鍵を開けて下さい

 皆の願いが届いたのだろうか。この日は全国的に天候が良かった。


 各地の野外ステージでは、機器などの接続確認を終えると、巨大モニターとスピーカーのチェックを始めた。


 モニターに第七スタジオの演奏ブースが映ると、それだけで各会場の観客達から歓声が上がった。


 各会場から沸き起こる歓声もマイクで拾われ、リアスピーカーから流れるようになっている。

 重なり合う歓声はサラウンドのように、全ての会場の観客達の臨場感を煽った。



 イコライザーなどの音響機器の最終調整の為に、何か音が欲しいという各地のスタッフ。

 スタッフの要望に応えるべく、第七スタジオの演奏ブースに現れたのは神田だ。その様子はモニターにも映し出された。


 ――ピィィィン……ジャーン……キュゥゥゥーン……


 そして怒濤の如き大歓声。


 観衆を静めるべく、神田がギターテクニックを披露し始めると、各会場は一斉に静かになった。


 そこへ「ベースとドラムも下さい」と、会場のスタッフが要望する。


 第七スタジオの演奏ブースに加賀谷と秋津が登場すると、再び大歓声。


「皆さん、チューニングの間は少し静かにして下さい」


 各地の会場の様子が伺える第七スタジオのモニターでは、観客個人個人の顔は見えない。更に、今日の加賀谷はコンタクトレンズも外している。

 要するに無敵状態だ……可愛らしいヘアピンだけは付けているが。


 だが、加賀谷の声を初めて聞いた観衆達からは、更なる大歓声が沸き起こった。


「「「「「かわいいいーーー!」」」」」


 ――ズダン! ダダダダダダンッ! ドンドンドン、シャーン!


