目立ちたくない転校生

『浅川結有』


 女性のクラス担任は黒板にそう書くと、名前の部分の上に『ゆう』という仮名を振った。


「それでは自己紹介をして下さい」


「あさかわゆうです。よろしくお願いします」


 教壇の横で浅川結有が頭を下げるが、クラスメイト達は彼女を無関心な表情で見ているだけだった。


 表側が平面で、非球面レンズだと思われる銀縁オーパル眼鏡に三つ編みお下げ。

 男子達も、浅川結有という女子転校生への期待が大いに外れたようで「あ~あ……」と、溜息をつくのだった。


 高校生の転校は珍しいものだが、浅川結有は注目されるのを極力避けていた。


 ――友達を作ってしまうと別れる時に辛くなる。そう考えていたのだ。


 彼女の生活環境は非常に危うく、いつまで同じ高校に通っていられるか分らなかったのだ。



 自己アピールをしてくれる事を期待するクラス担任は、しばらくの間彼女を見守っていた。


 窓ガラスの結露が幾筋か流れ、プリズムを通したような光彩が、教室の壁にユラユラと小さな虹を描いては消えた。


 クラスメイト達から視線を逸らし、窓へと顔を向ける浅川結有。

 眼鏡のレンズに白く映る大きな窓の明かりが、憂いを帯びる彼女の目元を遮っていた。



 それ以上何も喋る様子の無い浅川結有に、肩を落としたクラス担任が声を掛ける。


「……それでは、浅川さんの席は窓際の一番後ろですから、席について下さい」



 暦の上では間もなく立春を迎えるが、体感的な寒さは一番厳しい二月初旬に、浅川結有はこの高校へと転校してきた。

 ただ、彼女が思っていた以上にクラスメイト達の反応は薄かったので、彼女としては少し安心をした。


 三学期にもなれば、流石に友達同士のグループは出来上がっているという事もあるが、この高校が進学校であるという事も、無関心の要因になっているのかも知れない。


 浅川結有は前の高校でも成績は優秀だったので、推薦という形で転校する事が出来た。

 だが、自宅から徒歩で通える場所にこの高校が有ったからこそ、高校に通わせて貰えているという事は理解していた。


 恐らく、交通費が掛かる所なら、彼女は高校に通うことを諦めていただろう。


 浅川結有は幼い頃に両親を事故で亡くし、それからは親戚の家を転々としてきた。

 そして、去年まで身を寄せていた父方の姉夫婦は事業に失敗し、去年の大晦日の深夜に、彼女を置いて夜逃げをした。

 そう、違法な取り立てを専門とする危ない債権回収業者から、逃れるように行方をくらましたのだ。


 そして今は母方の祖父母が彼女を引き取っている。


 だが――

 夜逃げをした親戚は転出届も転入届も出していない。もしもそんな事をすれば、住民票から辿られて債権回収業者に見付かってしまうからだ。


 債権回収業者はいずれ、自分が現在住所登録をしている祖父母の家にやって来るだろう。

 父方の姉夫婦と養子縁組をしていないとしても、彼女は一緒に暮らしていたのだ。違法行為も厭わない、この悪質な債権回収業者は、実の親子かどうかなど関係無い。取れるところから取ればいいという、人間として歪んだ理念を持っているのだ。


 そうなると母方の祖父母にも迷惑を掛けてしまうだろう。


 浅川結有の祖父母は都営アパートで年金暮らしをしていた。祖母の方は持病も持っていて、生活に余裕が有る訳では無かったのである。


 ◇



 ――そして昼休み。


 誰も浅川結有に声を掛ける生徒は居なかった。

 自ら近寄りがたい雰囲気を作ったのだから当然である。だが、幾人かの生徒はやはり気になるようで、たまに彼女に目を向ける。


 浅川結有は机の横のフックに掛けていた通学バッグから、ハンカチで包んだ弁当箱を取り出すと立ち上がる。


 教室から出て行こうとしている彼女を見て、一人の女子が声を掛ける。


「浅川さん、購買部の場所は分かる?」


 この女子は、彼女が飲み物を持っていなかったので、購買部前にしか設置されていない自販機で、飲み物でも買うのだろうと思って声を掛けたのだ。


「アタシも午後ティー買うから一緒に行かない?」


 そう付け加える女子に、別の女子が声を掛ける。


「やめときなよ、この時間って魔王来んじゃん。行くなら時間ずらした方がいいよ」


「――あっ、そうよね……あれは転校生にはちょっとキツいかも……」


 ……魔王?

 進学校なのに番長みたいな怖い生徒でも居るのかしら……


 浅川結有はそう思ったが、「いえ、購買部には行かないので私にはかまわないで下さい」と、頭を下げると教室を出た。


 これで、全てのクラスメイトは私を無視してくれるだろう……


 そもそも弁当箱には、味付けのりで巻いただけの俵型の小さなおむすびが、たったの三個しか入っていない。


 彼女の現状は、それで精一杯だ。


 こんなの見られたら余計な同情を買ってしまう。

 せめて……それだけは避けたい。


 ――そう考えたのだ。


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