Chop suey!

D・Ghost works

レナルトは一文無しのバックパッカー

 チキン、もしくはポークに色んな野菜を混ぜて、ごった煮にして醤油や塩で味付けし、片栗粉でとろみをつけた餡をライスやチャーハンにかけたチャプスイという料理を初めて食べたのはアメリカ人が経営してるテイクアウト・レストランで、そうそう、餡が染みてグズグズになりかけた紙箱に入ったチャプスイをプラスチック・スプーンで頬張ってたんだ。お腹は減ってたから味は良かったよ。多分。バス停のベンチに腰掛けて雨上がりのアスファルトの臭いを嗅ぎながら……


 ※ ※ ※


 あの日と違い、蒸し暑いカフェには地元の住民じゃない連中、垢っぽくて、日に焼けてて、無精髭が伸びて汗臭く、誰もが大きめのバックパックを傍らに陽気にしてて、でも彼らの共通点なんてそれくらい。肌の色も目の色も髪の色も違っていて、南アメリカの重たい熱気と彼らの体臭や、巻紙の臭いが混ざり合った『ごった煮感』があの料理に似てるような気がして、陽気さに耐えられなくなった僕は壁に掛けられた時計に目を向けるとコーヒーを注文してから長針が三周半回っていた事に気づいた。

 その間、カウンターに付いた煙草の焦げ跡を三十二個まで数え、カウンターの奥に並んだグラスを六十個数え、それから空のコーヒーカップを見下ろしてチャプスイについて考えてたんだけど、ウェイターからの視線もさることながら、固い椅子のせいで尻が痛い。

 立ち上がると下手くそなスペイン語でウェイターに声をかけてチップを渡した。コインを見たウェイターの不満げな顔。彼の顔より不満げな僕の財布。


 赤茶けた道に出れば風が吹くたび砂埃に襲われる。太陽はまだ高い。汗ばんだ顔を掌で擦り、ざらつく不精髭と砂粒の感触を確かめた。

 潰れたサッカーボールを蹴る子供達の甲高い声を耳にして歩くこと十数メートル、真後ろから近づいてくるエンジン音に気づいた。排気ガスを盛大に舞い上げる一台のバイクが横を通り抜けていく一瞬、運転席に跨る男の砂埃に霞んだ風貌に覚えがあった僕は途端に走り出した。

 走ったんだけど僕の背中には大きなバックパック。足を踏み出せば背中で揺れて、ポケットの中でスキットルがチャプチャプ鳴る。


「待てよ! おい! 待てって」


 必死に英語で叫ぶと、近くでサッカーボールを蹴ってた子供達がこっちを向いた。


「おい! 待てよ! クソ」


 ヘルメットからはみ出した長髪をなびかせ、男は一度だけ僕の方を見るとすぐにエンジンをふかすから、間違いない、あの男、完全にこっちに気づいてる。


 あっという間に小さくなっていく後ろ姿は僕を置き去りに十字路を右折していくけど、でも唯一の手掛かりにすがるように追いかける僕は無理だとわかっていても、全速力で十字路を右へ……

 右へ曲がった瞬間、僕は壁にぶつかって仰向けに倒れた。ギラギラ輝く太陽が目を焼いて、息が切れて、肺は痛くて、砂埃を吸ったせいで口はパサパサ、塩辛い。


「……Chikusyo」


 久しぶりに出た母国語と一緒に唾が飛んで、飛沫が頬に落ちた。太陽の隣を横切る飛行機が見えて真っ白になった頭は現実逃避。

 耳元まで響いてくる自分の心音を感じていたのだけれど、突然現れた手が太陽も飛行機雲も隠してしまった。大きな手で、その手は僕がぶつかった壁から生えていて


「大丈夫かい?」


 訛りの強い英語。声の先には浅黒い肌をした、壁のように大きな男、僕より二十センチは背が高いんじゃないかな、肩幅は二回り以上大きい。


「え、ああ、大丈夫、大丈夫」

 訛りのある英語で僕も答えた。差し伸べられた大きな手を頼りに立ち上がる。大男の手の甲は毛むくじゃらで、指先に絡まった。


「慌ててるようだけど……怪我はないか?」


 大男は僕を見下ろして言った。つばの広い帽子の下にある大きな瞳が早朝の海みたいに輝いていた。


「大丈夫だよ。こちらこそぶつかってゴメン」

「随分苛立ってたみたいだけど……」


 僕は肩をすくめて頭を振った。振った後に、今の自分の反応は見上げた態度ではないな、と感じたけれど大男は気にする様子もなく、僕に海の色の眼差しを送っていた。


「あんたも旅人かい?」

「そうだよ。君もバックパッカー?」


 大男が頷き、微笑むと臼のように大きな白い歯が口元から見えた。


「この街には初めて来たのかい?」

「うん、悪くない街だったけれど……出て行くとこだよ」

「急ぐのか?」

「……そう言う訳じゃないけれど」

「腹が減っててね。飯を食える場所を教えてもらえないかな? 詫びもしたいし」


 僕は少しばかり肩をすくめた。


「……気にしなくてもいいのに」


 彼の気遣いの理由は察しが付く。誰だって旅先で問題は起こしたくない。本当だったら、ぶつかった僕の方から提案しても良い話題だ。身銭があればの話だけど……


「ついでに街の事を聞きたいんだ。無理にとは言わないけれど……」


 正直、大男の提案は申し訳ないと同時に、ありがたかった。金銭の問題ではなく心の問題として。穏やかじゃない心のまま一人でいたら遠くない未来に良くない事をしでかすか、良くない事に巻き込まれるに違いない。僕は彼の提案に乗って、さっきまで居た店とは違うカフェへ向かった。

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