第4話 誕生

「もう一踏ん張りですよ皇后様、そうそうお上手です。さあ、もう一度」

 扉の向こうから聞こえる産婆の掛け声と妻の苦しそうな唸り声を聞きながらガルムは空を見つめていた。

 月明かりに照らされた淡い夜空から、静かに雪が舞い降りてくる。

 帝の座を継承して数年、五月蠅い官吏かんり達や、横柄おうへいな隣国の王帝たちをのらりくらりとかわしながら、いつでも民の為にと祈ってきたが、今日ばかりは己の為だけに祈りたかった。

 中庭が見渡せるようにと壁を取っ払った解放的な廊下の手摺に手をかけて、ガルムは待望の我が子の事を思った。

 何百年に一度生まれるという金色こんじきまなこ……。

 はるか昔、災いの瞳としておそれられ、忌み嫌われた伝説の瞳を持つ者。決して日の下に立てず、親の手によって命を奪われた者もいたという……。

 長年世継ぎに恵まれず、やっとの思いでここまできたのだ。

 ガルムは強く手摺を握り、固く目を瞑った。

(どうか、我が子に天のご加護を――)



 どのくらいの時間がたっただろうか。

 未だに侍女達が大量の布や湯桶を抱え、廊下をバタバタと行き来している。

 身体は芯から冷え、底冷えする寒さの中で鼻先や耳の感覚はとうに失われていた。

 侍女達に何度も別室に入るよう促されたが、ガルムは決してここを動かなかった。

「失礼しますガルム様。門番のナトです。先ほどムウ様がお見えになりました。急ぎお話があるとのことで、現在ミア様のところでお待ちです」

 自らをナトと呼んだ門番は片膝をつき頭を下げて敬意の姿勢を取った。

「ああ、ムウか、そろそろ来ると思っていた。終わったら会いに行く、伝達ご苦労であった。引き続き門の見張りを頼む」

 ガルムがそう言うと、ナトはすっと立ち上がり一礼してから自分の仕事をしに帰って行った。

(ムウか……)

 ガルムは初めてムウに会った日の事を思い出した。



 ガルムがまだ幼い頃、窓から見えるあの異様に高い円柱状の建物がいつも気になっていた。

 父上に聞いてもはぐらかされてばかりで詳しくは教えてくれなかったし、教育係に至っては決して近づかぬように、と何度も言い聞かせられた。

 しかし、どうしても気になって、ある日教育係の目を盗んで近くまで行ったことがあった。

 中庭の木々や花々はそこかしこに植えられており、幼子が身を隠して進むには丁度いい目隠しとなった。

 コツコツと渡り廊下を歩いてくる足音が聞こえてきて、ガルムはさっと木の陰に身を隠し息を殺した。

 人が通り過ぎたのを見届けて、円柱状の建物に近づこうと後ろを向き直った瞬間、ガルムは飛び上がって驚いた。

 そこには、口をぽかんと開けてこちらを見上げている同い年ほどの少年がいたのだ。

「ここで何をしている!」

 素早くその少年と距離を取りながら、ガルムは叫んだ。

(武術なら普段から訓練している)

 決して焦りを表に出さないように戦闘の構えをとった。

「えっと……僕はムウ。月詠み師ガーシャの息子だよ」

 そう言いながら目尻をさげて穏やかに笑ったムウの笑顔を、ガルムは未だに覚えている。

 当時、ムウはガルムのことを帝の息子だとは知らなかったらしいが、二人が仲良くなるのにそう時間はかからなかった。

 それから教育係の目を盗んではムウに会いに行き、月詠みの話や様々な言い伝えの話を教えて貰った。

 ある日うっかり宮殿の話を口にしてしまい、自分が帝の息子であることを知られてしまったが、ムウは変わる事なく接してくれた。

 長い月日が経ち、大人になった今でも二人は変わることなく交流を続けている。

 旧帝――ガルムの父親――が病で亡くなってから、ガルムは帝の位を継承し、忙しい日々を送っていたが、それでもムウは年に一度、宮を訪れては外の世界を語ってくれた。



「おぎゃあ、おぎゃあ!」

 赤子の産声ではっと我に返った。

(――ついに産まれたのだ!)

 逸る気持ちを抑えて足早に部屋に近づくと、勢いよく開かれた扉に顔をぶつけそうになった。

「ガルム様! 大変失礼いたしました! お生まれになりましたよ!」

 侍女はあまりにも近くにいたガルムに驚きつつ、笑顔で一礼し血だらけの布を抱えて足早に出ていった。

「おやまあ、随分と早い登場だねえ」

 産婆はガルムの方を見向きもせず、腕についた血を湯桶でゆっくり洗っていた。

「外で待っていた」

 ガルムのその言葉を聞いて、産婆は洗っていた手を止めて振り返った。

「この寒空の下でかい?」

「そうだ、最愛の妻が必死に我が子を産もうという時に、私だけがのうのうと暖かい部屋にいるわけにはいかぬ」

 それを聞いた産婆の頭に、底冷えする寒さの中、じっと我が子が生まれてくるのを待ち続けたある男の顔が浮かび、呆れたように呟いた。

「親子揃ってまあ」

 旧帝もまた、ガルムが産まれた時そうだったからだ。

 ガルムは、涙を流しながら我が子を愛おしそうに抱く妻に近寄ると、汗ばんで濡れている頭をそっと撫でた。

「ご苦労であった。これからは三人でこの国を守ろう」

 先ほどまで苦しんでいたであろうに、妻は嬉しそうに頷き、ガルムの手をそっと握った。

(なんと愛おしいことか)

ガルムは汗で滲んだ我が妻の額にそっと唇を落とした。

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