百万人規模のライブ構想

 高井戸美由紀の歌手デビュー曲『卒業式で貴方を好きになるなんて』のお陰で、随分と利益が出ていたローリングレコーズ・ジャパン。


 そこに所属する音楽プロデューサーの駒沢は、師走に入ったある日、カメラマンだった江古田を事務所に呼び出していた。


「よお江古田。一年ぶりか……いや、もっと経つな」


「どうもお久しぶりです駒沢さん。これ、持って来いと言われたので持ってきましたが……」


「おう悪いな、まあ座わんなよ。話はこれを見てからだ」


 ◇


 駒沢は、江古田が持ってきた『こんな仔猫でも、貴方は拾ってくれますか?』が、ミャウパー・ミュージックの第七スタジオで初めて演奏された時のVTRを見て、神田を始め、中野佳音と秋津までもが、自分の誘いを何故断ったのかを理解した。


「世の中は転換期をとうに越えちまってるって事か……トレジャーハントみてぇな俺のやり方は、もう時代遅れなのかもしれねぇなぁ……」


「これを見ても駒沢さんは、私が南雲君の動画を上げてしまった事を責めるんですか?」


 駒沢は首を横に振った。


「江古田、勘違いしてんじゃねえよ。逆に俺ぁ、奴を世間に引きずり出してくれた事を感謝してんだ。この芝浦の動画も実際てぇしたもんだ。良い腕持ってたんじゃねえかオメエはよぉ」


 そう……南雲の前で芝浦ひな乃が歌を披露した時、カメラを回していたのは江古田だ。

 その第七スタジオに江古田を呼んだのは月島だが、指名したのは南雲だった。



 南雲は自身の動画チャンネルに、江古田が勝手にMVをアップしてしまってから数日後に、自分で動画の紹介文を書いていた。


 その紹介文の内容だが。

『凄い演出家でもあるカメラマンの江古田さんがMVを撮ってくれました』と、こう書いていたのだ。


 それを読んだ江古田は感極まって涙を流したものだ。最高の男を最高に撮る事が出来ていたのだと。


 以来、江古田には、演出も含めたコマーシャルなどの撮影依頼が殺到した。

 そして、高井戸美由紀がヒロインを務める映画『卒業式で貴方を好きになるなんて』の監督にも抜擢される事となったのだ。


 短期間で撮られた映画だったが、今年の初頭にネット視聴限定で公開されるや否や、視聴数はうなぎ登りで、動画視聴料や広告収入などでかなりの収益を稼ぎ出し、江古田は映画監督としても成功を収めていた。


 だが……ローリングレコーズ・ジャパンの駒沢に、何故、今更のように呼び出されたのかについては、南雲のMVを勝手にアップした事に対しての、注意か警告をするために呼んだのだろうと考えていたのだ。


「え……では、何故私を呼んだんですか?」


「けっ……ったく、これだからよぉ。俺がオメエを呼び出したのは、そんなちっぽけな理由じゃねえよ。それに、そんな大昔の事ぁ忘れちまってたよ」


 反抗的な態度を改める江古田。


「……要件を伺いましょうか」


 駒沢が江古田を睨む。


「ふんっ、その貪欲さは称賛に値するぜ。よし、結論から話してやるから、耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ。……奴らの百万人ライブ……それを俺の手でやりてえ。奴らってのは勿論、南雲が率いるバンドだ」


 江古田がゴクリと喉を鳴らした。


「ま、まさか……ナグRソニックブームのライブコンサートですか⁉」


「おうよ。ネット中継のライブだ」


「そ、それは……」


 駒沢がニヤリとした笑みを浮かべた。


「最近流行のソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)ってのを考えて、屋外のライブ会場を全国各地に確保する」


 思わず江古田が立ち上がる。


「ツアーじゃないんですか?」

「ふんっ、オメエも大概頭が固ぇんだな」


「いや、駒沢さんに言われたくないですよ……」


 いきなり駒沢がテーブルに、バシンッと手のひらを叩き付けると、その音に吃驚する江古田。


「ドカンッ! と、空気が派手に振動する程、ボリューム全開でソニックブームを垂れ流しても平気な場所なら何処でもいい。選挙の比例区じゃねぇが、そういう感じで日本全国にある野外会場を同時中継で一斉に沸かしてやりてえ」


「――なっ!!」


 江古田は、昭和から平成初期に掛けて、怪物と言われていた音楽プロデューサー駒沢の言葉に目を丸くする。


「おい江古田。驚くのは分かるが取り敢えず座れ」


 落ち着かない様子の江古田が、取り敢えず腰を下ろした刹那。再び駒沢が口を開く。


「勿論、各会場にゃソーシャル・ディスタンシングが保てるよう、入場制限を設ける。それぞれの会場は、すっかっすかで構やしねぇ! そのぶん会場を増やしゃ済む話だからな。ボリューム全開で全部の会場を一つに繋ぎゃいいんだ。外出自粛の世の中だからこそ、みんなライブに飢えてんだぜ?」


 感動なんて物ぁ、ひとりぼっちじゃ一人分しか伝わらねえ。

 圧倒的な熱狂の坩堝ってもんは、一斉に落ちてみねえと味わえねぇもんなんだ。

 ――魂が一斉に共鳴する。それがライブの本質ってもんだ。


 ところが生憎と、パンデミックが懸念されてる今の世の中。一箇所に大勢集めりゃいいって考えは捨てなきゃなんねぇ。


「観客それぞれの距離が離れてたって、みんなの心が繋がりゃ魂は揺さぶられるんだ。江古田よぉ、オメエならこの意味が分かるだろ」


 江古田は拳を握り締め、肩を震わせ始めた。


 令和になって最初で最後の大仕事だ。俺ぁそれでこの業界からおさらばする……花道くらい飾ってくれよ――江古田。


「駒沢さんにとって、裏切りだと思われかねない事をしでかした私に、そんな資格は……」


「オメエしか居ねぇと思ってるから声掛けたんだ。ネット中継の責任者を引き受けちゃくんねぇか?」


 力強く頷く駒沢を見て、江古田は涙を拭い顔を上げた。


「……も、勿論です! 実現可能なら是非引き受けさせて……」


「ふんっ、気が早ぇな。じゃあよ、オメエはまず音響の井口を説得してくんねぇか、俺ぁ月島と南雲を説得するからよ」


「え……そこからですか?」


「当たり前ぇだ。ライブコンサートは今思い付いたんだからよ」


「――はぁっ⁉」


「それともオメエが月島を説得するか?」


 怪物ぶりは健在だったのだと認識を改めた江古田。


「い、井口の所に行ってきます」


「けっ、オメエが成功する訳だな……」


「言いっこなしですよ、駒沢さん」



 ――そして……


 南雲がほんの数日前に立ち上げたバンド『ナグRソニックブーム』の、初コンサートへと向けて、実行委員会が立ち上げられる事となる。


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