第22話

 ばしゅん、ばしゅん、ばしゅん。何かが破裂する音が連続する。

 同時に、背負った空気清浄機がピピピッ、と音を立てた。有毒ガスを感知したようだ。


「先輩!」

「ああ、分かっている」


 見上げると、電力ルームの天井を走る配管に亀裂が入っている。そこから有毒ガスが噴き出しているのだ。


「取り敢えず、ドーベルマンはもう攻めてこないでしょう。腕輪の反応からすると、通信妨害装置はこの壁の向こうにあるようです。でもここからだと、別な廊下に出て回り込まないと――」

「……」

「先輩? どうしました?」


 突然、実咲はその場に屈みこんだ。


「拓海、我輩の空気清浄機を見てくれ」

「え?」


 何かあったのだろうか? 僕はそっと実咲の後ろに回り込む。そして、驚きに目を見開いた。実咲が背負った空気清浄機は、見事に切り裂かれていたのだ。


「先輩! 空気が!」

「やはりな。道理で……息が苦しいわけだ……」


 そのまま両手を床に着き、荒い息をつく実咲。


「は、早く救急に連絡を!」

「無理だ。玲菜の説明を聞いていなかったのか? この周辺、町の南部一帯には、強力な通信妨害が仕掛けられている。恐らく、一般回線を使った救急車や援護要請もジャミングされてしまう。連絡を試みるだけ無駄だ」


 僕は自分の顔から血の気が引くのが分かった。


「じゃ、じゃあ一体どうすれば?」


 実咲は数回、げほげほと咳き込んだ。


「我輩が、壁を、斬る」

「だ、大丈夫なんですか⁉」


 それが愚問であることは、僕にだって分かった。もうそれしか、手段が残されていないのだ。

 通信妨害装置を破壊し、救援要請を出して、新しい空気清浄機を届けてもらう。そうでもしない限り、実咲は助からない。

 

 しかし、時間は切迫している。しゃがんで実咲の顔を覗き込むと、目は虚ろでいつもの気迫は微塵も感じられなかった。これは、本当にマズい。


「拓海、妨害装置への最短距離は……?」

「あ、こっちです! この操作盤をぶった斬れば、すぐに妨害装置の仕掛けられた部屋に出ます!」

「……分かった」


 実咲は右手を床に着き、左手には竹刀を握らせ、その先端を床に押しつけた。両腕に力を込めて、何とか立ち上がる。

 シャッターの反対側、操作盤の方へと歩み出す実咲。しかし、その足取りは覚束ない。


「先輩、肩貸します」


 一瞬、実咲は目を見開いて身を捻り、拒絶するような所作を取った。だが、僕は半ば強引に、実咲の右腕を自分の肩に載せてやった。


「や、止めろ! これは、我輩の戦いだ……」

「ええそうです。でも、僕の戦いでもあります」


 僕はバッサリと言い切ってみせた。


「戦闘員の三人だけに、負担を強いるわけにはいかないんです。僕だって、役に立ってみせます。戦いはまだまだかもしれないけど」


 すると、再び実咲はこちらに顔を向けた。


「……よくもまあ、そんな啖呵が切れたものだな」

「僕だって怖いですけど、でも、戦いたい。後方支援だっていい。そうでもないと、僕は何者でもない、生きている意味があるのかどうかも分からない存在に戻ってしまう。それだけは、どうしても嫌なんです」


 僕は我ながら淡々と、胸中から湧いた言葉を垂れ流した。何もカッコいいことを言う必要はあるまい。

 しかし実咲は、


「それは、頼もしいな」


 と言って、体重の半分を僕に預けてきた。操作盤の配された壁までの距離、約十メートル。

 その距離を、僕と美咲はゆっくり、ゆっくりと歩んでいった。


「よし、ここで……ここでいい」

 

