第3話 モブ令嬢と婚姻の儀

「汝、グラードル・アンデ・ルブレン。七大竜王が盟主、白竜ブランダルが司りし正義の名の下に、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアを愛し、守り抜くことを誓うか」


 祭壇の前にいる神官様からの問いかけを受けて、グラードル様は一歩、祭壇に向けて踏み出します。

 そして騎士正装の腰に差した白い短剣を右手で抜き放ち、刃を上に向けて胸の前に携えました。


「はい……白竜ブランダルの名にかけて、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアを愛し、守り抜くことを誓います」


「汝、フローラ・オーディエント・エヴィデンシア。七大竜王、青竜バルファムートが司りし純潔と貞節を守り、グラードル・アンデ・ルブレンを愛し、その身を慎むことを誓うか」


 私も、神官様の問いかけを受けて、一歩踏み出しますが、前を向いたまま動かないといけないので、着慣れない婚礼用ドレスの、床まで伸びる長い裾を踏んでしまいそうでドキドキします。

 そして腰帯に掛けていた、両の手を広げたくらいの大きさをした青い盾を手に取ると、胸の前に両の手で掲げます。


「はい……青竜王バルファムートの名を汚さぬよう、グラードル・アンデ・ルブレンを愛し、心の純潔とこの身の貞節を守ることを誓います」


 グラードル様と私は婚姻の儀、定番の誓いの言葉を、神官様の問いかけに答える形で宣言しました。


 私たちの住むオルトラント王国は、神よりこの世界の管理を課された、白・赤・青・緑・金・銀・黒を冠する七大竜王様。

 その中の白竜ブランダル様の棲まわれる白竜山脈を領土内に抱えています。

 故に竜王様たちを崇める七竜教の中でも、白竜派と呼ばれる派閥の力が強く、ブランダル様を七大竜王の盟主と捉えております。

 ですが、本来竜王様たちには上下はありませんので、他の国では別の竜王様を盟主と崇めていたりします。

 国によっては、男性に問われる言葉が、別の竜王様と、その竜王様が司る事柄に対して誓いを立てることとなるのです。


 女性への問いかけと誓いの言葉が変わらないのは、青竜様が司るのが純潔と貞節ですので、この場合仕方がないのかもしれません。


「では次に、汝、グラードル・アンデ・ルブレンに問う。そなたは、アンデの姓を闇の精霊シェルドへと捧げ、エヴィデンシアの姓を得ることを望むか?」


「はい……闇の精霊シェルドへとアンデの姓を捧げ、エヴィデンシアの姓を賜りたく存じます」


 闇の精霊シェルド。

 神から世界の調和を保つことを課された、地・水・火・風・光・闇を司る六大精霊の一柱。

 すべてのものを包み隠す力を持つかの一柱に、母親から賜った婚前の中間姓を捧げ、結婚相手の姓を賜ることで、その家に入る決意を示すのです。

 本来であれば、この宣言は女性がするものなのですが、今回の場合グラードル様がエヴィデンシア家へと婿入りする形ですので、この宣言はグラードル様がしなければなりません。

 こればかりは、男性上位の社会構造をしている大陸西方諸国でも例外はありません。

 今回の宣言は王族・貴族社会用のものですが、上級市民では姓を捧げ、嫁ぎ先の姓を賜ることとなります。


「……よろしい。ではいまこのときよりグラードル・アンデ・ルブレンは、グラードル・ルブレン・エヴィデンシアとなり、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアと結ばれることとなる。剣と盾を合わせ祭壇へと奉納なさい」


 神官様はそう言うと、祭壇の脇へと退きました。


 祭壇の前でグラードル様と私は向かい合います。私は片膝をつき胸の前に掲げていた盾を頭の上へと掲げます。

 グラードル様は胸の前で携えていた短剣を両の手で持ち、今度は刃を下に向けます。そして私の掲げた盾の後ろ、持ち手にある剣を納める隙間へと差し込みます。

 盾に剣が納められたのを確認してから私は立ち上がりました。そして二人で剣が納められた盾を携えて祭壇へと奉納します。これが伴侶となった二人の初めての作業となるのです。


