乱す様にポールダンスのショーが始まった。


意図的に厚く施された化粧、ポールを回転する度に振り回される長い髪、能の舞台を連想させるそのショーに、そこにいる誰もが圧倒されている。


自由自在と言う言葉がそのまま当てはまる様に、ダンサーはポールを上へ下へと駆け巡り技を決めて行く。


その度、龍也も大きな拍手を送っていた。


タイミング良く始まったポールダンスのショーは、龍也の発言によって動揺していた私に束の間の考える時間を与えてくれた。


ガキの頃弟の様に思っていた…それが私の事だとしたら…私はこの場で涙を流さない自信は無い。


ガキの頃と言うのだから、もっと子供の頃、同じ小学校や中学校にそんな男の娘がいたのかも知れない。


聞いてみたい…でも聞きたくない…。


龍也の言う弟の様な存在とは誰なのか。


それが私だった時の喜びと溢れ出す感情の涙…私じゃなかった時の落胆と失望。


それほどまでに私の青春は、銀幕のスターを思うように龍也一人を思い続けていた。


皆が…そして龍也さえもが引き込まれているポールダンスのショーの間、私の思いだけがスポットライトに浮かび上がったポールの上を駆け巡っている。


「ようっ!」


大音響の中、がなり立てるように龍也が私を呼んだ。


思いを巡らせていた私はその声を聞き逃してしまう。


「なあっ」


龍也がもう一度呼んで、私は初めてその声に気が付いた。


「あっ、ごめんなさい…」


ポールの上を彷徨っていた視線を、あわてて龍也に向けた。


「お前ぇ、ボーッとしてんな」


人懐っこい笑顔で、龍也が私を見ていた。


「ごめんなさい」


「お前ごめんなさいばっかだな。別に悪かねぇからいちいち謝んなくて良いよ」


「はい、ごめんなさい」


「だからよ…」


まるで安物のコントの様な会話。


私は緊張を深め、ただでさえ慣れない接客の仕事が、更にギクシャクとしてしまう。


そんな私に気を許してくれたのか、龍也は笑顔のままだ。


「あの踊ってるお姉ちゃんも、お前らと同類なのか?」


私の耳元に顔を近づけ、龍也が聞いた。


一瞬の急接近に、私の心臓も踊り出す。


「……」


何も言葉が浮かばない…たった今、何を聞かれたのかさえ思い出さない…私はパニック寸前だ。


「お前なぁ、ちゃんと仕事しろよ」


ずっと笑顔のままで私に話しかけてくれる龍也に、あの頃の匂いが戻って来た様に感じ始めていた。


「ごめんなさい」


謝るなと言われても…他に言葉も浮かばない。


「だから、あのダンサーもオカマかって聞いたんだよ」


「あっ、あっ、違います、違います。女です、女です」


団扇でも仰ぐ様に、私は顔の前で掌をパタパタと振りながら答えた。


途端に龍也が声をたてて笑い出した。


「お前、もうちょっと勉強してから接客につけよ。ここは気取った店なんだからよ。何だよこれは」


そう言って龍也は、たった今やらかしたばかりの私の失態を真似、身を捩るように笑った。


私は顔を赤くし、うつむくしかなかった。


「それにしてもたいしたもんだよな」


再び龍也が話し始めたことで、私は恥ずかしさを堪え龍也に視線を向けるしかなかった。


「いやな、あんな鉄棒一本にしがみついてよ、鯉のぼりみたいに真横になってみたり、てっぺんまで登ったかと思えば今度は急降下で地面すれすれでぴったり止まって見せてよ、ありゃ相当な力がなきゃ出来るもんじゃないぜ」