 そっと僕の肩を押しやり、実咲は大きく息をつく。指示される前に、僕は実咲の背後に回り、数歩後ずさった。

 再びヴン、という音を立てて、実咲の竹刀に真っ赤な光が宿る。

 竹刀を正眼を構え、さっとその切っ先を真上に上げる。

 気合一閃。斬、という音と共に、操作盤中央に一本の筋が走る。


「下がれ、拓海!」


 実咲と共にさらに後ずさると、三メートルほどの高さのあった壁面が倒壊するところだった。右側はこちら側へ、左側は向こう側へ。ものの見事にばったりと倒れ込んだ。

 僅かにまった埃と粉塵。ぼくはマスクの上から手を当てて、吸い込んでしまうのを防いだ。

 が、しかし。


「先輩! 大丈夫ですか?」


 実咲は右手に竹刀を握らせたまま、気力なく突っ立っている。

 慌てて駆け寄ると、再び屈みこむようにして、実咲はがっくりと膝をついた。有毒ガスが回っているのか。


 ええい、こうなったらしょうがない。


 僕は自分の空気清浄機を背中から外し、すっと息を吸ってからマスクを外した。


「先輩、間接キスっぽくてすいません」

「な、何を?」

「僕の空気清浄機を使ってください。あなたには、まだやるべきことがある」

「そ、そんな、お前はどうするんだ?」


 僕はその問いを無視して、半ば強引に実咲の口元にマスクを押し当てる。

 何も僕は、自己犠牲などという高尚な行為を行おうとしたわけではない。ただ、実咲には無事でいてほしかった。

 僕を含めたローゼンガールズの最年長者の実咲。情報統括官である玲菜と共に、僕たちを引っ張ってきてくれた実咲。そんな彼女を、ここで死なせるわけにはいかない。


「先輩、壁の向こうに通信妨害装置が――げほっ! ごほっ!」

「だ、大丈夫か、拓海!」


 こくこくと頷きながら、僕は自分の周囲を漂う有毒ガスを味わった。

 何だか、甘ったるい臭いがする。痛みや痺れといった刺激は感じない。思っていた『有毒』とはやや意味が違うようだ。


 ただ、全身が倦怠感に包まれ、頭がぼんやりしてくるのは感じられる。

 テロリストたちの目的は、ローゼンガールズのメンバーの殺害ではない――。もしその仮説が本当なら、今僕が気を失ったところで問題はないのではないか。


「おい、しっかりしろ、拓海!」


 実咲の声が、遠く、近く、僕の耳朶を打つ。彼女はやや元気を取り戻したようだ。あとは、僕が通信妨害装置の位置を探り当てれば――。


 だが、それは断念せざるを得ないようだった。意識が朦朧としてくる。これでは、腕輪型逆探知器を扱うこともできない。実咲に任せようとも思ったが、そこまで身体は動かず、口も回らない。


 ここまでか。そう思った、次の瞬間。

 僕は自分の頭頂部が、何者かに鷲掴みにされるのを感じた。実咲の仕業に違いない。

 それから、そのままぐいっと頭を半強制的に下げさせられる。


「拓海、伏せてろよ!」


 実咲の声。そこには、先ほどの気迫が戻ってきているように、僕には感じられた。

 虚ろながら、視線を実咲の方に遣る。その直後、


「はあああああああっ!」


 実咲の身体が、凄まじい勢いで回転した。右足に重心を置き、絶妙なバランス感覚で全身を、そして両手で握り込んだ竹刀を真横に振る。その姿はさながら、こまのようだった。


 その回転技は一瞬だったが、僕は急速に自分の意識が明瞭になるのが分かった。有毒ガスが振り払われたのだ。


「拓海、どうだ? 少しはマシになったか?」

「は、はい」


 まだ本調子とはいかないが、腕輪型逆探知器の表示を読み取るくらいのことはできる。


「先輩、今斬り崩した壁の向こうの部屋、中央に妨害装置があります!」

「了解!」


 僕のそばを離れた実咲は、ダッシュで瓦礫を乗り越え、その瓦礫の上から跳躍した。


「通信妨害装置、覚悟ッ!」


 何だその掛け声は。ツッコむ余裕はなかったものの、僕ははっきりと見た。実咲の竹刀が、通信妨害装置をあっさり打ち砕くのを。

 バチバチと火花を飛ばし、黒煙を上げる装置。すると実咲は、すぐさま携帯を取り出した。スマホではない。僕たちに貸与された、緊急通信用の端末だ。


「あーあー。こちら実咲。繰り返す、こちら実咲。玲菜、聞こえるか?」

《はい! たった今、通信妨害電波の消失を確認しました!》


 いつも大人しい玲菜が、興奮気味に喋っている。無論、よい意味でだ。


「この薬品工場跡地は、電力がまだ生きてる。そちらからハッキングして、有毒ガスの流出を止められないか?」

《待ってください。――いけます! 三十秒ください!》

「了解」


 それから実咲は、僕の方へ振り返った。すたすたと歩み寄り、自分のマスクを外して僕の口元に当てる。

 

「二重間接キスだな、拓海」

「ッ!」


 その言葉に、僕は赤面した。こういう場を読まないこの人の言動、どうにかならないものか。

 そうこうするうちに、僕は自分の鼻腔を占めていた甘い異臭が、急速に薄まっていくのを感じた。


《今から梅子さん、香澄さんを派遣します! 実咲先輩も拓海くんも、怪我はありませんか?》

「ああ。誰も死んじゃいない」

《二人が到着するまで十五分はかかります。何かあったら、またすぐに連絡をください!》

「了解」


 そう言って、実咲は端末を切った。

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