第4話 四人目

弩級砲フレア』によって魔族は跡形もなく消滅し、裏路地には再び静寂が訪れた。

 自信げに佇むマリーの後ろ姿には、可憐さとはまた違った、対魔の徒としての輝きがあった。


「ありがとう。マリーがいなかったら……」

「……」

「マリー?」


 マリーは聖人のような笑みを浮かべたまま硬直している。呼びかけに反応する素振りもない。さながら銅像のような振舞いには威厳すらあったが、実際に顔色が青銅のように青ざめていったのだから、ヒューズの狼狽えぶりにも説得力が増すというものだ。


 そして、マリーは笑顔のまま、ぱたん、と棒が倒れるように気絶した。


「ま、マリー!? どうした急に!」

「あーあー、やっぱりやり過ぎたか。……こいつな、異能の出力はすごいんだが、今んとこんだよ。身体中の力搾り尽くしたらそりゃ倒れるってもんだ」


「身体中の力を搾り出す」。その表現に納得しかけたが、ヒューズはすぐ首を振った。

 人間の、それも華奢な少女の肉体にあれほどのエネルギーが眠っているものか。そこらの兵器など足元に及ばない熱量なのだ、やはり異常と言わざるを得ない。


 苦笑いするヒューズを横目にジンはマリーを抱え上げると、肩に乗せたまま背を向けた。


「俺はこいつを医務室まで運ぶ。お前らは……そうだな、寮に戻っていいぞ。今日の授業は終わり」

「えっ、終わりですか?! 魔族の弱点とか、戦い方とか……そもそもなんで街中に魔族がいるのか、とか。言うべきことが山ほど……」

「また今度話すって。よく休めよ!」


 ジンは軽いあしらいと共に駆け出し、あっという間に見えなくなった。あとにはヒューズとフレッド、それに滅茶苦茶になった建物が残るのみ。まさに嵐のような出来事だった。


「……帰るか」

「……」


 通りの方ではビルの倒壊で騒ぎが起こっているようだ。人々の悲鳴混じりの声が聞こえる。

 ここにいては何を疑われるか分かったものではない。二人は、いがみ合う間もなく帰路についた。


 * * *


「だあっ……疲れた」


 ヒューズは自室のベッドに横たわり、気の抜けた声を上げた。


 学園の存在する地下空間。その中には、生徒の居住施設……すなわち学生寮も存在する。一人一人に個室、それも設備の揃った広いものが用意されるという、金をふんだんに注ぎ込んだ待遇だった。

 時間は午前11時。まだ寝るには早い。ヒューズはマットレスに体を預けながら、しばしの間物思いに耽ることにした。


 自分がこの学園に来た理由を思い返す。

 忘れもしない八つの時だ。ヒューズには、優秀な町医者の父と、看護師の母、そして二歳離れた妹がいた。

 ごく普通の家庭で、平穏な日々を送っていたはずだった。しかし——


『ヒューズ、フェリシア! 逃げろッ!』


 突如として、日常は崩れ去った。

 満月の夜だった。家に押し入ったのは、『狼の頭をした魔族』。母は真っ先に殺され、父は二人の子を逃すための犠牲となった。

 それから二ヶ月。街を移り渡り、極貧の生活を送っていた兄妹の元に『狼頭の魔族』は再び現れ——今度は、妹を連れ去った。


 自分に雷の異能があると気付いたのはその一週間後だった。ヒューズはその間の悪さに心を歪め、そして決めたのだ。


「家族の仇を見つけ出し、必ず殺す」と。


 十五になって近付いてきたアステリアという組織は、それを果たすのに絶好の場であった。


「……私怨は視界を曇らせる、か」


 ヒューズは天井の灯りに目蓋を萎めながら呟いた。

 学園に来た時、決めていたことが一つある。それは「そこで出会う仲間たちには、絶対に迷惑をかけない」というものだった。

 家族の仇を取るために、自分が悪鬼になるわけにはいかない。両親の善心に応えるため、ヒューズは戦士である前に博愛の人であろうと決めていた。


「……校内でも見て回るかな」


 ヒューズは曇った顔をぱしぱしと叩くと、確かな足取りで自室を後にした。


(そういえば、トレーニングルームがあるんだっけ)


