第8話 戦の兆し

 翌朝、眠りからめた朱音あかねが体を起こし、あたりを見渡すと、そのぼやけた視界の中に旅支度たびじたく調ととのえた衛実もりざねがちょうど今、部屋を出ていこうとしているのがうつりこんで来た。


「衛実、どこへゆくのじゃ?」


 朱音の眠たそうな声に気づいた衛実が振り返ってこたえる。


「おう、朱音おはよう。

 今から弥助やすけのとこに情報を聞きに行く所だ。だからまだ休んでてもいいぞ」


「待ってくれ。わらわも、フワァ…」


 衛実に置いていかれないよう、目をこすりながら布団ふとんを出ようとする朱音を、彼は右手でせいして引き止める。


「話を聞くだけだから、すぐ戻る。それに、まだ朝飯も食ってないだろ?

 だからまだ寝ててもいいし、起きて顔を洗うとか好きにしていいぞ」


「う、うむ……」


 やはり眠たかったのか、朱音はぐにまた寝てしまった。


 それを見た衛実は、『鬼とはいえ、朱音にも人間っぽい弱点があるんだな』と少し意外な気持ちになった。


「まあ、いいか。取り敢えず、弥助の所にでも行こう」


 そうつぶやいて朱音を部屋に残し、宿やどを出た衛実は、近くにある弥助の店へと向かう。




 店に着くと、まだ開いてはいなかったが、それを知っている衛実は店の裏にある勝手口かってぐちの方に回っていく。

 そして店の裏の戸を3回程叩き、一つ声を出して店のあるじの名前を呼んだ。


「弥助、起きてるか〜?」


 すると、しばらくしないうちに扉が開かれ、弥助が顔を出して来た。


「あぁ、やっぱ衛実だなぁ。

 今日は店を開ける前に来たってことは、情報だねぇ?」


「そうだ。

 昨日、朱音を案内してたら、嵐山全体の様子が、何だかいつもと違うような感じがしてな。何か知ってるか?」


「知ってるよぉ。でも、その前にぃ、」


「ああ、金だな。ほい」


 いつもの事なので、衛実はれた手つきでふところから出した金を、弥助に手渡す。


「うん、間違いなくもらっとくよぉ。

 それじゃあ、中に入ってぇ。朱音ちゃんもねぇ」


 弥助が放った最後の言葉に驚いて、衛実が後ろを振り向くと、身支度みじたく調ととのえた朱音がそこに立っていた。


「な、朱音!? 待ってろ、って言ったじゃねえか」


「そんなことを言われても、わらわとて、ただ待ってるわけにはゆかぬ、フワァ…」


 やはりまだ眠いのか、朱音は手で口をおおい、あくびをらす。


 驚いたのもつか、すぐに立ち直った衛実は、『やれやれ』といった感じで1つ息をつく。


「ったく、眠いなら寝とけばいいのに。

 悪い弥助、こいつに何か眠気覚ねむけざましになるようなものくれないか?

 もちろん金は払うからよ」


「別にいいよぉ、それくらいの事にお金を使わなくて。

 それじゃあ2人とも、上がって上がってぇ」


 弥助に案内されて、2人は店の中へと通されていく。


 店に上がり、弥助が戻ってくるまでの間、衛実と朱音は居間いまで座って待っていた。


「朱音、本当に話を聞くだけだって言ったじゃねえか」


 寝ていたはずの朱音が、いつの間にか自分の後をつけていたことに、流石さすがの衛実もあきれはてた。

 それでも、取り敢えずはまだ眠そうな朱音を気遣づかい、もう一度だけねんを押す。


 だがそれを、朱音は首を振って断り、起きたばかりの抑揚よくようのない声で話し出した。


「嫌な予感がしたのじゃ」


「嫌な予感?」


昨日きのうの晩、眠っておると、ぬしがどこかへ勝手に消えていってしまうような感覚に襲われてな。

 そのたびに起きては、そばにぬしがいることを確認する、といったことをずっと繰り返しておった。

 じゃから、ぬしが話を聞くだけと言っても、不安で、どうしても後をついて行きたくなったのじゃ」


 その刹那せつな、ふと、昨夜のみょう現実味げんじつみのあった悪夢を思い起こした衛実は、朱音も似たような夢をていたことに、一瞬だけ『あん時、俺とこいつの間に何かしらのつながりでもあったのか?』とのような考えをいだいた。


