第15話

「拓海! お前はさっきの受付に行って、花火をありったけ打ち上げるように要請しろ!」

「ど、どういう意味だ?」

「いいから急げ!」


 そう言い切る前に、香澄はもう照準を定めていた。パン、という軽い発砲音がする。見上げると、飛行中だった鳩が一羽、驚いたようにバランスを崩すところだった。が、すぐに体勢を立て直し、何事もなかったかのように飛んでいく。


 鳩が豆鉄砲を食ったような、とはこのことか。ちゃんと香澄は銃弾の威力を加減してくれているらしい。


「ほら! とっとと行け!」


 香澄のエルボーを喰らいながら、僕は遊園地入り口へと駆けていく。

 その間に、香澄の意図に気づいた。花火をバンバン打ち上げることで、鳩の群れを敷地上空から追い払うつもりなのだ。

 それが上手くいかなくても、カメラや単発式麻酔銃の働きを妨害することはできる。香澄の銃撃を花火でカモフラージュすることも可能だろう。


 一般の来園客に悟られないよう、そしてパレードを迂回するよう気をつけながら、僕は遊園地を横切る。身を屈めながらのダッシュで腰が痛んだが、泣き言を並べるほどの余裕はない。


「すっ、すみません!」


 受付には、先ほどの責任者の男性が待機していた。


「どうされました? 何か問題でも?」

「鳩です! 敵は鳩を使って、麻酔銃で僕たちを狙っています! イベント用の花火をありったけ打ち上げてください。そうすれば鳩を追い払えます!」

「わ、分かりました! おい、パレードの運営班に伝えろ!」


 遊園地側の対応は、実に迅速だった。

 僕がパレードの方に目を遣ると、色彩溢れる花火がいっぺんに打ち上げられるところだった。しかし――。


「ん?」


 どうしたことか。鳩は動じることなく、気ままな飛行を続けている。精々、ひょいっと軌道を曲げて、火薬を被らないようにするくらいだ。これでは、作戦が成り立たない。


 僕は急いで、香澄の下へ駆け戻った。


「香澄! 駄目だ! 鳩は訓練されてるんだ、この程度じゃ追い払えない!」

「分かったよ畜生! だったら、全部相手にしてやる!」


 お前は伏せてろ! と再び怒鳴りつけられ、僕は観覧車の陰に避難。その間にも、香澄は容赦なく拳銃で狙撃を繰り返していた。

 きっと香澄の持つ能力によるのだろう。弾丸は一発たりとも外れることなく、鳩に装着されたカメラや麻酔銃を破壊していく。

 取り敢えず、香澄の銃撃を誤魔化す、という面においては、花火の打ち上げは一定の効果を上げた。


 香澄もまた、ただ突っ立って銃撃していたわけではない。前転、側転、バックステップ。見事な体術を駆使することで、自分を狙っているのであろう麻酔銃の針を回避し続けていた。

 拳銃だけで、これほど精確な狙撃を繰り返すとは。香澄自身の練度も相当なものだと言えるだろう。


 やがてパレードがフィナーレを迎え、香澄が最後の弾倉を拳銃に叩き込んだところ。

 彼女はふっと脱力し、だらりと両腕をぶら下げた。


「香澄、大丈夫か!」


 観覧車の陰から呼びかける。すると、香澄は珍しく、口角を上げてみせた。っていうか、微笑んだ? さっきの教会で、孤児たちに向けていたのと同じような温かさが、今の香澄からは感じられる。何だ、こんな表情もできるんじゃないか。


 香澄はすぐに笑みを掻き消し、拳銃にセーフティをかけてこちらに近づいてくる。


「鳩のカメラと単発銃は……?」

「全部潰した」


 未だに鳩たちは、自由気ままに上空を飛び回っている。だが、香澄が『全部潰した』と言うのだから、きっとその通りなのだろう。あれだけの射撃の腕前を持つ香澄の言葉だ。


 僕が安堵のため息をつくと、ぱちん! という擬音が飛び出しそうな衝撃が眉間に走った。


「いてっ! な、何すんだよ!」

「デコピン」

「分かってるって! だからどうして――」

「俺たちの任務は、電波妨害装置の破壊だろ?」

「あ」


 どうやら香澄は、安易に緊張を解いた僕を戒めたかったらしい。無論、仏頂面で。


「スタッフ専用通路への入室許可は取った。さっさと片づけるぞ」


 拳銃を背中に挟みながら、香澄はパスカードを取り出した。そのまま僕から目を逸らし、ずんずんと『STAFF ONLY』と書かれた扉に向かって歩いていく。僕もまた、鉄柵で区切られたその扉の向こうへと目を遣った。


