第7話 モブ令嬢家の使用人事情(前)

「フローラ。ここで良いのだろうか?」


 旦那様が戸惑顔で、私に振り返りました。

 私は、お父様から預かった地図から目を上げて、周囲の街並みと見比べます。

 ここはオルトラント王国の首都オーラスにある三重城壁の最も外側にある商業区の一画です。


「はい……ここで間違いないはずです。しかし昨日も言いましたが、本当によろしいのですか? ご実家を頼らずに……」


 昨夜、新居に移ったあと夕食の席で、旦那様がお父様に使用人の当てはないかと言い出しました。

 私もお父様も、ご実家を立てなくて良いのかと話しはしました。

 しかし我家にとっては過去の内情を知っている者たちを雇い直すことができれば、それ以上のことはありませんでしたので、ありがたく旦那様の意向に従うこととしたのです。


「父上を頼ったら、間違いなくルブレン家の息の掛かった人間がやってくるよ。そうなったらエヴィデンシア家の自由は無くなるだろうね」


「私は――いえ、お父様もですが、ドートル様は旦那様と共に執事も送り込んでくるものと思っておりました」

 

 私の言葉に、旦那様は少し情けなさそうな、それでいて安堵しているような複雑な笑顔を浮かべました。


「残念ながら……というか、有り難いことにと言った方が良いのか……。俺とエヴィデンシア家は、父上にとって数合わせのための投資みたいなものなんだろうね」


 その言葉に私は、婚姻話が持ち上がったときにお父様が言っていた言葉を思い出しました。


「……ルブレン侯爵が、財務卿の地位を狙っているというのは本当のことなのですね」


「まあそんな話は薄々出回ってるか……その通りなんだと思う。バレンシオ伯爵に迫害を受けてきたエヴィデンシア家に手を差し伸べることで、周囲に自分の度量を示し、そして『こちらは、そちらの弱みを探り出すこともできるぞ』と、暗に脅して見せているわけだ」


 現在の財務卿、我家の仇敵でもあるバレンシオ伯爵。しかし既に老齢で、年内には財務卿の役職を離れることが決まっております。

 国法によって、財務卿などの重要職は世襲が禁止されております。ですが血縁者の就任を否定するものではございませんので、バレンシオ伯爵の甥に当たるレンブラント伯爵が今のところ次期財務卿と目されております。その対抗馬としてルブレン侯爵がお立ちになるつもりなのでしょう。

 ルブレン侯爵がオーナーとなっているヴェルザー商会の王国への貢献度を考えますと、十分に対抗できるはずです。


「それならば、なおさら我家に干渉してきそうなものですが?」


「実際にそんなことをしたら、それこそバレンシオ伯爵が黙っていないだろう。今回の婚姻にしても、異議を唱えるだけでは済まなかったんじゃないだろうか。それに当時の事件に対しては決着も付いている。ただ父上は、バレンシオ伯爵があまりにもエヴィデンシア家にこだわっているように見えたから、少しでも有利に運べるように、『財務卿の選任に当たって不正をするな』と、釘を刺したんだろうね」


「……つまり、我家への援助が二年と区切られているのは……」


「そう、その後は俺もエヴィデンシア家も、どうなろうとかまわないってことだろう」


「……しかし、それにしては新たに館を建築してくださるなど、我家に多大な投資をしているように見えるのですが」


「ああ……それは……」


 旦那様が言いづらそうに口ごもります。あの独り言にもならないところを見ますとよほど言いにくいことなのでしょうか?


「俺が……ごねたから……らしい」


 あまりにも小さくつぶやかれたので最後の辺りは聞き取れませんでしたが、旦那様が無理を言って建てさせたということでしょうか?


 「しかし……義父上が、少々変わり者だと言っていたが、本当にそのようだね。『……この世界にも地下店舗って有るんだな』」


 旦那様はこの話はこれで終わりにしようとでも言うように、私に向けていた視線を、本来の目的の場所へと戻しました。語尾が、不思議な言葉で小さく独り言なるのは相変わらずで、私も少し慣れてきてしまいました。それにしても、独り言になると無意識に言葉が切り替わるのは見事と言って良いのでしょうか?


 目の前にあるのは、地面にぽっかりと口を開けた、暗い――地下へと続く石段です。


「足下に気をつけてフローラ」 


 旦那様は私をエスコートするように片手をとり、石段に足をかけました。

 私たちが石段を下っていきますと、壁に設置されたランプがポワリと点灯しました。


「……魔具マギクラフトか。ヴェルザー商会でも取り扱うことが難しい商品らしいのだが、……こんなところに」


 魔具は、器具自体に特定の魔法の能力を与えたものです。魔法を使えない人間でも使うことができますが、与えられた魔法の効力によって、回数や時間など使用制限がかかります。ですが地脈に流れるマナを捉えて永続的に機能する魔具も有ると聞いたことあります。


 地下階に降りると、3メートルほど先にドアがありました。

 ドアには、『アンドルク家職ヴィトレール血盟ミーン』というプレートが取り付けられております。一〇年ほど前までエヴィデンシア家の管理とお父様の補佐をしていたアンドルク一族の窓口となるのがこの場所だということです。


