運命の恋人は期限付き

小鳩子鈴

第一章

第1話 噂の二人

新連載です。よろしくお願いいたします。

2020/06/01 小鳩子鈴



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 その晩、バーリー伯爵家で催されたパーティーで最も注目されたのは、きらびやかに飾られた広間でも、ご自慢のシェフによるビュッフェでもなく、一人娘キャロラインの豪華なドレスでもなかった。


「ちょっと、ご覧になって!」

「ローウェル卿? そんな、まさか!」


 話題の中心にいたのは、バンクロフト伯爵令息であるローウェル卿ジャイルズと、その連れの女性だ。

 二人は、注がれ続ける視線などお構いなしに、グラスを片手に寄り添っている。

 お互いしか目に入っていない様子は、いかにも熱愛中の恋人同士そのものだ。


「まあ、あんなに親しげに……!」

「噂は本当でしたのね!」


 ――女嫌いで有名な独身貴族、ローウェル卿がとうとう意中の相手をみつけたらしい――


 どんな美女にも靡かない、難攻不落の次期伯爵。

 その彼の恋の噂が王都を駆け巡ったのは、つい最近のこと。


「公園で幌なしの馬車に乗る二人を見た」という者が複数現れたのを筆頭に、

「ティールームで仲睦まじげに食事をしていた」とか、

「高級ブティック〈ハリエット〉でジュエリーを選んでいた」――などなど、シーズンの最盛期を迎えたばかりの王都の社交界に、次々と目撃証言が寄せられた。


 由緒あるバンクロフト伯爵家の嫡子であるジャイルズは、高貴な生まれと端整な容姿で、以前から王都中の令嬢たちの憧れの的である。

 だが、その灰碧の瞳が特定の女性を見つめることはなく、どんなパーティーやサロンにも、身内以外の異性を伴ったことがなかった。


 降るように持ち込まれる縁談も、全て門前払い。二十三歳になる今まで、浮いた話の一つも出たことがない。

 整い過ぎて冷たく見える容姿とストイックな雰囲気も相まって、ついた呼び名は、冷徹貴公子。

 とはいえ、彼自身は人付き合いも悪くなく友人も多い。

 名付け親のヘイワード侯爵夫人はじめ、年配の女性とは談笑している様子も目にする。


 しかし、若い女性に対しては常に一線を引いて、社交儀礼以上の付き合いはしなかった。

 親友の、恋多きラッセル卿とは正反対である。


 その潔癖な頑なさが、一部の令嬢たちにはかえって魅力的に感じられるらしい。

 今夜の主宰であるバーリー伯爵令嬢のキャロラインを筆頭に、我こそは彼の隣に、と息巻いている者も少なくない。

 はたしてどんな令嬢が彼を射止めるのかは恰好の話題で、毎シーズンの賭けになるほどだ。


 そういったことから、多くの者達は彼の恋の噂を聞いても、半信半疑といったところだった。

 だが今日のこの夜。ジャイルズが身内以外の若い女性を初めて伴ってパーティーに姿を現したことで、一気に噂は真実味を増した。

 しかも。


「あの冷徹貴公子が笑っている、だと……?」


 滅多にお目にかかれない彼の笑みが、隣の女性に向けられている。

 あまりの眩しさにぱたぱたと気を失う令嬢もいる中、彼の令嬢は平然と会話を続けているのだ。


「でも、あのお相手の女性って……」

「あまり見ない方よね。なんでも、クレイバーン男爵のお嬢さんですって」

「クレイバーン? ああ、田舎貴族の」


 彼が連れている女性は、落ち着いた色合いのドレスに似合いの地味な顔立ちをしていた。

 噂で流れた情報によると、お相手の令嬢はフィオナ・クレイバーン。

 クレイバーン男爵の娘で、今年十八歳。

 王都にはシーズンの間の短期間しか滞在せず、貴族宅のパーティーにもさほど積極的に参加しないため、見知った者は多くない。