 待てよ? 何か忘れているような気がする。数秒間考えて、僕ははっと息を飲んだ。


「あのおっさん!」

「はあ?」


 訝し気に振り返る香澄。だが、彼女の不機嫌に付き合っている暇はない。


「鳩に餌を遣って、この敷地に引き留めてたおっさんがいたんだ! テロリストの一味だったのかも!」

「ッ!」


 ぱっちりと目を見開く香澄。だが、気づくのが遅かった。

 微かな唸りを上げながら、一機の回転翼装備のドローンが、彼女の背後から接近していたのだ。

 音に反応し、拳銃を抜きながら振り返る香澄。しかし、僕は確かに見た。そのドローンに、やや大きめの銃が搭載されているのを。


 香澄の腕前でも、命中させられなければ意味がない。そしてそれだけ精密な射撃を行う間がないのは明らかだった。ついさっき、拳銃にセーフティをかけてしまったのだから。


 その後の僕の行動については、記憶が曖昧である。ただ、無意識に跳び上がったこと、香澄に体当たりをかましたこと、首筋に鋭い痛みを感じたことは分かっている。

 

 そして、視界が暗転し、泥沼に沈み込むような感覚に襲われたこと。

 恐らく僕は地面に倒れ込んだはずだが、その痛みに囚われる前に、僕の意識はブラックアウトしていた。


         ※


 再び意識が僕の脳内に浮かび上がってきた時、真っ先に感じたのは、その場の静けさだ。

 ただ、ピッ、ピッ、という柔らかい電子音だけが響いている。

 続いて覚醒した嗅覚からは、薬品臭さが感じられた。ゆっくり目を開けてみると、広がっていたのは真っ白な壁。いや、天井か。

 僕は他の感覚と前後しながら、自分がベッドに横たえられているのに気づいた。


 って、呑気に寝てる場合じゃない!


「うわあっ!」


 僕は勢いよく上半身を起こした。薄手のブランケットがするりと落ち、自分が負傷者や病人の着る貫頭衣を身につけているのが分かる。と同時に、うなじのやや左側に、僅かだが鋭い痛みが走った。


「そうだ、僕は……」


 すっと首筋に手を遣った時だった。


「ったく、心配したじゃねえか」


 無遠慮にカーテンが引き開けられ、一人の少女が入ってきた。案の定、石切香澄である。


「あ、ああ……」


 僕は香澄と目を合わせた。そばの丸椅子に腰を下ろしながら、じとっとした視線を僕に注いでくる。そうだ、いろいろと確認しなければ。


 そう思った矢先、香澄は自ら状況説明を開始した。


「あの鳩を操ってたおっさんなら、もう身柄を確保した。今は校内で取り調べを行ってる」

「え? あ、そうか」

「電波妨害装置も破壊した。取り敢えず、任務は完了だ」


 ふっと息をつく僕に、流石に今度は香澄も噛みついては来なかった。


「拓海、お前も命に別状はない。あのドローンが積んでたのも、麻酔銃だったからな」

「僕はどのくらいの間、意識を失ってたんだ?」

「まあ、ざっと四時間三十七分だ」

「は?」


 僕は違和感を覚えた。意識が戻ったのはいい。だが、どうして香澄は、そんなに細かく僕が気絶していた時間を把握してるんだ?


「香澄、もしかして僕の看病を?」

「なっ! んなわけねえだろ!」


 香澄は勢いよく立ち上がった。


「梅子や実咲先輩と交代で、この医務室に待機してただけだ! たまたまローテーションで、今は俺がお前のそばにいた、それだけだよ!」


 やっぱり香澄はガミガミさんである。だが、赤面しているのはどういうわけか?

 と同時に、僕は香澄の言葉を反芻する。『俺がお前のそばにいた』か。何だか聞いてるこっちが恥ずかしくなるような台詞だな。異性に言われたとすれば、尚更。


 気づけば、香澄は胸の前で腕を組んで、苛立たし気にスリッパで床をぱたぱた鳴らしていた。


「あの、取り敢えずありがとな、香澄」

「ひっ!」


 僕が告げると同時に、香澄は短い悲鳴を上げた。普段は切れ長の瞳を、真ん丸に見開いている。


「ごめん、何か気に障るようなことを――」

「ち、ちげぇよ!」


 だったらどうして赤くなるんだ。

 そう問いかけようとした頃には、香澄は既にこちらに背を向け、カーテンを引き開けていた。退室するらしい。


「あのな、拓海」

「ん?」


 僅かに拳を震わせ、しかし小声で、香澄は言った。


「お、お前さえよかったら、また教会にでも付き合ってくれねえか」

「ああ、構わないよ」


 我ながらあっさり答える僕。すると香澄は、さっきの僕のようにふうっ、と息をついて、最後にこう言った。


「ありがとよ、その、助けてくれて」


 その言葉を残し、今度こそ香澄は病室から出て行った。

 僕もまた、自分が赤面しているのに気づいたのは、それから間もなくのことである。

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