ある意味、運命だったのかも知れない

 十月も残り数日となった。


 神田が加賀谷に教えたベースギターの演奏スタイルは、左手にギターグローブを付けてピックで弾くというスタイルだ。


 それは、日本のロックバンドでよく見掛ける、ベースギターを低く持ち、右腕を伸ばして指先で弦を引っ掻くように弾くのでは無く、ベースギターを抱きかかえる様にしてピックで弾くスタイルだ。


 ピックでベースギターを弾くのは初心者だという意識の強い素人は多いが、そもそも海外の有名ロックバンドのベーシストは、大半がピックで弾いている事をご存じだろうか。

 まあ、ここまで極端にギターを抱え込まないが。


 この素人っぽい弾き方が可愛く見えるという神田の独断だ。



「かがちゃん、指痛くない?」

「はいお兄ちゃん、痛くないです」


「どれ、ちょっとグローブを外してお兄ちゃんに見せてみろ」


 慈しむように加賀谷の指を小まめにマッサージする神田だった。

 このお陰なのかどうなのか、加賀谷は十日程度で、南雲の作った『こんな仔猫でも、貴方は拾ってくれますか?』という曲だけなら、ほぼ完璧に弾けるようになっていた。



 一方の菅原は、中野佳音が指定したデジタルシンセサイザーを、右手だけで難なく弾きこなした。

 では、左手はどうしているのかと言えば、決して何もしていない訳ではない。


 専門用語では伝わりにくいので簡単に説明する。

 デジタルシンセサイザーの、鍵盤の上部スペースにいっぱい並んで付いている、色々と音の調節が出来る、つまみやスイッチを操作しているのだ。


 一応菅原も南雲と共通する趣味を持っている。そう、BGMも含めたRPGを自作するという趣味だ。

 当時の南雲は、そんなに小遣いを貰えないので、中古の中でも一番安かったハードシーケンサー(ミュージックシーケンサー)を買ったのだが、菅原は鍵盤まできちんと付いている高価なハードシーケンサーを持っていた。


 ……いやそれ、そのまんまシンセサイザーだろ。まあ、ざっくり言えばそうだ。


 確かに昔は区別が有った。音源を作るのがシンセで、作られた音源をコントロールするのがシーケンサーなのだという区別だ。


 だが最近はそういった電子機器も進化し、どちらの機能も兼ね備えているのが主流で、明確な区別というのは割と曖昧になっている。

 まあ、いずれにせよ、音源作成と音源コントロール機能が付いた『鍵盤』を、アナログならアナログシンセサイザーで、デジタルならデジタルシンセサイザーという。


 まさに菅原にはもってこいの楽器だろう。


 ◇


 小学生の頃に少しだけピアノを習っていた菅原は、片手でしかピアノが弾けない事にコンプレックスを感じていた。


 その原因は、当時、菅原の邸宅に、ピアノを教えに通っていた女性が、突然の縁談で他県へと嫁いでいった事に起因している。


 菅原は小学生ながら、若いピアノの先生に小さな恋心を抱いていたのだ。



「俺もう、ピアノなんてやーめた」


 小学三年の菅原はそう言った。


「お坊ちゃま……代わりの先生を早急に手配いたしますから、ピアノをやめるなんて言わないで下さいませ。結構お上達なさっておいでですので……」


 祐子がそう言うと、菅原はムスッとした顔を南雲に向けた。


「ナグモ。駄菓子屋に行こうぜ、俺がおごってやるから」

「……別におごってくれなくてもいいよ」


「ナグモ……お前、自分の立場分かってんの?」

「立場って、僕たち同級生だよね?」


 祐子は、最近機嫌の悪い菅原の気を、少しでも紛らわせようと、孫である南雲を連れてきていた。


「使用人の子の癖にナマイキだぞ」

「子じゃなくて孫だけど」


「わ、分ってるよそんな事!」


 これが南雲と菅原の最初の出会いだ。


「いいから付いてこいよ」と言う菅原と一緒に南雲は邸宅を出た。


 お金持ちのお坊ちゃまが駄菓子屋に行くなんて不自然だと思われるだろうが、この駄菓子屋はおもちゃ屋も兼ねていて、ゲーム機やゲームソフトは勿論、トレーディングカードやプラモデル、更にはフィギュアまで置いてある。


 元々は昔ながらの小さな駄菓子屋だったのだが、脱サラした駄菓子屋の息子が店舗をかなり広く増築し、様々な玩具を販売するようになり、今ではお子様からマニアまで訪れる立派なショップになっている。


