第5話

「おい。ここ喫煙所ないのか?」

「あるけど今日は使用禁止だ。コンプラ舐めんな」

「ゲーセンで煙草吸えねえとかありえねえだろ……」


 念のために持参していた禁煙ガムを口に放り、葉太は人いきれと電子音に塗れた店内を見渡した。まず思うのは、その明るさと匂いだ。高い天井と清掃の行き届いた什器。びかびかと光るメダルゲームや競馬ゲームのコーナーにも、煙草の煙はない。

 昔の記憶のそれとは随分違うその光景は、何度見ても慣れない。ここ数日、実機での対戦勘を取り戻そうと都内のゲームセンターに通い詰めていた葉太だったが、その度に隔世の感を拭えなかった。


 大会当日、開始時間よりかなり早く到着してしまった葉太は、参加者に声をかけて回っていた店長(イベントの設営はスタッフに丸投げしていやがった)に捕まり、そのまま雑談していた。

 昔と変わらない趣味の悪いスカジャンの上から、申し訳程度に運営の名札を提げた昔馴染みと一緒に、続々と集まってくる参加者を観察する。

「お。来たな」

「ああ。あいつが……」

 喧噪の中にどよめきが起こり、件の有名プレイヤーが参上したのが見えた。

 にこにこと笑って知人に挨拶し、どうやらファンであるらしい若者たちとの握手に応じる爽やかな青年を、眉根を寄せて見やる。


「なんだありゃ」

「最近のゲーマーはマナーがしっかりしてんだよ」

 なるほど、対戦後に灰皿を投げ合ったり、負けた腹いせに筐体をぶん殴るような連中は、もういないのだろう、と、葉太はまた一つ遠い記憶に思いを馳せた。

「なんだかな。思わず――」

「吠え面かかせたくなるだろ?」

 その物言いに苦笑してしまったが、葉太の喉元まで出かかった言葉は、ほとんど似たようなものだった。


 その時。


「あ、店長!」

 騒がしい店内の中、鈴の転がるような声と共に、小柄な人影がぱたぱたと駆け寄ってきた。

 そのまま葉太の隣のスカジャンの胸元に飛び込み、ハグをする。

 雑に結わえたお下げ髪が宙に揺れる。

 春川桜子だった。


「おう。調子どうだ?」

「バッチリ。見ててよね。私の試合」

「教えたこと忘れんなよ。『常に相手の嫌がることをしろ』」

「『やるなら徹底的に叩き潰せ』。でしょ?」

「上等だ。優勝獲ってこい」

「らじゃ!」


 突然抱き着いてきた女子中学生に物怖じすることもなく、その髪をがしがしとかき回す旧友と、無邪気な顔で敬礼を返す教え子に、葉太は盛大なため息を吐いた。

中学生ガキ相手に何教えてんだテメェは」

 そこで初めて葉太の存在に気が付いた桜子が、思い切り顔を顰めた。

「……なんでセンセがここにいんの?」

「いちゃ悪いか?」

 恐らく、こんな大会に参加する自分を止めに来たと勘違いしたのだろう。葉太の目に、桜子の心の防壁が安土城のように立ち塞がるイメージが湧いた。


 抱き着いたままの桜子を引きはがした店長が、にやけた顔で葉太を指さす。

「こいつも参加すんだよ。名簿配ったろうが」

「いや見てないし。ウソ。マジで? なんで? ていうか、二人知り合いなの?」

「おい春川。先生にはハグしてくれないのか?」

「は? キモいんだけど。したきゃ店長としてれば?」

「「ゲロ吐きそう」」

「なにそれ。ウケる。……あ。ちょっと待って。やっぱやめて。想像したらあたしも吐きそうになった」

「「ぶん殴るぞ」」

「ハモってるし。ウケる」


 にしし、と悪戯っぽく笑って、桜子は人でごった返す筐体の並びへと駆けて行った。

 顔馴染みらしき連中と挨拶を交わす少女を見送りながら、しばらく葉太と店長中年二人はは無言で相手の足を蹴り合っていた。


 大会の参加者は32名。2試合先取のトーナメント形式で戦い、優勝者には金一封。

 筐体は全部で4台使われるので、一試合目は4回転で消化される。

 葉太と桜子は隣通しのブロックだったので、対戦するとしたら4試合目の準決勝だ。そして当然、それは二人が順当に勝ち上がったらの話。

 

 葉太の初戦の相手は、ぷっくりと太った高校生くらいと思しき男の子だった。

 対戦相手の葉太の顔を見て「え?」と狼狽え、葉太から「よろしく」と手を差し出すと、あ、う、ともごもご口を動かし、まるで小鳥でも保護するかのような柔い力で握手に応じてきた。