(……いやいやいや、そんなまさか。単なる偶然だろ)


 『らしくもない』と首を振り、自らの心にもよく言い聞かせるつもりもねて、彼女の言葉を軽くあしらった。


「そんな迷信めいしんみたいなモン、忘れろ忘れろ。

 気にしたって、しょうがないじゃねえか」


 そんな衛実の真面目に取り合わない様子が気に食わなかったのだろう。

 朱音はまだ意識がはっきりしない中、それでも懸命けんめいまゆをひそめて彼を見返した。


「む……。鬼の勘をあなどるでないぞ、フワァ……」


「それでしっかり休めなかったら、意味ねえだろうが。

 言っとくが、弥助の仕事は結構大変だぞ。だから、休める時にしっかり休んどけ」


「お待たせぇ。持ってきたよぉ」


 そこへ弥助が気つけの飲み物を持ってやってくる。


「おう、弥助ありがとな。ほら朱音、これ飲みな」


「ありがとうなのじゃ。

 …っ! 、な、なんじゃこれは!?」


 衛実から手渡された飲み物の、ツンとくるような独特どくとくの香りに朱音は顔をしかめる。


眠気覚ねむけざましの効果のある薬草を混ぜたお茶だよぉ。

 少し鼻につくにおいがするけど、あっしなりに美味おいしく仕上げたつもりだから大丈夫だよぉ」


 それを聞いて恐る恐る口に運ぶ朱音。


「ん……、ふう。弥助、ありがとうなのじゃ。おかげで少し眠気がめた気がする」


「いいよぉ。効き目が出たようで良かった良かったぁ」


「それで弥助、本題なんだが、」


「うん、嵐山の件だねぇ」


 衛実の振りを受けて、弥助は昨日の出来事について自分が知っていることを話し出した。


「結果から言うと、確かに昨日、あそこで殺人が起きたよぉ」


 弥助からの情報で、途端とたん居間いまの空気は緊張感がした。

 衛実は少しだけまゆをひそめて眼光がんこうを鋭くし、朱音も息をのんで、弥助の後に続く話に耳をかたむける。


「ただ、殺された人がちっとばっかし良くなくてねぇ、それであまり大事おおごとにならなかったみたいなんだぁ」


「どういった素性すじょうなんだ、そいつは」


 衛実の問いに弥助は一つうなずいて、詳細を口にする。


「今回やられたのは、嵐山で勢力を張ってる『山狗やまいぬ』っていう、盗賊とうぞく集団に属している2人なんだぁ」


 盗賊とうぞくごときで町一帯まちいったいが静まり返ることに納得がいかない衛実は、それがどうつながるのかを弥助に問いかける。


「なるほど、表には出てこれない奴らの死体なら、確かに大事にはできないだろうな。

 にしても、昨日はやけに静かだったぞ?」


「『山狗』は、表で『山城屋やましろや』っていう居酒屋いざかやをやっていてねぇ、あそこではそこそこ名の通った店なのさぁ。

 大事にはならなくとも、商売には少なからず影響が出る。

 あの店は事が起きた後、その日の商売を休んだみたいなんだぁ。だから衛実達が来た時には静かだったんだろうねぇ」


 弥助の簡単なに『なるほどな』と軽く相槌あいづちを打つ衛実は、次に死体が見つかった場所と、殺しを行った人物についての情報を聞き出すことにした。


「ちなみにその死体はどこで見つかったんだ?」


「普段、人が通るような所じゃないんだけど、そっちの世界では、そこそこ有名な小道こみちでねぇ。そこを通りがかった別のシマの人が発見したんだとさぁ」


下手人げしゅにんは?」


「まだ捕まってないみたいなんだぁ。誰も姿を見てないからねぇ」


手掛てがかりすらないってのか?」


「ん〜……。手掛かりというか、今回の死体に共通の特徴があってねぇ。2つとも心臓が丸々まるまる抜かれているんだよねぇ。

 争ったものと見られる傷は沢山たくさんあったんだけど、中身の損傷そんしょうはそこだけなんだぁ」


「首がもげてるとか、体が真っ二つって事でもないんだな」


「うん。胸のちょっと下辺りに大きな穴が空いてるぐらい」


「まあでも、そんぐらいの死体って結構あるもんなんじゃないか?」


 話を聞く限り、『取り立てて目立つ訳でもなく、よくある殺人事件のうちの1つ』とのように思った衛実は、それがなぜ、いつもは人でにぎわう街の不自然なくらいの静けさに繋がったのか、いまだ納得しきれていない顔をして、弥助に話の続きをうながす。