 平凡で印象に残りにくい容姿の彼女のなかで唯一目を引いたのは、まばゆいばかりに輝く左手の指輪だ。


「あのイエローダイヤモンド! なんてきれいなの!」

「じゃあ、やっぱり婚約を?」

「ジャイルズ様が、あんなぱっとしない子を選ぶなんて……」


 次期伯爵夫人の座を狙っていた令嬢たちは、歯噛みしてフィオナを睨みつける。

 パーティーには顔だけ出して早々に退出することも多かったジャイルズが、フィオナから片時も離れずエスコートしていることも、令嬢達の悋気の炎に油を注いでいた。


 ふと会話を止めたジャイルズが、フィオナの手を優雅に持ち上げ、ダイヤモンドのはまる指先に唇を近づける。

 そこかしこから上がる奇声と悲鳴のなか、ようやく、勇敢にも二人の世界に割って入る人物がいた。


「はいはい。仲のよろしいことで」


 現れたのは、ジャイルズの友人であるラッセル卿リチャードだ。

 端正で冷たい印象のジャイルズと反対に、陽気で華やかなタイプの彼はまた別の意味で社交界の人気者である。

 にこやかに笑いかけながら二人に歩み寄ったリチャードに、ジャイルズは口許だけで笑みを返した。


「リック。来てたのか」

「かなり前からいたぞ。いつまでたっても俺に気付きもしないから、こっちから邪魔しにきてやった」


 美貌の独身貴族二人が並び、いっそう眩しくなった雰囲気に周囲の令嬢たちがため息をこぼす。


 リチャードは流れるような動作で親友ジャイルズの手から、ほっそりとした令嬢の手を奪う。

 そのまま甲に口付けると、また周囲が騒ついた。


「こんばんは、ミス・クレイバーン。夜会を楽しんでいますか?」

「ええ、ありがとうございます。ラッセル卿も……って、あっ」


 挨拶のキスを受けたフィオナの手は、あっという間にジャイルズに取り戻される。

 あからさまに不機嫌を表す元・冷徹貴公子に、周囲はただ驚くばかりだ。


「おや。心が狭い恋人は呆れられるぞ」

「余計なお世話だ」


 眉を顰めるジャイルズを楽しそうに揶揄ったリチャードは、フィオナの反対の手にあったグラスを取り上げ、思わせぶりに音楽隊のほうに視線を向けた。


「せっかくだし踊ってきたら?」

「……そうするか」


 その勧めに、ジャイルズは自分のグラスを通りかかった使用人が持つトレイへ戻す。


「行こう、フィオナ」

「はい。失礼いたします、ラッセル卿」

「ああ、いってらっしゃい。また後で」


 リチャードはひらひらと手を振って、二人を広間の中央へと送り出す。

 とたん、待っていましたとばかりに彼の周りに女性が群がった。


「リチャード様! あちらのご令嬢ともお知り合いで?」

「あの二人はいつから? 噂は本当ですの?」


 目を爛々と輝かせて、レディたちは噂の真相を探ろうとする。

 そんな彼女らに押され気味になりながら、ここだけの話ですが、とリチャードは声を潜めた。


「実は先日の、王子殿下のお披露目祝賀会がきっかけなのですよ」


 二人が初めて出会った時に自分も一緒にいたと証言する。

 親友の彼が言うなら本当だろうと皆が頷いた陰では、やはりというか、フィオナの容姿が槍玉に上がっていた。


「なにもあんな冴えない子でなくても」

「キャロライン様のほうが、よっぽどお似合いよね」


 引き合いに出されたキャロライン本人は、扇の陰で盛大に口元を歪めていた。

 夫にと狙い定めた男性が、自家主催のパーティーで他の女性といるのが非常に面白くない。しかも相手は容姿も家格も自分より格下だ。


 フィオナの生家、クレイバーン男爵家はたしかに旧家のうちの一つである。

 だが、羽振りがいいわけでもなく、父男爵が重要な役職に就いているわけでもない。

 しかもフィオナ本人に至っては、ジャイルズと並ぶにはあまりにも凡庸すぎて見劣りしかしない。