龍也はポールダンスのショーがよほど気に入ったのか、やたらと感心して見せる。


「気に入っていただけて良かったです」


私の言葉に「ああ、気に入った」と一言だけ返し、龍也はポールダンスのショーに視線を戻した。


「もうすぐショーが終りますので、ダンサーが席に回って来たらチップをあげてくれますか」


私の言葉に、我が意を得たりとばかりに財布を取り出し「1万円も渡せば足りるか?」と龍也は聞いた。


「とんでもない…この店では一人千円と決まってるんです。渡さない人も居ますから」


「馬鹿野郎、いいヤクザが青いお札なんて人に渡せるかよ」


龍也はそう言って一万円札をテーブルの上に置いた。


「本当に…皆さん千円なので龍也さんも…」


私はやんわりと、一万円札を龍也の方へ押し戻した。


渋々と言った体で龍也はその一万円札を財布に戻し、代わりに数枚の千円札を札入れから抜き取った。


「千円札はこれっきり無ぇから全部くれてやってくれ」


くるりと手首を回し、器用な手つきで千円札を半分にたたみ、私の前に放り投げた。


千円札は3枚有った。


まあ、これくらいなら仕方ないだろう…。


それに、これ以上お店のルールを説明しても、きっと怒りだすに違いない。


でも…。


「チップはご自分で渡してください」


私は一度手に取った千円札を縦長の二つ折りに直し、龍也の手を取ってそのお札を握らせた。


「あぁ?」


眉間に深い皺を寄せ私の目の奥を覗き込んではいるが、どうやら怒っている様ではなさそうだ。


私は「クスリ」と笑い「見れば分かりますから」と言った。


ショータイムが終わり、お店の照明が少しだけ明るくなった。


酔客たちは待ってましたとばかりにダンサーに手招きをし、自席へ来る様に促す。


ダンサーは呼ばれた席へ軽やかなステップで移動し、時には腰を時には胸を客の手の届く距離に突き出す。


客は大喜びで、極限まで小さく絞り込んだダンサーの衣装の胸元や腰元にチップの千円札を挟み込む。


神社のおみくじよろしく、ダンサーの衣装が長く折った千円札で埋まっていく。


遂にダンサーが龍也の席に回って来た。


ダンサーは「さあ股間に挟め」とばかりに、龍也の座るソファーの背もたれにハイヒールを履いた足を高々と掲げ、腰を振りながら龍也を挑発している。


周りの酔客からはやんやの喝采が沸き起こっていた。


龍也が、憮然とした顔でダンサーを見上げている。


龍也にしてみれば初めてのショータイム。


戸惑いは言われなくとも私にも伝わっていた。


中空で龍也の手の中に握られたままの千円札を、私が奪ってダンサーに渡そうとした時、もう一方の何も持っていない龍也の手が動いた。


その手は、腰に当てていたダンサーの手首を掴み、自分の方へ引き寄せ目の前で掌を開かせた。


龍也はその掌の上にチップの千円札を静かに乗せた。


酔客たちの落胆の声の中、ダンサーは龍也の前でセクシーなダンスを披露した後、別の席へと移動して行った。


スマートなやり方だった。


一歩が間違えれば、機嫌を損ねていたかも知れない場面で、龍也の対応がヤケに遊び慣れている様に思えた。


「ごめんなさい」


私には、やっぱりそんな言葉しか浮かばない。


「なにがだよ」


龍也の問い掛けに、私はただ首を振るしかなかった。


「飲めば酔う、酔えばハメも外すさ…別に笑い者にされた訳でもなし、気にするこたぁ無ぇよ」


龍也はそう言って私の肩に手を乗せた。


やっぱり龍也は優しい。


あの頃の龍也が次から次と顔を出す。


私はときめきと戸惑いでいっぱいだ。


ショータイムが終わり、店内はいつもの落ち着きを取り戻していた。


お店の閉店まであと少し…今日は当たり障りのない話だけをしよう。


弟の様な存在が誰だろうと、今の私の精神力ではきっと取り乱してしまう。


どうかもうこれ以上何事も無く、今日一日が終わってくれます様に…。


私は祈る様な気持ちだった。


「さっき言った弟分の事だけどな…」


龍也が口を開いた時、私は目を閉じ「神様…」と心の中で呟いた。

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