 弥助もまた、衛実と同じような気持ちでいるらしく、普段に比べてみょう歯切はぎれが悪い。それでも何とか彼の助けとなるために、数少なく信憑性しんぴょうせいも薄いかもしれない情報を口にする。


「確かにねぇ。あとこれはうわさに近いものだったんだけど、られた人の身体に付けられた傷が熊か何か、少なくとも人の力ではつけられないほど大きかったこと、ぐらいかなぁ」


「熊……? ここら辺で熊が出たなんて話、聞いた事ねえぞ?」


 都では滅多めったに見かけない動物の名が出てきたことで、さらに思案しあんにくれていく衛実の耳に、突然、勝手口かってぐちの扉がけたたましくたたかれる音が聞こえて来た。


「なんだ?」


「お客人かもねぇ。ちょいと待っててぇ。はい、どなたぁ?」


 顔を上げ、音のする方に視線を向けて腰を浮かせる衛実を制して、弥助が勝手口の扉を開けに行く。


 扉を開けて入ってきたのは、中肉中背ちゅうにくちゅうぜで、きらびやかな服に身を包んだ中年の男だった。


「おお、弥助の旦那ァ。起きてたかい。

 それより大変なんだ。取り敢えず中に入れてくれないかい?」


「あぁ、反物屋たんものや八兵衛はちべえさんかい。どうしたんだぁ?」


 そう言って、弥助は反物屋の主人を店の中へ通す。

 中へ通された主人は、先にいた衛実達に気づき、軽く驚きの声をあげる。


「おや、先客せんきゃくがおったんですかい」


「八兵衛さん、気にすることないよ。こいつはあっしの知り合いでねぇ」


「そうかい。それより聞いてくれ、大変なんでさあ」


「うん、どうしたぁ?」


 弥助にうながされて、反物屋の主人が事の顛末てんまつを話し出す。


今朝方けさがたなんだが、店を開く準備をしてたんです。

 ウチは反物屋でしょう? だから売るための反物がなきゃ、話にならない。

 そんで、その反物が届くのを待ってたんだが、一向いっこうに届かなくてなあ。

 流石さすがにおかしいと思って調べたら、ウチの店から少し離れた小道で死体が転がっていて、店に届くはずの品物が全て奪われていたのを見つけたんでさあ」


「なるほどねぇ、つまり強盗ごうとうってこと?」


「ああ、かもしれねぇ。だがな、それにしては奇妙きみょうなんでさあ」


「奇妙?」


「その死体に付けられた傷が熊みてぇなやつに襲われたようなモンでよ、あと胸の下辺りに大きな穴が空いてたんでさあ」



 そこでずっと黙って話を聞いていた衛実が口を開く。


「おい弥助、それって……、」


 弥助もうなずいて、反物屋の主人に問いかける。


「だねぇ、嵐山のと一緒だぁ。

 八兵衛さん、昨日の嵐山の件について、何か聞いてたかい?」


「嵐山……? いや、何も聞いてないでさあ。まさか、昨日もあったんですかい?」


「そうだよぉ。しかも八兵衛さんが話してくれたのと状況がほぼ同じなんだよねぇ」


 弥助からの話を聞いた反物屋の主人は、腕を組んでうなり出した。


「そういうわけですかい。となると、こいつはちょいとまずいことになりましたねえ。

 こういう事が今後も続くとなると、ウチも商売上がったりになっちまいますよ」


「そいつは大変だねぇ」


「なあ弥助の旦那ァ、この件の原因とその解決の依頼、させてもらえやしませんかね?」


「いいよぉ。それに丁度ちょうどいいのがここにいるからねぇ。

 どう? 衛実」


 そう言って己の方を振り向き、問いかけてくる弥助からの打診だしんに、衛実も腕を組んで考え始めた。


「そうだな……。

 まあ、受けないこともないが、得体えたいの知れないやつ、それに情報が少なすぎる状況で、俺一人が受けるのは少し気が引けんな。

 せめて、もう2、3人ぐらい人を集めたいんだが……」


「む? わらわは含まぬのか?」


 自分も当然、頭数あたまかずに加えられていると思っていた朱音は、衛実をいぶかしんだ。


「ああ、そうだ。何か問題でもあるか?」