 入学前に受け取った書欄に、そんな案内があった気がする。ヒューズは男子寮棟から出て、広い校内をあれこれと覗き見しながら部屋を目指した。


 辿り着いた部屋の様子は壮観だった。とても学内の施設とは思えない、驚異の充実度。大型ジムさながらの機材が広大な空間に備えられている。

 動きやすい服装に着替え、さっそくトレーニングを始めようとした、その時だった。


「ねえ、君」

「へっ?」


 横からの声に肩を震わせ、振り返る。横の椅子には、長い黒髪を一つに結んだ、凛とした表情の女生徒が座っていた。


「っと、驚かせるつもりはなかったんだけど。よっぽどワクワクしてたんだね」

「ああいや……見たことなかったんで。ずっとここにいたんですか?」

「いたよ。……ふふ、はしゃぐと周りが見えなくなるタイプ? どんな人かと不安だったけど、仲良くなれそうでよかったよ」

「仲良く?」


 ヒューズが首を傾げると、女生徒はくすくすと小さく笑い、白くすらりとした右手を差し出した。


はレイン・ハイトマン。対魔科の一年だよ。君はヒューズくんでしょ?」


 レイン。聞き覚えがある。確かマリーとジンが口にしていた、授業に出ていなかった生徒の名だ。つまり……


「同級生か!」


 彼女が対魔族能力科の新入生、最後の一人だ。

 あまりに大人びた居ずまいだったので、思わず敬語を使ってしまっていた。


「そうだよ。これからよろしく」

「ああ、こちらこそ。レインもトレーニングに?」

「うん。用事から戻ってきたのに、今日の授業はもう終わり、なんて言われてね。やることがなかったから、こうして暇を潰していたんだよ」


 レインが穏やかに、それでいて毅然とした態度で語る。フレッドやマリーとはまた違った異質さがあった。

「僕」という一人称に、女性らしくない口調。それはまだいいが、問題はその雰囲気だ。話しているだけで、筆舌に尽くし難い底知れなさに身が強張る。

「あいつにゃ必要ない授業」というジンの言葉が思い出された。


「……どうかした? 浮かない顔だけれど」

「なんでもないよ。……ところで、用事って?」

「身体検査の件で確認があったのさ。僕にはよく分からない内容だったけどね」


 レインはそう言うと、傍に置いてあった飲料を口に運んでから、突然ダンベルを持ち出した。しなやかな細い腕だったが、やはり見た目以上の力を秘めているようで、この程度なら汗ひとつかかずに上下できた。


「君もどうだい? トレーニングしにきたんでしょ?」

「そうだけど……いやに唐突だな」

「話しながらでも鍛えられるからね。ちょうど今思いつい——」


 不意に力が入ったのか、レインはダンベルを上げる速度を誤り、額に激突させた。ごつん、と鈍重な音が室内に響き渡る。


「——いっ……たぁ〜……」

「だ、大丈夫か?」

「ああ……大丈夫、大丈夫。僕の筋力を見せつけてやろうと思ったんだけど……力み過ぎたかな」


 目を細めながら額をさするレインからは、先程までの威圧感にも似た雰囲気が取り払われ、年相応の少女としての愛らしさが滲んでいる。そのちぐはぐさと意図の読めない様子に、ヒューズはまたも先行きの不安を感じずにはいられなかった。


(わ、分からない……ただの天然か?)


 レインは苦笑いするヒューズを一瞥して、ほんの少し頬を赤くすると、咳払いをしてから凛とした顔を作り直した。


(……あっ、もしかして虚勢?)


 一瞬のどうということはない一幕であったが、ヒューズは何となく、レイン・ハイトマンという人物を理解できた気がした。


「そういえばヒューズくん。明日の授業の話、聞いたかい?」

「明日? ……いや、聞いてないけど」

「なんで生徒同士で異能を試し合うらしいよ。つまり、擬似的な戦闘訓練。ねえ——」


 レインは意味深な笑みを浮かべると、ヒューズの瞳をじっと見据え、その一言を口にした。


「——よかったら。僕と手合わせしない?」


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