一章

《西暦21517年 猛1》その一

《西暦21517年 猛1》



 秋の夜は静かだ。

 午前零時。

 ふもとの世界首都となった出雲はにぎわっている最中だろう。が、御子の里、この不二村はパンデミック前と同じ。

 21世紀どころか、昭和初期からほとんど変わらない暮らしが保たれている。

 山間にひっそりと広がる田園風景。

 かやぶき屋根の家々。

 秋夜の静寂に響くのは、無数の虫の声だけ。


 この静寂のなかでは、二万年で世界に起きた変化は、すべて夢だったかのように思える。


 まだ猛がクローンではなく、オリジナルだったころ。

 人類を奇形化させる奇病ヘル・パンデミックによって、人類が死滅したこと。ごくわずかの人間だけが生きのびた。あるいは一部は月へ逃げだし、そこを第二の地球としたこと。


 地球で生きのびたわずかの人々をたばね、国家として蘇らせたのは猛自身だ。数百年という月日をかけて。

 そんなことができたのは、猛がただの人間ではないからだ。いや、猛がというよりは、蘭が。


 この世でゆいいつ不老不死の御子。

 世界の神——蘭。

 そして、猛の大切な友人。


 自室の八畳の和室に布団を敷いてよこたわったものの、猛は興奮して寝られない。


 今夜は特別な夜だ。

 蘭が記憶をとりもどした。

 この二万年という年月、蘭を守ることにだけ命をかけてきた。


 猛にとっての自己存在理由が、今夜、言った。

「もう一度、あなたたちと生きてみるよ」と。


 その言葉は猛の胸をふるわせた。

 オリジナルの記憶を持ちながら、クローンであるという猛の存在が、蘭に認められた瞬間だ。


 オリジナルだろうとクローンだろうと、おれはおれだよ——と、つねづね、猛は思っていた。自分がクローンであることをコンプレックスに感じたことなど、みじんもないと。


 だが、蘭に言われて、少しホッとした。自分では気にしていないつもりでも、やはり心のどこかでは小さなとげとなっていたのだろう。


 これまで死んでいった六十七体の自分の苦労は徒労ではなかった。

 何よりも嬉しいのは、これからは蘭と未来を生きていけるということ。


 ずいぶん前に世界は統一していた。でも、やっと今、ほんとに実現したのだと思う。オリジナルのころ、自分が夢見た世界。蘭が笑って生きていける世界が。

 世界中の人が蘭を愛し、守り、傷つけない世界。

 そのなかで蘭が自由にふるまえる世界だ。


 パンデミック前の世界は、蘭にとって危険が多かった。あまりにも蘭は美しすぎたから。トロイのヘレネにひとめぼれした直後のパリスだって、蘭を見れば、あっさりヘレネから鞍替えしただろう。


 男でありながら絶世の美女のような美貌に生まれたことが、蘭の不幸だ。幼いころから幾度となくストーカーにつけ狙われ、殺されそうになった。


 いや、一度はたしかに殺された。

 御子の不思議な力がなければ、あのとき、蘭は死んでいた。大切な人を守りきれなかった苦悩に、今ごろ猛は七転八倒していたところだ。


 でも、生きていてくれた。

 猛の親友を勝手に不老不死になんてしてくれて、御子には恨みもある。が、あんな形で蘭を死なせるくらいなら、不死のほうがマシだ。それには感謝している。


 しかし、それにしても御子とはなんなのだろう。

 こんな夜には考えずにはいられない。


 わかっているのは、古代出雲で生まれた『死なない体』を持つ突然変異体だということ。

 名は蛭子ひるこ

 血や肉をわけあたえることで、あたえた相手を不老長寿にする。

 血肉を狙われ、数えきれぬほど殺されては蘇生した。その苦痛から逃れるために、今では胎児に退化している。蘭の体を寝床にして。


 御子は体内で無限にES細胞を作りだすことで不死を保っている——などの研究成果はある。

 だが、わかっているのは、そこまでだ。


 そもそも、そんな人間がなぜ、古代出雲にひょっこり現れたのか。ただの突然変異で説明のつくものなのか?


 論理を好む猛としては、どうしても突然変異のひとことでは納得できない。とは言え、研究者ではないし、猛には永遠に解けない謎なのかもしれない。


 まあいい。御子が何者だろうと、蛭子の器として永劫を生きると、蘭が決意したのだ。

 猛のこれからの使命は、蘭のために世界を保ち続けることだ。

 蘭が生きているかぎり、この世界を守る。

 それが、蘭を不老不死にしてしまった自分の責任だ。ひそかに御子を祀っていたこの村へ、蘭をつれてきてしまったのは、猛だから……。


 あれこれ考えているうちに、布団のなかで一時間が経過してしまった。今夜は寝られそうにない。明日は蘭の変化について、国民への発表がある。今後の方針についての会議もある。眠ったほうがいいのだが。


 すると、廊下を歩いてくる足音があった。猛の部屋のふすまの向こうで止まる。

 ささやき声が問いかけてきた。


「猛さん。起きてる?」


 蘭だ。きっと、蘭も寝られないのだ。

 ムリもない。今日はほんとにたくさんのことが起こりすぎた。猛よりも蘭のほうが衝撃的だったのは間違いない。


「起きてるよ」


 答えると、カラリとふすまがあいた。

 月光のなかで厳かに見えるほど美しい蘭。

 なんの整形も遺伝子操作もなしで、この顔はズルイ。

 これだからストーカーに狙われるってものだ。


 猛は苦笑した。

「なんだよ。蘭。寝られないのか?」


 蘭は笑っていた。

「寝られるわけないですよ。二万年も、あなたや水魚みおにだまされてたんだと思うと、悔しくて。だから、朝まで飲みませんか?」

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