第22話 相部屋の男

 ムウたちにあてがわれた部屋は相部屋という事もあり、木賃宿きちんやどの一室にしては広めの部屋だった。

 板床に茣蓙ござが敷かれただけの質素なものだったが、大きく開け放たれた窓からは涼しい夜風が吹き込んでおり、一夜を過ごすには十分すぎる程だった。

 先客はすでに自分の寝床を整え終えていて、部屋の隅に置かれた低い木台の上で何やら筆を走らせていた。

 その男のかたわらには書物が数冊入った小さな背負子しょいこが置かれている。

 ムウはそれを見た瞬間、どくんと大きく心臓が跳ねたのを感じた。

 イェルハルドの方を振り返ると、イェルハルドもまたムウと同じようにその小さな背負子に目を奪われている。

 期待と興奮が入り混じった衝動が高波のように押し寄せ、瞬時に頭の皮が上へと引っ張られて縮み上がった。

 どうにか、その大きな衝動を必死に抑え込みながら、ムウはゆっくりと男に近づいた。

「こんばんは、本日共に過ごすムウと申します」

 男は走らせていた筆を止め、首だけこちらに向けると、どうも、と頭を下げてすぐに木台に向き直った。

 肩まで伸びたぼさぼさの髪とやけに背の丸まった後ろ姿から、歳のいった初老の男かと思ったが男の顔はまだ若く、二十を過ぎたばかりのように見えた。

「あの、写し屋の方ですか?」

 ムウは出来るだけ自然になるように、ちらりと書物の入った背負子を見ながら訊ねた。

 男は怪訝そうに振り返り、ムウの視線を追った後ゆっくりと首を振った。

「ああ、いや僕は写し屋ではなく筆師ふでしです。それらは僕が筆を執ったものですよ」

 男は目顔で書物を示した。

「……そう、ですか」

 ムウは男の答えに大きく肩を落した。かっと熱く燃え上がった胸の内が一気に冷めていくのを感じ、足元に目を落とした。

「焦らず行きましょう」

 イェルハルドはそっとムウに耳打ちした後、話題を変えるように男に訊ねた。

「筆師の方が木賃宿に泊まられるとは随分と珍しいですね、旅をしながら物書きを?」

 男は微苦笑を浮かべた。

「そうですね、皆そう言います。でも僕は家に篭って筆を走らせるよりも、こうしてあちこちを旅しながら多くの物語を集める方が好きなんです。その土地に根付いた民話や民間伝承といったものを人伝いに聞いてはこうして書物にしているんですよ」

「ほう、口承民話集ですか」

 イェルハルドが感心したように呟いた途端、男はさっと身体をこちらに向けて目を輝かせた。

「ご存じですか、そう、そうです! 僕は古くから語り継がれてきた御伽噺やその民族の歴史をうたった民謡など口承文学が好きなんですよ」

 そこから男は興奮したように如何に口承文学が素晴らしいかを語りだした。

 目元まで伸びた前髪が揺れる度に、その隙間から大きく見開かれたきらきらと輝く目が現れては消えていく。

 イェルハルドは突然の男の熱量に驚きながらも、ちらと横目でムウを見てふっと口元を緩めた。

 そこには、楽しそうに熱く語る男の話を、同じように目を輝かせながら聞き入るムウの姿があったからだ。

(先ほどの落胆は何処へやら)

 イェルハルドは微笑みながら、二人の邪魔をしないように静かに持参した薄布で寝床を整えて男の話に耳を傾けた。


「実に面白い事に、多くの民話や伝承、伝説の中にはその物語の裏に本当の意味が隠されていたりする事があるんですよ」

 男は指を一本立ててから、対面に座っているムウにぐっと顔を近づけた。

「それは、親が子に教えるしつけの一環として、善悪を分かり易く物語に入れ込んだり、禁忌を犯せば罰を与えられると恐怖を植え付けたり、そんな風にして代々親から子へ受け継がれながら教えを守らせるよう続いているんです」

 ムウは男の話を聞きながら背からうなじ、頭へとぞわぞわと痺れに似た何かが這い上がってくるのを止める事が出来なかった。

 そのうずきは知らぬ間に口に伝わっていた。

金色こんじきまなこの伝説はご存じですか?」

 男は一瞬口をつぐんだが、やがて小さく頷いた。

「勿論存じ上げていますよ。ただ、その伝説は多くを語る者がいませんから」

「何故いないのでしょうか」

 ムウは食い気味に男に訊ねた。

「……まあ、本当の意味を知られてしまうと困る者がいるからでしょうね」

 男は頭を掻きながら、これは私の見解ですが、と前置きをして続けた。

「多くの民話や伝承は先程話したように教えを後世に伝える為のものですが、中には国そのもののあり方を説く物や、その土地で生きる為の思想が色濃く出ているものもあります。

 そういったものはなかば強制的に植え付けられた信仰心や風習であり、異民からすればおかしな事でもそこに住む人々にとっては当たり前の事であって疑う余地は無いんです。何故ならそれを崩す事で壊れてしまう均衡もあるからです」

 ムウは瞬きをした。

「えっと例えば、説明のつかない超自然現象を神の御心みこころとして人々に納得させるものであったり、はたから見れば理不尽な出来事であっても、そう言うものなのだと上手く信じ込ませる事で人々の反感を抑え込んだりするようなものですね」

 ムウは男の話を聞きながら、エルヴィナから聞いた琥珀族の呪いの話を思い出した。

「なるほど、それを信じ、納得する事でその土地で生きていくすべを得るのですね」

 男は頷きながら微笑んだ。

――では、金色こんじきまなこ伝説の本当の意味を知られたくない者がいるという事だろうか。

 仮にそうだとしても、小さな土地の民話ではなく、誰もが知っている伝説としてこの広い大陸全体に行き渡らせなければならなかった理由とは何なのだろうか。

 そして、それは一体誰の思惑なのだろうか。

 ムウはここに来てようやく、〈靄の月〉の本当の意味が分かったような気がした。

――真実を導け

 頭の中に木霊こだましたその言葉がゆっくりと身体の熱を奪っていくように感じた。

「さて、そろそろ」

 男の声でムウは我に返り、目を上げた。

「僕はもう少しだけ物書きをします」

「お邪魔して申し訳ございませんでした。お名前を伺っても宜しいでしょうか?」

「これは大変失礼な事をしました、ノギと申します」

 頭を下げたノギに続き、ムウは微笑んで頭を下げた。

 横を見やると、すでにイェルハルドは横になって寝息を立てていた。

 静かになった部屋では、窓枠に張られた薄布が夜風に吹かれて緩やかに揺れていた。

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