「あんな子に、私が負けるなんて……!」


 楽しげにステップを踏む二人をギッと睨めつけると、キャロラインは扇を握りしめてその場を去ってしまった。

 慌てて追いかける取り巻き令嬢たちも横目に、リチャードは残った者たちへ人好きのする笑みを向ける。


「実は、その時にちょっとしたアクシデントがありまして。それが二人を結びつけたようです」

「アクシデント?」

「それは恋人たちの秘密ということで……まあ、要するに、運命の出会いというやつなんでしょうね」


 甘やかな青い瞳を片方、もったいぶるように軽く瞑ってみせれば、きゃあっと黄色い声が上がった。


「運命ですって」

ジャイルズ様が、恋に落ちるほどですものねえ」


 まるで小説か戯曲のようだと盛り上がる。

 納得し始めた人々に満足そうに頷いて、リチャードはグラスを高く掲げた。


「恋人たちに乾杯、かな」


 揺れるシャンパンの向こうには、仲睦まじげに寄り添って踊る二人の姿があった。





「……すごい効果だな」

「ようやく信じてくださいました?」

「ああ。君やリックの言った通りだった。私は噂というものを甘く見ていたよ」


 満足気に口角を上げたフィオナの腰に回した腕を引き寄せて、ジャイルズは更に二人の距離を縮める。

 ステップを踏む足先だけでなく、膝までが触れ合う近さだ。

 思わずよろめきそうになるが、安定したリードですぐに立て直されてしまう。


「あ、あまり近すぎると踊りにくいです」

「密着しろと言われただろう」

「限度があります」

「そうか? 加減が難しいな」


 至近距離で見つめ合う二人の口は、愛を囁き合っているようにしか見えない。

 シャンデリアを受けて輝くダークブロンドの下で細められたジャイルズの灰碧の瞳は、恋人に向ける甘い微笑みに見えただろう。


 だが、ここ最近ずっと一緒にいるフィオナには分かる。

 これは、いたずらっ子の目だ。

 計画が上手くいって気分が高揚するのは構わないが、公に二人揃って現れた初回でボロが出たらまずい。

 フィオナは共犯者にくぎを刺しておくことにした。


「あまり意地悪をしないでください。ワルツはそんなに得意じゃないんです」

「慣れてくれ。これから何度も踊るのだから」


 接触を控えるつもりはないと言われ、一瞬だけ目を丸くしたフィオナは、すぐに気を取り直して切り返した。


「じゃあ、練習にもお付き合いくださいます?」

「恋人のお願いなら、喜んで」

「分かってやってますね?」


 呆れたフィオナが表情を隠すように目を伏せると、ジャイルズは遠目にも分かるほど楽し気に口元を綻ばせる。

 レア級の笑顔にまたどよめきが起こり、とうとう憤慨した令嬢の何人かは広間から去ってしまった。

 その様子を視界の隅に捉え、二人は目配せをする。


「……早速効果があったようですね。ところでジャイルズ様。恋人に『偽の』をつけるのをお忘れです」

「ああ、すまない。なにしろ、こんなに気負わなくていい夜会は初めてだから」


 もし間近で二人を見たなら、見つめ合う瞳に浮かぶのは恋心ではなく、同志の連帯感だと分かっただろう。

 残念なことに「熱愛中の恋人」の周りはぽっかりと空間が空いていて、誰も気がつかなかったが。


「改めて、シーズンの間よろしく頼むよ、フィオナ」


 演奏に合わせて、危なげないリードでフィオナはくるりと最後のターンを決める。

 輝く指輪が広間中からよく見えるように繋いだ手を前に伸ばして、ふわりと翻ったドレスの下で優雅に膝を折った。


「ええ、こちらこそ――ジャイルズ様の恋人役、しっかり演じてみせます」






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