第57話 目を開けた人形

 ラダンたちが紡謡の民オルガ・ヤシュの天幕を出た頃には、外はすっかり日が傾いていた。

 初秋のゆうは名残り惜しそうに濃い黄昏たそがれを放ちながら、遠くの山頂付近にとどまっている。

 あれからミアと話し合った結果、ラダンたちは一度ミアが住んでいる月詠みの塔へと行くこととなった。

 口外しないようにと約束は交わしたが、重大な秘密を知られてしまった以上、素性も分からぬ余所よそものたちをこのまま野放しにはしたくないのだろう。

 ミアは天幕から出ると、暫くここで待つようにと告げてから、紡謡の民オルガ・ヤシュの舞台天幕へと消えていった。

 ミアを待っている間、手持ち無沙汰になったのかノギは地面に転がっている小石を足先で小突きながらラダンに訊ねた。

「先ほどのねずみは例の追っ手だったのでしょうか?」

「どうだろうな、殺気は感じられなかったが何とも言えぬ」

「ところで、なぜラダンは命を狙われているんですか? なにか大きな罪でも犯したんですか?」

 ノギの問いにラダンは僅かに間をあけてから答えた。

「……さあな、に心当たりはないが、なら分かっている。ただ、そいつを操り裏で糸を引いている者の正体は分からない。まあ、どのみち同族だろう」

「同族なのに殺し合うんですか?」

 ノギの純粋な問いにラダンはふっと鼻を鳴らしてから答えた。

「関係ない。使えるか使えないか、あるいは、必要か必要でないか、ただそれだけだ。俺たち一族に情なんて言葉は無い」

「へえ、狩人かりびとというのは随分大変なん――」

 言い終わらぬ内に、ノギの首筋につっと一筋の血が流れた。

 ノギは突如首筋に感じた鋭利な刃の感触に目を見開いて息を止めた。

 後ろからは明確な殺気が感じられる。動けなかった。

「お前は、何者だ」

 今までに聞いたことのない、冷たく低い声が耳元に届く。

 突如己に向けられた殺気と問われた言葉の意味が分からず、ノギはただ身を固くすることしか出来なかった。

「俺はお前に狩人だと明かした覚えはないぞ」

 その言葉を聞いてノギは強張こわばった表情を崩すと、ああ、と納得したように呟いてからふっと身体の力を抜いた。

「あなたの腕に彫られた紋様ですよ。太陽をかたどった紋様の上を二本のしめ縄が交差している。太陽神を封じる紋様でしょう。それが腕にある者は狩人と呼ばれ影に生きる者たちだと、以前とある友人から聞いた事があります。初めて会ったあのお堂で、ずぶ濡れになっていたころもを脱がせた時に見つけたので知っていただけですよ。僕も実際に見るのは初めてだったので思わず声を上げてしまったほどです」

 未だに刃を当てられているにも関わらず、なぜか楽しそうに話し出したノギとは対照的にラダンは大きく顔を歪ませた。

 確かにこの紋様は狩人が成人の儀を行う時に誰もが彫るものだった。

 ただ、ラダンが気になったのは、たった今ノギがさらりと言った言葉だった。

――太陽神を封じる紋様でしょう。

 この紋様にそんな意味があるとは知らなかった。

 この時ふと、ラダンの脳裏に何かが駆けた。しかし、それは一瞬の出来事だったために掴み損ねてしまった。

(何だ……?)

 気味の悪い違和感がじりと小さく胸の内に芽生える。

(太陽神、影、太陽の民、狩人……金色こんじきまなこ

「ラダン……?」

 突然黙ってしまったラダンを不思議に思いながら、ノギは前を向いたまま恐る恐るラダンの名を呼んだ。

 もう殺気は感じられなかったが、代わりに、酷く困惑したような気配を感じたのだ。

 名を呼んでから暫くして、首筋に当てられていた刃の感触がすっと消えた。

 解放された安堵に小さく息をもらしながらラダンの方を振り返って、ノギは驚いた。

 思っていたよりもずっと真剣な眼差しが自分に向けられていたからだ。

 ラダンは何か考えているようで暫く黙っていたが、やがて、静かに口を開いた。

「太陽神は太陽の民と同意か?」

「……?」

 突然始まった問答にノギは首をかしげながら答えた。

「ええ、恐らく同じ存在を指す言葉だと思いますよ?」

「先ほどお前は、太陽の民と金色こんじきまなこは同意かもしれぬと言ったな?」

「ええ、共通するものがありますから」

 困惑するノギに構わず、ラダンは答え合わせをするかのように一つ一つ訊ねていく。

「太陽の民の伝承では、先に光をくらったのは影なんだな?」

「ええ、太陽の民の伝承ではそうですね」

「しかし、金色こんじきまなこの伝説では、だまされ罠にはまわざわいとなったのは狩人の方だろう?」


――何かが抜けている。いや、忘れている?

  知るはずもない何かを忘れているなどと、どうして思ったのだろうか。


「ええ、金色こんじきまなこの伝説ではそうですね」

 ノギの答えに、なぜだか自分でも分からない鈍い苛立ちがつのった。

「……どちらを信じるべきだ」

 ラダンの問いにノギは一瞬驚いた後、焦ったように顔の前で大きく手を振った。

「先ほど僕は過去から学べと言いましたが、過去を信じろだなんて一言も言ってませんよ!」

 ラダンは僅かに眉根を寄せた。

「どういう意味だ?」

「えっと……では、今度は僕から問います。仮に太陽の民の伝承を信じたとして、光を喰わねばならない理由は何ですか?」

「は?」

「はたまた、金色こんじきまなこの伝説を信じたとして、ラダンは金色こんじきまなこに何かされましたか? 騙されて罠にかけられましたか?」

「……」

「そう、理由なんて分からないし、何もされてないはずです。過去を簡単に信じてしまったら、己の身に起きてない事柄にも関わらず、さもそれが起こったかのように思い込み相手を憎んでしまうことがあります。実際は何の害もこうむっていないのに。誰も何もしていないのに。だから、僕は自分の身の回りに起こった出来事しか信じません。なので、先ほどの問いの答えはこうです。――どちらも信じるな」

 そして、ノギは最後に付け加えた。

「過去や誰かではなく、どうか今ここに立っている自分を信じてください」

「……そうか」

 ラダンは一言呟くと、もうそれ以上は何も問わなかった。

(誰かの操り人形でいいと思っていた……)

 ただ与えられた使命を確実に遂行する。それが狩人であり、己のせいだと思っていた。

 だから、獲物の死にどんな理由があるかなど知ろうともしなかったし、また、そこに疑問を抱いたこともなかった。

 命令通りに刃を振るって命を狩り、そして、檻へと戻る。ただその繰り返し。

 そんな人形である己を一人の常人として見ることなど考えたこともなかったのだ。

――今ここに立っている自分を信じてください。

 ノギの言葉が頭の中で反響する。

 ラダンはノギを見つめたまま何か言おうと口をあけたが、しかし、そのままゆっくりと閉じた。

 視界の端にミアの姿を捉えると、ラダンはくるりと背を向けた。

「……俺は何を狩ろうとしているのだろうな」

「え?」

 振り向きざまにラダンが小さく呟いた言葉は、微かな風の音にさらわれてノギの耳に届くことはなかった。

 それから、ミアが二人の元に戻ってきた時も、アウタクル王国の宮門をくぐり月詠みの塔に案内された時も、ラダンはもう一言も口を利かなかった。

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