第2話 教室の扉、その先に

 始業式が始まった。日本人は式が好きだなといつも思う。海外では入学式や始業式は行わず、時間になったら普通に授業が始まるという。


「それでは今年転勤してきました先生を紹介します」

 進行の教頭から促されて、体育館の舞台の上、真ん中あたりに他の三人の先生たちと生徒に向かって立つ。音響が良くないせいか、教頭が何を言っているのか少しわかりにくいが、自分の名前だけは聞き取れた。


「国語の夏木です。よろしく」

 隣から回ってきたマイクを持たされ、短い挨拶をすると、ヒューという冷やかすような男の子の声があちこちから聞こえたが、こんなことで動じるような若手でもない。ただ、またこんな子の相手をしなきゃいけないことにうんざりする自分を知っている。私が抱える憂鬱のひとつだった。



 始業式が終わると私たち教師は職員室に帰った。担任となる先生たちは、すぐに始まるホームルームのため、色々なものを抱えて慌ただしく教室を出てゆく。職員室では新任の先生だけが集められ、主任の先生から簡単なオリエンテーションを受け、その後も各学年の学年主任について教師としての勉強を始めるわけだが、私たち転勤族は学校の方針や今の授業内容の確認をすれば、あとはどの学校でもやることは変わらない。今年担任を持たない私は2限目から始める2年1組の場所を、校内の地図で再確認しながら授業の準備をしていた。


 1限目が終わり、担任となった先生たちが職員室に帰ってきた。あと数分でいよいよ新しい学校での授業が始まる。教師になって何年も何回もやってきたことだが、やはり少し胸が高鳴るのがわかった。

 職員室にある鏡で服をチェックする。今日は最初の日だからベージュ色のスーツと白いブラウスという、教師として極めて無難な服にしている自分がいる。

 服からふと目を上げると、鏡の中の自分と目が合う。登校初日ということもあり、普段より少し厚めの化粧で目尻に目立ち出したシワを隠している自分の顔としばらく睨みあった。


 時間になり教室へ向かう。2年1組の教室のドアの前で一度立ち止まり、腹式のゆっくりとした呼吸をしてから、ドアに手を掛けた。

「起立」

 私が教室に入ると同時に、おそらく学級委員だろう、絶妙のタイミングで女子の声で号令がかかった。私が黙って教壇の前まで歩き生徒の方へ向き直ると、同じ声で「礼」の声がかかり、私が頭を上げると「着席」の号令がかかる。1年生の教室だったらこうはいかないが、高校2年生にもなるとこのルーティンはうまいものだと思う。

 始業式さえしない海外の高校生はどうなんだろう。そんなことを思いながら私は教室全体を見回すようにしながら、

「今年このクラスの国語を教えることになりました夏木です」

とできるだけ大きい声で言う。軽く私に向かって頭を下げる生徒がいく人か、授業を聞く気もないという態度で外を眺めている生徒、真新しい教科書に一生懸命落書きをしている生徒、いつもと変わらない1年が始まるのがわかる。そして私はもう一度外を眺めている一番後ろの生徒に目がいった。


 その横顔。


 心臓が止まるかと思った。


——さくら!


 頭が真っ白になる。


 私の視線が固まったことに気がついたのか、教室が少しざわつく。そのざわめきに反応するように、その女子生徒がこちらに視線を向けた。

 

 それが私と春川桜子との出会いだった。

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