 苦笑した葉太が力強くそれを握り返した時、びくりと肩が震えたのがなんとも可愛らしかった。


 葉太の使うキャラクターは、体中に荒々しい紋様を描いた古代の戦士。攻守にバランスの取れたアクの少ないプレイが特徴。

 相手はつい先々月に実装された追加キャラで、一発のコンボダメージが大きいのが最大の強みだ。


 自分が攻撃するほど溜まるゲージと、自分がダメージを受けるたびに溜まるゲージ。二種類のゲージを使ってコンボや戦術を強化するのがこのゲームの特徴の一つ。

 実装されたばかりのキャラを使いながらも、高難度のコンボを連発する相手に、葉太は一試合目のラウンドを取られた。


(なるほどね。ボク頑張って練習してきました、って感じだな)

 つまらなそうな顔で2ラウンド目を構えた葉太は、開幕早々軌道変化する前飛びで強襲してきた敵を、小パンチで落とした。

 

 轟々と繰り出される派手な技はガードし、ジャンプ攻撃は通常技だけで落としていく。

 飛びが通らないと見た相手は地上での差し合いに意識をシフトしたが、敵の置く牽制技の一つ一つを、葉太の拳が叩いて返した。

 葉太のような、最初期の格闘ゲームをプレイしていた人間にとって一番得意なのが、実はこの地上戦だ。当時はゲームスピードも遅く、飛び道具の処理も敵のジャンプ攻撃を落とすことも大して苦労はなかった。そんな中で唯一有効な攻撃手段が、地上での足払い戦だったのだ。


 距離とタイミングを見極め、敵の技のギリギリ届かない間合いで攻撃を誘い、狩る。

 相手が委縮したタイミングで前に踏み込み、ガードした相手を投げ飛ばす。

 言葉にすればこれだけのことだが、この技量に差があると、まるでシステム上の補助を受けてるのではないかと疑わせるほど一方的に相手の技だけが狩られていく。


(画面をよく見ないで独りよがりにプレイしてると、そうなるんだ、ボウヤ)

 焦って雑になった相手の行動を冷静に処理し、結局その後は一つのラウンドも取らせずに、葉太は初戦を勝ち抜いた。


つよ……。ていうか上手うま……」


 挨拶もそこそこに逃げるようにしてその場を離れた対戦相手を見送った葉太の後ろから、ぼそっと声が聞こえた。

 振り返れば、顔を顰めて腕組みした桜子が、睨みつけるようにして葉太を見据えていた。

「おう。見てたのか」

「先生、やっぱガチの人じゃん」

「なんだよ、ガチの人って。日本語使え、日本語」

「はあ? 日本語だし。意味わかんない」


 何故か不機嫌な声を出す教え子に、葉太は苦笑を返すことしかできない。

「あのさ。センセ」

「なんだ」

「あたし、何言われてもゲームやめないから」

「何警戒してんだよ」

「お説教とかホント要らないし」

「今日はしないって」

「あと、俺はお前のこと分かってるからな、とか、そういうのも要らない。変に理解者ぶられるの、マジでむかつくから」

「俺は中学生おまえらのことなんか何一つ分からないよ」

「じゃあホントなにしに来たのさ!」

「決まってんだろ」


 口の端をにやりと持ち上げ、それに答える。

 

「あのクソ店長が方々手ぇ尽くしてかき集めた優勝賞金、毟り取りに来たんだよ」

「あっそ!!」


 しまいには顔を真っ赤にして背を向け、自分が試合を行う筐体へ、どすどすと鼻息荒く歩き去った教え子を見送ると、葉太は懐から禁煙ガムを取り出し、口に放った。

 

 やれやれ。

 試合前にメンタル乱してどうするんだか。


 精々邪魔しないようにしてやろうと、葉太は桜子の対戦相手側の筐体の後ろに回り、試合を観戦した。


 桜子の一回戦は死闘だった。

 どの試合もフルラウンドで一進一退し、最終ラウンドのギリギリまで粘って、粘り抜いた桜子が辛勝する形で駒を進めた。

 正直、観ていただけの葉太の心臓の方が悲鳴をあげそうで(ただでさえ高血圧を注意されているというのに!)、何とか勝利を収めた桜子の姿に心から安堵し、本来ならば他の選手のプレイを観ておくべきはずの時間を、葉太は休憩スペースで心拍数を抑えることに使う羽目になった。


 その後、葉太は危なげなく二回戦・三回戦を勝ち進み、準決勝へと駒を進めた。

 そして、毎試合ごとに満身創痍になりながら、桜子もまた、同じ舞台へと上がってきたのだった。

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