「白竜ブランダル様のご加護を!」


 神官様はそう言うと祭壇へと向き直ります。そして、お腹の前で両の手を組み、手の親指を額に一度付けるように掲げて元の位置に戻しました。


 それに合わせるように、参列した方々も同じ動作をします。

 これは大陸西方諸国で共通する祈りの動作です。


「グラードル・ルブレン・エヴィデンシアとフローラ・オーディエント・エヴィデンシアは、これより夫婦となりエヴィデンシア家をもり立てて行きなさい」


 最後に、グラードル様と私も祭壇に祈ります。

 ……こうして、私とグラードル様は夫婦となったのです。



 婚姻の儀が終わりグラードル様と私は、本日参列してくださった方々にお礼の挨拶に向かいました。


 エヴィデンシア家側の参列者は、バレンシオ伯爵の不興を買うことの恐れもありましたので、おりませんでした(そのことに対する詫び状をいくつかいただきましたが)。

 ルブレン侯爵家側も、関係の深い貴族と商人が数名参列なされているだけです。


 グラードル様がおっしゃるには、「俺は後継者ではないからね。それに父上にとって俺は不肖の息子だから、あまり派閥内の人間に晒したくないのさ」ということだそうです。


 参列してくださった貴族の方々との挨拶を、位の高い順に回り。その後のヴェルザー商会関連の参列者とはグラードル様が私を紹介してくださる形で話をしています。

 そして、その挨拶回りも最後の一人となりました。


「おお、グラードル。おぬしも騎士正装を着ているとそれなりに見えるものだな。見違えたぞ」


「エルダン殿、ご足労ありがとうございます。フローラ嬢、こちらは父上の商売仲間のエルダン・カンダルク殿だ。俺とは歳が近いこともあり、良く面倒をみてもらっている」


 紹介されたエルダン様は正装をしているものの、着崩れていてどこかだらしなく見えます。

 銀色に薄く紫が入ったような髪色で、瞳は黒が強い青です。お顔は端正で、外見だけ見ればグラードル様よりも貴族らしく見えるかもしれません。しかし、服装だけでなく身体全体から、どこか不健全で退廃的な雰囲気が漂っております。

 グラードル様はそのお顔の刀傷もあり、一見恐ろしげですが、じっくりと見ていますと、瞳は優しい光を湛えていて、これは失礼かもしれませんが、どこか大型で人なつこい犬のような雰囲気を漂わせております。

 そんなお二人が並んでおられますと、私の心の中にはどこかちぐはぐとした感覚が湧き上がってきます。


「おいおいなんだその口調は、まさかお前、伯爵家に婿入りしたくらいで気後れしている訳ではあるまいな」


 エルダン様は、気安くグラードル様の胸を小突くと、隣に立つ私をまじまじと見つめます。


「それにしても……神殿の中が暗いからそう見えたのだと思っていたのだが。これは――話に聞いていたとおり、本当に農奴の髪・瞳の色なのだな。顔立ちもそうだが、とても貴族の娘とは思えん。グラードル、お前もクルークの忍耐を身につけねばならんな」


 エルダン様は、あからさまに蔑むような目つきになっています。

 クルークとは七大竜王の銀竜様の名前で、かの竜王は忍耐と知識を司っておられます。

 私は心の中でため息をつきました。

 式の前、アルク様には平凡顔と言われ、それが婚姻話を断った理由だと言われましたが、彼は私の髪と目の色のことは言及なされませんでした。

 ですが私としては、私のこの茶色い髪色と、同じく茶色の瞳の色が、婚姻話を断った最大の理由ではないかと思っておりました。


 私たちの世界では、人はみな七大竜王様と、六大精霊の加護をいただいております。

 例外はあるのですが、髪は七大竜王様の加護の影響を強く受け、瞳は六大精霊の影響を強く受けます。

 つまり、白竜様の加護が強ければ髪の色は白く、火の精霊の加護が強ければ瞳の色は赤くなるのです。また複数の竜様や、精霊の加護をいただけば、その色が混ざる場合もあります。


