第9話

「どわひっ⁉」


 驚いて腰を抜かした僕に対し、梅子は冷静だった。


「お、おい梅子、こんなにたくさん降って来るなんて……!」

「お兄ちゃんは下がってて! 頭を低く!」

「は、はい!」


 僕は素直に返答し、その場にしゃがみ込む。

 スライム共はちょうど僕たちを中心に、円陣を組んで様子を窺っている。

 対する梅子は、油断なく四方に目を走らせて全方位を警戒。頬の高さに掲げた右の拳に、ギラリとメリケンサックが輝いている。

 そこには、昨日僕が見たのとは比較にならない、青くて明るい光が宿っていた。


「さっさと来なさい、この雑魚モンスター共!」


 そう叫ぶ梅子。そりゃあ、ゲームの中で言えばスライムは雑魚だろう。だが、先ほどはたった一体のスライムに手こずったのだ。ざっと二十体近いスライムたちを殲滅するのは大仕事だろう。


 って、他人事じゃないんだな、これが。

 先に動いたのは、スライム共だった。びよん、びよんと跳ね回りながら、だんだんとそのタイミングを合わせていく。そして、一斉に跳びかかってきた。


「はっ!」


 梅子は両の掌を地面に着き、両手両足を使って自分の身体を跳ね飛ばした。高い。ビルの二階くらいにまで跳んだ。

 地上にいたはずの梅子を狙ったスライム共は、互いにぶつかり合って弾き飛ばされる――かと思いきや、連中も馬鹿ではなかった。


 ぐぽん、と水を連想させる音を立てて、スライムは互いに溶け合い、合体したのだ。


「ッ!」


 巨大な一体のスライムと化した敵を眼下に、梅子は落っこちていくしかない。そんな彼女を迎撃するつもりなのだろう、スライムは槍状に身体を変形させ、下方から梅子を狙った。


「梅子っ!」


 スライムの注意を惹こうと、僕は叫んだ。

 すると、僅かにスライム本体が揺らいだ。重心をこちらに移し、ぶよん、といって近づいてくる。

 同時に、梅子を狙っていた槍がズレた。


「とあっ!」


 梅子は両足を広げ、自身の身体に回転をかけた。彼女を掠めたスライムの槍を、途中から蹴りつけてぶっちぎる。僅かに振動するスライム。ダメージは入ったらしい。

 だが、明後日の方向に飛ばされた槍は、それ自体が再び球形を取ってスライムとなった。そして、今度は僕に襲い掛かってきた。


「うわわわっ!」


 思わず腰を抜かす僕。ふと見上げると、梅子は巨大スライムにダイブすることなく、辛うじて木の枝にぶら下がっていた。

 梅子はまだ戦える。となれば、僕が犠牲になる価値はあったというものだ。だが、僕は恐怖に駆られてしまった。怖いものは怖い。


 迫ってくるのは、ミニサイズのスライムが三体。


「こ、こっち来るんじゃねえっ!」


 叫びながら、僕はその辺の石ころやら枝やらを投げつける。しかしそれらは、スライムの動きを鈍らせることはできても、追い払うには至らない。

 このままでは、僕はスライムに取り込まれ、窒息死させられてしまう。


 そんな窮地を救ってくれたのは、やはり梅子だった。ターザンよろしく、木の上を自在に跳躍して接近してきた彼女は、四肢を突っ張るようにして三体のミニスライムを弾き飛ばした。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

「あ、ああ!」

「無茶しないで!」


 そう言葉を交わす間にも、ミニスライムの破片はずるずると母体に引き寄せられた。そして何事もなかったかのように、一体の巨大スライムへと戻ってしまう。


 拳は通用せず、蹴りも時間稼ぎにしかならない。どうしたらいい?

 何か武器になるものはないかと周囲を見回した僕は、しかし妙な光景を目にした。


「ん? あれは……」


 そこにいたのはミニスライムである。しかし、他の連中に比べて動きが緩慢だ。母体に同化できないでいる。やがてそいつは、その場で固まって動かなくなってしまった。さっきのスライムと同じだ。


 ふと上を見上げて、僕は合点がいった。


「梅子、日光だ!」

「何?」

「こいつら、日の光が弱点なんだ!」

「本当に⁉」


 梅子の顔に喜色が浮かぶ。だが、それはすぐに曇ってしまった。


「でも、どうやってこいつを日の元に引っ張り出すの?」

「そ、それは……」


 考えろ。考えるんだ、平田拓海。お前にはそれしかできないだろうが。


「よし、僕が囮になる。その間に梅子は、木の上を跳び回って枝を切り落とすんだ。そうすれば、少なくとも奴はここにはいられなくなる!」

「さっすがお兄ちゃん!」


 梅子はふっと頬を緩ませたが、


「でも、お兄ちゃんはどうやってスライムの気を惹くつもりなの?」


 と問うてきた。


「そ、それは……」


 相手の知能レベルは不明である。どうやって注意を逸らすかというのは、頭の痛い問題だ。

 