 ド迫力の秋津のドラムの音が、歓声の中を駆け抜ける――

 静まりかえった所で、加賀谷がベースを弾き始める。


 ――ボボン……ブゥゥゥーン、ビィィィーン……ボボボボンビビン……


「「「「「かわいいいーーー!」」」」」


 ◇


 全ての会場から「最終チェック完了。オールオッケーです」という連絡を受けると、残りのメンバーが演奏ブースへと登場してきた。


 先ずは中野佳音……そして菅原。


 男性達からは「カノン様ー!」とか、女性達からは「スガ様ー!」とかいう歓声が上がる。


 そしてバンドメンバーはそれぞれ距離を取って位置に付いた。


 モニターは縦に五等分したように、五人の演奏メンバーそれぞれの姿を映し出した。


 ――各会場はたちまち熱気に包まれる。


 五人のアップ映像から、それぞれのメンバーがモニターの下半分に収まるまでカメラが引いていく。


 この辺のカメラワークの指揮は江古田が行っている。

 第七スタジオの演奏ブースでは、メンバー同士の間隔を広く取っているので、一人に一台ずつのカメラを割り当て、画像処理で寄せているのだ。


 近年ではこういった合成技術は発達しているので、ハイスペックなコンピュータを含め、そこそこの機材と技術さえあれば、切り取りと貼り付けを同時に処理する事は可能だ。


 メンバー全員が見えてこそのライブだ。

 よく動画サイトでは素人が撮ったライブ映像を見かけるが、大抵はカメラが動き回るので見るに堪えないものばかりだ。

 まあ、承諾無しで勝手にアップしている時点でお察しなのだが……


 江古田はその辺りを心得ているプロフェッショナルだ。

 五人を並べ、充分に空いた背景スペースに、ボーカルをアップで映した。


 ――映されたのは高井戸美由紀だ。


 いきなりの高井戸美由紀に、各会場が沸きに沸いた。


 ……そして、イントロが始まると静かになる。

 勿論だが高井戸美由紀が歌うのは『卒業式で貴方を好きになるなんて』だ。


 そう……これは、南雲が作った曲を、贈られた本人が歌うというライブコンサートなのだ。


 高井戸美由紀以降のボーカルはランダムだった。


 ◇


 南雲には、彼女達を救ってきたのだという自覚が無い。当然、曲を作った十七人の彼女達から、心より愛されているという自覚も無い。


 そして、売れに売れた彼女達は南雲への猛アタックを試みるも、高井戸美由紀と中野佳音と芝浦ひな乃の三名がそれを未然に防いでいた。


 やがて、彼女達の間には暗黙のルールのようなものが出来上がる。


『ラブアタック禁止』それと『南雲本人から「愛してる」と言われた人だけが付き合える』

 ……みたいな。


 南雲が曲を提供した彼女達は今や超売れっ子アイドルだ。変な噂で南雲を巻き込む事だけは避けたいという考えに至ったのだ。実に礼儀正しい。


 ◇



 全国各地に設けられた、ネットライブコンサートの野外会場は益々熱気を帯びてきた。


 ――十七人目のボーカルは芝浦ひな乃。


 南雲はラストに控えていた。


 芝浦ひな乃は演奏ブースの向こうに控えている南雲を見詰めながら、これまでに無い甘え声で歌った。

 勿論カメラには南雲は映っていない。


 大歓声の中、いよいよ南雲の姿がモニターに映される。


 ――熱狂の坩堝。歓喜の叫びが渦を巻いた。


「僕の出番はまだだよ。実はもう一人ボーカルが来てくれてるんだ……」


 会場がざわつく。


「……本日限定のボーカルだけど、きっとみんなに喜んでもらえると思うよ」


 更に会場がどよめく。


 これまでの曲はどれも大ヒットしているので、特にサビの部分では皆も一緒に合唱していたが、今度は知らない曲になる。しかも、誰がボーカルなのかも分からない。


「それでは本日限定のボーカル……」


 南雲が指を差すと、その方向をカメラが追った。


「阿佐ヶ谷ゆうみ」


 わぁぁぁぁぁーーー! と会場が沸いた。



 南雲は、月島が彼女を指定してからすぐに曲を作った。

 これまでに、相手と会わずに曲を作った事は無かったが、阿佐ヶ谷ゆうみの場合は、会わなくてもイメージが湧いたのだ。


 そして中野佳音は、音源データを渡されたその日に楽譜を起こした。


 バンドメンバーはその楽譜を元に、今日のライブコンサートに間に合わせるべく、演奏のリハーサルを行っていた。


 ◇


 マイクを持った阿佐ヶ谷ゆうみ。


「先輩、今日は呼んでくれて有り難うございます」


 今、モニターに映っていない南雲が首を傾げる。


 ……先輩?


「最初に謝っておきますね、先輩」


 ……え?


「歌詞を勝手に変えちゃいました」


 ……ええっ?


 驚いている南雲を他所に、バンドメンバーが演奏を始める。


 ――そして阿佐ヶ谷ゆうみが歌い出す。



「私の想いは何処に置いてあるの……

 どうか――どうか……

 鍵を開けて下さい


 いつも見てたよ……

 先輩を見てたよ


 大好きだって

 大好きだって

 想いを込めて――


 ラララ――


 笑顔が見たいの

 先輩の笑顔が

 だから……


 大好きだって

 大好きだって

 想いが届けば――


 ラララ――


 私の想いは何処に置いてあるの

 どうか――どうか……

 鍵を開けて下さい


 何処かの小さな鍵を

 閉じたままの想いを


 ラララ――


 笑顔が見たいの

 先輩の笑顔が

 だから……


 大好きだって

 大好きだって

 想いを伝えたい――


 ラララ――


 私の想いが詰まった箱を

 小さな鍵で開けて欲しい


 私の想いは何処に置いてあるの

 どうか――どうか……

 鍵を開けて下さい


 大好きだって

 大好きだって

 想いを伝えたい――


 ラララ――


 大好きだって

 大好きだって

 想いを伝えたい――


 ラララ――……」


「「「「「大好きだって、大好きだって、想いを伝えたい」」」」」


「ラララ――」


「「「「「大好きだって、大好きだって、想いを伝えたい」」」」」


 それは自然か必然か。間もなく大合唱が始まるのだった。


 大合唱に参加したのは――


 ――延べ二百万人。



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