 私の髪・瞳の茶色は地の精霊ノルムの加護の影響に他なりません。

 エルダン様が仰ったように、この色は地に働く、農民や農奴、特に農奴の家系に多く見られる色合いなのです。


 貴族の方々にも本当に少数ですが、茶色い髪色であったり、瞳の色であったりする方もおられます。ですが、それは混色によるものであることがほとんどです。

 私のように、両方が同じ色である場合は間違いようもありません。


 私自身、今回の婚姻話がルブレン侯爵家からあったと初めて聞いたとき、なんとも奇特な方がいたものだと感心したものでした。私のこの髪・瞳の色を知って、それを気にせずに娶ろうなどという貴族の殿方がいるとは思っておりませんでしたので。

 まあ後で、政略結婚のようなものだと聞き、納得はしたのですが。


「何を言っているのですか? 忍耐などと、彼女のような可憐な女性を手にして、忍耐など必要ないでしょう。逆に俺こそ彼女に愛想を尽かされないように身を慎まなければ」


 私は、改めてエルダン様とグラードル様を見比べます。

 なんという違いでしょう。

 エルダン様の視線は、とても上級市民が貴族を見る視線ではございません。対して、グラードル様が私を見る視線のなんとお優しく、そして私を誇るような笑顔。

 私はこのとき心の底から、グラードル様と伴侶となれたことを、白竜ブランダル様に感謝いたしました。


 そんな私の思いをよそに、エルダン様がグラードル様の肩に腕を回して、後ろを向くとその耳元で囁きます。


「ほぅ、なるほど。おまえ療養所にいる間に、女心をくすぐる術を覚えたと見える。いやいや、それで良い。女などそうやっておだてておけば、いくらでも言うことを聞くものだ。よし、分かった! おまえがその女のご機嫌を取るのに疲れたら言ってくるが良い。またシャハルーザのしとねに招いてやるさ」


「エルダン殿、このような場所でそのような話はするものではありません。それに俺は彼女とは真摯に向き合いたいのです」


 たとえ後ろを向こうともこれだけ近いのですから丸聞こえです。

 申し訳ございませんが、一五歳の小娘でも知っております。シャハルーザの褥が色宿の隠語であることくらい。

 婚姻の儀を終えたばかりの夫婦の夫にこのような話をなされるエルダン様を、私は好きになれそうにございません。


「……ほう、俺の好意を無にする訳か――いや、いい。めでたい席だ、今日はおまえを祝うために来たのだしな。フローラ嬢、こいつのくつわをとるのは難しいとは思うが、頑張るがいい」


 エルダン様はグラードル様を解放しながら、言いたいことだけ言って帰って行かれようとしましたが、彼はふと立ち止まると「おおそうだった。結婚祝いだ取っておけ」と、隠し内ポケットから何かを取り出してグラードル様の手に握らせました。


「……こ、これは?」


「以前、もの欲しげにしていたろ。ブリステン製の懐中時計だ。俺の商会ところルートもなかなかのものだろう? 奥方にも、そのうち髪染めでも贈って差し上げよう」


 エルダンさまは、最後にニヤリとした笑い顔を残して帰って行かれました。


「すまないフローラ嬢……」


 グラードル様が悪いわけでもありませんのに。

 申し訳なさそうにしているその姿は、どこか主人に叱られるのを恐れている大型犬のようです。

 逆に頭をなでて上げたいような、そんな心持ちになってしまい私は、短く「いえ……」と答えたのでした。


「それでは……俺たちも、帰り支度を始めよう 」


 そう言ってグラードル様は、私をエスコートして控え室へと足を進めますが、その途中、グラードル様がまた不思議な響きの言葉で小さくつぶやきます。


「『しかし、エルダン――こんなやつだったんだな。グラードルが頭が上がらないというか、一目置いていた相手か……。ゲームでこいつが色々やらかしてたとき、裏で手伝ってたのは間違いなくエルダンの手下だよな。……ヤツとは距離を置くようにしないと、最後には見捨てられるんだし……』」


 その不思議な響きの言葉の中に、エルダン様の名が混じっていたのが、私に妙な気懸かりを残しました。

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