 旦那様がドアノッカーに手をかけようとすると、ギィーっと音を立ててドアが内側へと開きました。


「グラードル・ルブレン・エヴィデンシア様、フローラ・オーディエント・エヴィデンシア様。ようこそおいでいただきました」


 ドアの先で、執事服に身を包んだ壮年の男性がそれは見事な礼をいたしました。

 年の頃はお父様と同じか少し上くらいでしょうか? 背の高い細身の身体は糸杉のようで、艶やかな黒い髪を頭にピタリとなでつけるように固めています。こめかみのあたりの髪が筋が入るように白くなっているのが特徴的です。

 姿勢を戻した彼は、薄く笑っているとも無表情とも見える細い目をしていました。それはどこか彫像を思わせる雰囲気を放っています。


「アンドルクの当主、セルバンスターク・アンドルクと申します。長い名ですので、セバスとお呼びください。さあ、どうぞお入りください。メアリー、お二方にお茶の準備を」


 セバス様が言うと、ドアの陰から一人の女性が現れました。侍女服を纏った女性です。

 彼女は私たちに目礼をすると、スルスルと音もなく部屋の奥へと消えてゆきました。

 

「……俺たちがやってくると分かっていたのか?」


 言いながら、旦那様が部屋に入ろうとします。


「旦那様!?」


 私は思わず声を上げてしまいました。

 それは、旦那様が私よりも先に部屋へと入ろうとしたからです。常識としてあり得ない行動です。

 大陸西方諸国で一般的な常識として、女性を伴っている場合、入り口などでは女性を先に進ませるものです。

 特に貴族など地位の高い人間ならば、当主や家を継ぐ男性の命が最優先だからです。

 相続権を持たない女性を、その先に危険が無いか確認させるために先に入れるのです。


 旦那様は私の上げた声を聞きもしないように、私をセバス様の視線から隠すように動いています。おそらく警戒しているのでしょう。連絡をしてあった訳でもないのにこのような対応をされれば分からなくもありません。

 もしかすると、旦那様はまだ手続きが終わっておらずエヴィデンシア家の爵位を継いだわけではございませんので、私を守ってくださっているのかも知れません。

 しかし、旦那様の行動は貴族としては褒められたものではございません。その……守られていることに対するうれしさは確かにあるのですが……。


 セバス様の眉がピクリと動いた気がしました。表情の変化は少ないものでしたが、どこか意外なものでも見たような、そんな思いが浮かび上がったような感じです。

 どこか私たち、いえ旦那様を試してでもいるように感じられます。


「石段の天井部に物見の水晶が設置してありますので」


「『監視カメラかよ……』」


 旦那様が、いつものようにつぶやきました。


「だが……それでは人が来たことは分かっても、誰が来たかまでは分かるまい」


 ごまかしごとのような返事に、旦那様の声の調子が少し低くなりました。

 旦那様の背中が、完全に私の視線を遮ります。彼の幅広い背中からは不信感がにじみ出ているように見えます。ですが、いまの私にはとてつもなく頼もしく見えて、その背に寄り添いたくなってしまいました。


「こちらを訪れる人間はそうそうおりません。それに、一昨日前に婚姻の儀を終えたばかりのエヴィデンシア家の方々が、使用人をお求めになることは、想像に難くありません」


「そもそもそこがおかしいのではないか? 何故貴方が俺たちの婚儀を知っているのだ」


 旦那様の声には、苛立ちが紛れ込んでいます。


「代々――長らく主として仕えた家の事を気にかけないなど、アンドルクにはあり得ません」


 セバス様が慇懃に答えますが、その口調が、旦那様の苛立ちをさらにかき立てるための態度だと、私には思えました。それは彼の姿が見えていないからこそ感じられるのでしょうか?


「お父様――お戯れはそれまでにしてください。グラードル様、フローラ様申し訳ございません」


 いつの間にか部屋の奥から戻ってきたメアリーという女性――どうやらセバス様の娘のようです、が奥のドア前に立っていました。

 彼女の、静かですがよく通る声に旦那様もそちらを向きました。

 彼女は父親譲りの艶やかな黒髪を結いまとめ、侍女がよく付けているヘアバンドをしています。明るい夜空のような黒みを帯びた青い瞳がとても印象的です。

 ピンと天井から吊り下げられてでもいるかのようにしっかりと淀みなく立つ姿は、スラリとした肢体も相まって彫像じみています。

 さらに言うならば、これも父親譲りと言って良いのかもしれませんが、こちらを見ている薄い表情もその印象を強くしています。

 彼女の言葉は父親をいさめているようですが、抑揚の少ない口調のために、ただ指摘しているだけのように聞こえました。


「ふむ、そうですね。期待以上の反応をいただきました。それにしてもフローラ様は大きくおなりになりましたね」


「え? セバス様は私のことをご存じなのですか?」


 セバス様が突然それまでの慇懃な態度を崩して、人間味のある笑顔を浮かべます。そうすると、それまでこの空間にあった緊張感が霧散してしまいました。

 旦那様は、まだ憮然とした様子ですが、私をセバス様の視線から隠すことはしませんでした。


「セバス――と、お呼びください。青き、尊い血のお方に様付けなど恐れ多いことです。それに、覚えておいでにはなりませんか? フローラ様はまだ幼かったですが、私もエヴィデンシアの館で働いていたのですよ」


「それでは……もしかして、アルフレッドの……」


「そうです。先ほども言いましたが、私たちもエヴィデンシア家のことはずっと気にかけておりました……」


「お父様、その話は場所を移してからでもよろしいのではございませんか? テーブルの準備は整っています。お茶も冷めてしまいますので、どうぞこちらへおいでください」


 メアリーはそう言うと、促すように手で進む先を示して、静かに先導しました。

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