 少なくとも、スライムは僕や梅子を、きちんと敵として認識している。すなわち、敵味方の判別がつく程度の知性はあるわけだ。

 加えて、これだけ大騒ぎしているにも関わらず、未だに電波妨害装置は無傷である。スライムなんて、あっちこっちに飛散して滅茶苦茶に戦っているように思っていたけれど、きちんと任務の遂行を念頭に置いて戦っている。


「だったら……! 梅子、よく聞いてくれ」

「うん!」


 巨大スライムに警戒の目を注ぎながら、梅子が頷く。


「僕は電波妨害装置を担いで逃げ回る。その間に、お前は周りの木の枝を片っ端から叩き切るんだ」

「な、何ですと⁉」


 奇妙な訊き返し方をする梅子。僕は持論を梅子に聞かせた。日光の差し込む間がないのなら、作ってしまえばいいのだ。


「木陰をなくそう、っていうことだね?」

「そう、そのための役割分担だ。やれるか?」

「やるっきゃない、でしょ!」


 梅子が不敵な笑みを浮かべるのが、気配で分かった。僕は軽く彼女の肩を叩き、勢いよく駆け出した。ちょうど、スライムを挟んで反対側、電波妨害装置の下へ。


 ひゅん、と空を斬る音がして、僕は慌てて足を止めた。


「うあ!」


 同時にそのまますっ転ぶ。するとスライムから伸ばされた槍が、僕の頭上を掠めていった。


「あっぶねえなあ、おい!」


 スライムは、僕の想像よりも高い知性を備えていた。頭部を執拗に狙ってくる。人間の弱点を、きちんと把握しているのだ。どうすれば殺せるか、ということも。


 飛んだり跳ねたり転んだりを繰り返し、ようやく僕は電波妨害装置のそばに駆けつけた。最後は、続けざまに繰り出されるスライムの槍を回避すべく、スライディングのような格好になったが。


「このっ、このっ!」


 僕はひとまず、パラボラアンテナを足でへし折った。それから装置の本体、金属製の箱を持ち上げる。しかし、


「ぐっ!」


 重い。二十キロくらいはあるのではなかろうか。


「どこかに把手か何か――」


 と言いかけて、僕は自分に迫る殺気を感じ取った。


「やべっ!」


 慌てて飛び退く。すると、僕の手と装置の間を縫うように、槍が伸びてきた。僅かに僕は、手の甲から出血する。

 そう、決して致命傷ではない、些細な負傷である。だが、僕は怯んでしまった。

 こんなにあっさり戦闘状態に巻き込まれ、そこで血を流すことになるとは思いもよらなかったのだ。覚悟が足りなかった、と言ってもいい。


「ぐわわわっ!」


 慌てて手の甲を反対の掌で押さえる。奇妙な生温かさが伝わってくる。

 僕、このまま死ぬんじゃないか?


 そう思った次の瞬間、まさに必殺の槍が、スライムから発せられた。ヤバい、本当に死ぬ!

 僕はぎゅっと目を閉じ、その場にしゃがみ込んだ。無惨にも額を槍で貫通され、そのままあの世へ逝くことになるだろう。


 梅子はどうなってしまうのか? 確かに、逃げ帰ることは可能かもしれない。でも、彼女は戦い続けるかもしれない。いずれにせよ、ここは梅子のお父さんに、『娘さんを守れずすみませんでした』と陳謝すべきだろう。


 って、あれ? 僕、もうそろそろ死ぬ頃じゃないか? どうして頭が回っている?

 溢れ出す疑問に後押しされ、僕はゆっくりと目を開けた。


「ひっ!」


 槍が、僕の眉間の数センチ前まで迫っている。しかしそれ以上伸びてくる気配はない。

 日光だ。日の光が、頭上から降り注いでいる。どさり、と木の枝が落ちてきたのはその直後のことだ。


「お兄ちゃんに手を出すなああああ!」


 梅子の絶叫に、ぎょっと波打つスライム。既にその時、スライムの石化現象は始まっていた。だから僕を仕留め損ねたのだ。


「はあっ!」


 気合一閃、頭上から降ってきた梅子は、青い炎を宿したメリケンサックをスライムに叩き込んだ。白っぽくなっていたスライムの表面に、ピシリ、とひびが入る。


「でやっ!」


 続けざまに殴打され、スライムの一部は完全に砕け散った。

 その頃には、僕もかなり落ち着きを取り戻していた。傷は深くない。装置に把手があることにも気づいた。

 スライムがのたうっている間に、僕はリュックサックからロープを取り出し、把手に通してからランドセルのように背負い込んだ。


「うお!」


 やっぱり重い。だが、これは僕の立てた作戦だ。きちんと梅子が戦い終えるまで、囮として援護してやらねば。

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