 店舗名はきちんとあるのだが、世代が変わっても近所の子供達はこの店を『駄菓子屋』と言う。


 駄菓子屋の二階にはトレーディングカードゲーム(TCG)専用のコーナーも有り、対戦用のテーブルまで数卓置いてある。


「やあ菅原君。届いてるよー」


 カード売り場担当の男性店員が菅原に声を掛け、空いているテーブルの上に段ボール箱を置いた。


 当時子供達に一番人気のあるカードの、段ボール箱買いである。


 1パックに5枚。それが1BOXだと30パック。段ボール箱にはそのBOXが30入っている。


 全部で900パック。枚数にすると4500枚だ。


「ナグモ、お前袋空け係な?」


 菅原はこれだけのお得意様なので、当然のように店員も開封を手伝う。

 ところが、TCGに全く興味が無かった南雲は、開封作業を何度か繰り返しているうちに居眠りをしてしまう。


 役に立たない奴と思った菅原が、「コイツ邪魔だから向こうに運んでよ」と、店員に声を掛けると、腕っぷしには自信の有りそうなその店員は、南雲を軽々と抱きかかえると壁際の長椅子に寝かせた。



 ◇


 南雲が目を覚ました時、パックの空袋を片付けていた店員が声を掛ける。


「菅原君はもう帰ったけど、これを君にって」


 南雲は店員から、カードが入れられたケースを渡された。


「良かったね君。それ、凄いレアカードだよ」


 興味は無かったにせよ、お礼を言わなければいけないと考えた南雲は、菅原の家へと向かった。


 ――この後は、ほぼご想像通りの展開だ。


 帰り道にある小さな公園の公衆トイレへ連れ込まれ、数人の男子達に囲まれている菅原。


「なあお前、さっきのカードだけど、俺のカードと交換してくれよ」

「嫌だね」


「お前、下級生のくせにナマイキだぞ。いいからこのカードと交換しろよ!」

「なんでゴミカードと交換しなきゃいけないんだよ」


「ゴミじゃねえよ、俺の持ってるカードの中で一番強いカードなんだぞ?」

「そんなカード何十枚も捨ててるし、ただでだって要らないよ」


「「「「――なんだとっ⁉」」」」


 一番体の大きな男子が腕を振り上げる。

 流石の菅原も、上級生に襟首を捕まれた時点で涙目になっている。


「いいから出せよ!」


「うぅっ……ヒグッ……あのカードは……も、もう持って無いよ、ヒグッ……」


 膝を震わせながら、べそをかき始めた菅原。


「嘘ついてんじゃねえよ! 本気でぶん殴られたいのか?」


 菅原は嘘をついてはいない。この上級生が欲しがっている激レアカードは、南雲に渡されたケースに入れていたのだ。



「そこで何やってるの?」


「なんだオマエ! 関係無い奴は――ヒィィッ、あ、悪魔っ!」


 ――沈みゆく夕陽を帯びてくれないに染まった三白眼。上級生よりも背の高い南雲がそこにいた。


 腰を抜かし、ヘナヘナと座り込む上級生に、南雲がカードケースを投げ付ける。


「ひ、ひ、ひいっ……」


「それは君にあげる。そのかわり……もう二度と――」


 上級生全員が恐怖に顔を歪める中。南雲が菅原を力強く引き寄せる。


「――僕の友達に近づくな!」



 ◇



 話を戻そう。

 菅原は誰も居ない時にピアノを弾く。そう、物思いにふけるような感覚で、何となく浸りたい時にだ。


 そして軽井沢の別荘。

 菅原と加賀谷も宿泊する事になったあの日。浩一は食材の買い出しに行く事にした。

 本来なら食材は電話一本で届けてくれるのだが、浩一は孫である南雲と二人っきりで出掛けたかったのだ。


 だが、孫と一緒に行きたいのは祐子も同じだ。そして勿論、中野佳音だって南雲と一緒に行きたい。そうなると加賀谷も付いてくる。


 ところが菅原だけは、車の運転を長時間してきたばかりなので、遠慮をしたのだ。


 一人だけ残った菅原だったが、少し前に中野佳音が弾いていたグランドピアノに目を留める。


「カノン様が弾いてたのってこの曲だよな……」


 ポンポン(ドド)ポンポン(ソソ)ポンポン(ララ)ポーン(ソ)、ポンポン(ファファ)ポンポン(ミミ)ポンポン(レレ)ポーン(ド――)


 そこからメロディーラインだけで、ロンドン橋落ちた、犬のおまわりさん、アイアイ、おもちゃのチャチャチャ、おつかいありさん……と、綺麗に繋ぎ、最後は、大きなクリの木の下で、で締めくくった。


 忘れ物を取りに戻った中野佳音が聞いているとは思っていない。


「調子に乗ってると皆が帰ってきちゃうから……これくらいにしておこう」


 その独り言も聞いていた。


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