注目度ナンバーワン

 ランスルーが終わると、演奏ブースの手前に並べられた椅子に座っていた、例のお偉いさんと思われる方々が、一斉に立ち上がって拍手をした。


「「「ブラボー!」」」

「「「素晴しい!」」」


 などと、それはもう大絶賛だった。


 昨日は高井戸美由紀があんな調子だっただけに、ホッと胸をなで下ろす南雲。


 自分が作った曲なのにも関わらず、素晴しい演技を披露してくれた高井戸美由紀に対し、コントロール・ルームの中に居る南雲も、心から拍手を送った。


「彼女は僕が育てた……」


 勿論、音響イコライザーの微調整をしている井口には、人格を疑うような南雲のこの囁きは聞こていない。


 ささやかな達成感に浸った南雲は、先程中野佳音から受け取っていた包みを開けてみる。


「え、これ……ボストンサングラスじゃないか⁉」


 然も、フレームは南雲お気に入りのべっ甲柄だ。


 昨日掛けていたサングラスは、ビンタのような勢いで繰り出された高井戸美由紀の攻撃により破壊された事を、スタッフ一同は知っている。


 なので、同じようなサングラスを探し、事務所の経費で買ってくれたという事なのだろう。

 悲しい哉、南雲はそういう結論に至った。


 その時、コントロール・ルームのドアが開けられる。

 入ってきたのは中野佳音だ。


 自分がプレゼントしたサングラスを、早速掛けてくれている南雲を見て頬を染めた。


「サングラス姿も……か、格好いいです……」


 南雲は、この世に生を受けてからこのかた、格好いいなんて言われた事は無い。きっと彼女の言った「サングラス姿……」に続く語尾は「も」ではなく「が」を言い間違えたのだろうと思った。


 だが、どちらにせよ女性に言われたとあらば流石に照れる。


「そ……そ……そうですか……」


 向かい合った二人は、どこかモジモジとしている模様。


 そこへ、満面の笑みをたたえて駆け込んでくる高井戸美由紀。


「南雲君、私、上手く歌えてたでしょ?」


「ええ。本当に上手く演られていたので、驚きましたよ高井戸さん」

(やれば出来る子だと思っていましたよ。)


「もぉ、南雲君ったら、私の事は美由紀って呼んでって、あれほど言ったのに……」


 反射的に仰け反る南雲に、しがみ付く高井戸美由紀。


 そんな高井戸美由紀に対し、残念そうな表情を浮かべた中野佳音だったが、すぐにハッとした様子で南雲に声を掛ける。


「各レコード会社のプロデューサーとA&Rの方々が、是非南雲さんに挨拶をしたいと申し出ているのですが……」


 どうやら、南雲を背にして演奏ブースに座っていた方々の事を言っているようだ。


 先程のランスルーは、いわばレコード会社へのプレゼンのような物である。


 高井戸美由紀が所属する㈱ダズリング企画は、これまで音楽コンテンツに於ける販売実績は無い。

 プロデュースをしても良いという、レコード会社が名乗り出てくれなければ『諦める』という選択を強いられる程、音楽業界には弱いのだ。


 要するに、音楽リリースへ向けてのMV収録の『本番』へのGOサインは、豊洲の意見だけでは出せないという事だ。



 ――だが、ランスルーという名のプレゼンは、見事に大手レコード会社、三社から赴いて来ていた『彼ら』全員の心を捉えた。


 成功は間違いないと確信した彼らは、いくら全ての権利が高井戸美由紀に有るとはいえ、作曲者である南雲を無視することは出来なかった。


 何故なら――


 彼の作った『YFD(呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰も居なかった)』という曲が、僅か五ヶ月足らずで一億以上の再生回数を獲得しているにも関わらず、その動画をアップした本人の正体は全く知られていなかったからだ。


 某テレビ局では『YFDを歌っている男の正体に迫る』とかいう特番まで組まれた程だ。


 一昔前の徳川埋蔵金発掘特番を彷彿とさせるような、散々コマーシャルを見せられて引っ張られた挙げ句「結局見付かりませんでしたー」というオチに、さぞ視聴者はガッカリした事だろう。


 あらゆる憶測が飛び交い、最近ではニセモノまで現れる始末。

 本物か偽物かの判断は歌声のみだ。だが、どんなにモノマネが上手くても、南雲の独特なハスキーボイスを完璧に再現できる人物は居なかった。


 そして今現在。一番注目されている正体不明の人物。言い換えれば、正体不明なのに一番注目されている人物――そのチャンネル名はNAGー0.45R。

(僕の猫背って半径45センチ位だな、という所以がある事は誰も知らない。)


 大手のレコード会社であればこそ、大ヒットメーカーでもある『謎の人物NAGー0.45R』とのコネクション作りを、我先にと画策するのは当然の事である。


 レコード会社の彼らは、注目度ナンバーワンの幻の人物が、演奏ブースへ現れるのを待った。

 彼らはそこで待つしか無かった。


 彼らを呼んだのは豊洲だが、勿論南雲の名前は出していない。南雲が来ますと言っても、「誰だよそれ?」と、取り合ってもらえないのがオチだからだ。


 だから豊洲はこう呼びかけた。


「明日、午後三時から高井戸美由紀MVのランスルーを行いますが、曲を作った本人と会ってみたくないですか?」


「何だっけ、卒業式になんちゃらって曲だっけ? いや別に会ってみたくは無いよ。ああ、今忙しいから……」

「YFDを作った人ですよ?」

「――え⁉ YFDって……」

「勿論、呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰も居なかった、の事ですが……」


「なんでそれを早く言ってくれないかなぁ豊洲ちゃん! 行くに決まってるだろ!」


「ランスルーが終わり次第席を設けます。では、月島プロデューサー。是非お待ちしています」


 彼らは、のこのことやってくる。

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