 『当たり前のことだ』とでも言うかのような衛実の口調に、思わず口をとがらせる朱音。


「問題ならあるじゃろう! 何故なにゆえわらわを連れてゆかぬのじゃ?」


「そりゃ、危険だからに決まってんだろ。

 言っとくが、今回みたいな得体えたいの知れんやつと戦う修羅場しゅらばで、お前を守りながら戦う余裕なんて俺にはねえぞ?」


「ぬしは、わらわが足手あしでまといだとでも言うつもりか!?」


「キツイ言い方をすればそういうことだ。

 大体だいたい、俺はお前の戦闘能力を評価したおぼえはねえ」


「ぐっ……!」


「そこの傭兵ようへいさんの言う通りでさあ。

 お嬢ちゃん、悪いことは言わねえ。今回ばかりはめときな」


 反物屋の主人も、衛実に合わせて朱音をあきらめさせようと説得する。


 2人の言ってることに、何も言い返すことができない朱音は、それでも何とかしようと必死に頭を動かす。


「じゃ、じゃが……!」




いんじゃないかなぁ」


 突然、今までの流れとは逆の提案をし始めた弥助に衛実は驚く。


「は、はあ!?

 弥助、お前一体何を言い出して……」


「向かわせるだけなら大丈夫だと思うよぉ。そのための護衛を付ければいいだけだしねぇ」


「いや、でもお前昨日……、」


「それにねぇ、衛実。こういうのは、一度見ておいた方が良いんじゃないかと思うんだよねぇ。

 そうやって危険だからって言っても、どう危険なのか実際に見ないと分からないことも多いじゃない?」


「んな事言われても、今回は……、」


「それと、これはあっしの見立みたてだけど、今後もこういう依頼が多くなるんじゃないかなぁ。

 げんに最近は、野盗やとうの討伐依頼が結構入っててねぇ、もう昨日までのような依頼がいつ来るかも分からない。

 そうなった時、少しでも修羅場しゅらばの経験を持ってたのと持ってなかったのをくらべたら、その差は一目瞭然いちもくりょうぜんじゃないかい?」


「うーん……」


「や、弥助の言う通りじゃ!

 それに衛実、ぬしはこの前、わらわに『付いてくるなら、ぬしの仕事の手伝いはやってもらう』ともうしたではないか」


 思いがけず弥助からの援護えんごた朱音は、ここぞとばかりに衛実にたたける。


 衛実もそれに応じるが、すぐには『良し』と言えず、困った顔をして朱音に話を返す。


「けどなあ、お前分かってんのか?

 命のやり取りってのは、そう気安きやすく首を突っ込むようなもんじゃねえんだぞ?」


「じゃが、それも人のいとなみなのであろう?

 ならば、わらわにとってそれは知っておかねばならぬことであるはずじゃ。

 頼む衛実、わらわも連れ行ってくれ」


 衛実の手を取って懇願こんがんする朱音。それでも衛実は、すぐに決断をくだすことが出来なかった。




 それからたっぷり10分程が過ぎた頃、それまでずっとなやんでいた衛実だったが、やがてあきらめたのか、ため息をつきながら口を開いた。


「……分かった。けどな、これだけは言っておくぞ。戦場いくさばは何が起こるか分からない。

 どんだけ注意してても、準備をしててもあっさりと命を落とすこともある。

 だから、いざという時は自分の身を第一にしろ。いいな?」


「……! 衛実、ありがとうなのじゃ!」


「あと弥助、お前もすすめたからには当然、せきを取ってもらうぞ。

 半端はんぱな護衛を付けたら、タダじゃ置かねえからな」


「分かってるよぉ。朱音ちゃんの護衛なら任せておいてぇ」


「で、それを含めてもあと2、3人欲しい。

 八兵衛さん、あんたに当てはあるか?」


「ウチの腕利うでききの用心棒を出しやしょう。

 結構ちゃんとした奴らなんで、連携れんけいも取りやすいはずでさあ」


「よし。それじゃあ、各自かくじ準備をしてくれ。

 出立しゅったつは今から半刻後はんときごだ」



 ※半刻:1時間

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