《西暦21517年 菊子1》その一



 このごろ、菊子は不安だった。

 コロポックル(土星人たちの愛称になった)たちの研究を始めて半年。

 研究の成果は大きい。御子の細胞とコロポックルの細胞を比較研究することで、これまで謎だった御子の不死のメカニズムが解明されつつある。


 もちろん、菊子たち研究者だって、だてに二万年もクローン再生をくりかえしてきたわけではない。御子の不死性や再生能力の研究はかさねてきた。

 御子の不死性にはES細胞が強く関係していることはわかっている。ES細胞の増殖過程や、増えたES細胞を適宜に働かせるために、司令塔になっている何種類かのタンパク質など。


 ただ、その働きの複雑さを再現することは、これまで不可能だった。

 なんというか、御子のES細胞には思惟性のようなものがある。同じ条件でも働くときと働かないときがある。

 そのへんが研究者を悩ませてきた。ただの生理現象と言ってしまうのでは説明ができないのだ。


 しかし、コロポックルたちの研究が進めば、その謎も解き明かされる。

 たとえば、コロポックルたちのケガの治癒速度は本人が痛みを強く感じるほど速い。甘いお菓子を食べているときなど、ほかのことに夢中になっているときには治癒が遅い。痛い、治したいと思う気持ちが治癒力に影響している。

 おそらく脳内ホルモンや神経伝達物質が、ES細胞をコントロールする酵素の分泌に関与しているのだ。そういうデータもそろってきている。


 また、彼らの特色である、泥と水だけで身体組織を維持できる仕組み。

 彼らは土に含有されるリンやミネラルを分解し、水素や酸素と化学反応を起こして糖に変えることができる。

 つまり、光合成だ。細胞内で光合成をおこなっている。植物のようなその能力は、あるウィルスの寄生によって獲得された。ヘルときわめて酷似したウィルスだ。コロポックル型ヘルと、菊子たちは呼んでいる。


 ヘル・ウィルスのDNAと比較すると、同種のレトロタイプとわかる。ヘルに似ているが、ヘルより構造が単純だ。コロポックル型のほうがヘルより古くから存在しているということである。


 ヘルはこのコロポックル型から進化したのではないかと考えられる。そんなはずはないのだが。

 ヘル・ウィルスの原点になっているのは、御子の細胞だ。いや、もっと正確に言えば、御子から不老長寿をわけあたえられた巫子の体組織だ。水魚や茜、昼子などの細胞が実験に使われた。


 その巫子の細胞から得られたヘルが、コロポックル型より新しいもの。ということは、コロポックル型は御子より古くから存在していなくてはならない。

 あるいは、御子自身がコロポックル型に感染したために、不死性を得たか。そして、御子だけがコロポックルたちとは異なる進化をした……。


 こう仮定できる。

 かつて地球にコロポックル型ヘルが存在していた。御子はその感染者だ。同時に、コロポックルたちの祖先の宇宙海賊たちも、これに感染した。それはヘル・パンデミックより遥かに古い時代。

 御子だけが発症し、不死性を得た。宇宙海賊の先祖たちは感染はしたものの、発症はしなかった。母体感染で子孫へと、ひそかにウィルスが伝えられた。そして土星に落とされたとき、劣悪な環境を生き残るために、とつじょ発症した。二万年という歳月をかけて、土星の環境に適した新種のウィルスとなった。

 したがって、御子の不死性とは症状が多少異なる。


 でも、疑問も残る。

 なぜ、御子だけが古代に発症して、コロポックルの先祖たちは発症しなかったのか?

 コロポックル型ヘルが真に地球由来のウィルスなら、なぜ、もっと多くの人が感染しないのか?

 あるいは彗星の一部や隕石が地球に落下したとき、付着していたウィルスだったのか? 隕石にふれたごく少数の人だけが感染したからか?


 そうも思う。

 だが、二万年より、さらに二千年も前のことだ。今さら調べようがない。


 あきらかなのは、まずコロポックル型が存在し、そののち今のヘルへと変異したということ。この事実は動かしがたい。

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