第50話 頑張れ


「私は透くんの、世界一のファンなんですから」


 その声は、温もりに溢れていた。

 世界の全てを罪を包み込んでしまいそうなくらい、慈愛に満ちた声だった。


 そよ風と戯れるタンポポみたいな笑顔を浮かべて、凛が続けて言葉を口にする。


「透君が初めて書いた、女の子が喋る軽トラと一緒に世界を旅する物語も」


 大切な写真を一枚ずつ、分厚いアルバムから取り出すかのように、


「透君が小学三年生の時に書いた、やさぐれ聖女と天才不良少年の恋の物語も」


 凛は、ひとつひとつ、


「透君が四年生の時に書いた、隣席の美少女に消しゴムを貸したことから始まる、極道娘とのどたばたラブコメディも」


 俺が過去に書いた作品を挙げていった。


 それは五年生、六年生と、学年が順に上がっていき、


「透君が中学一年生の時、初めてネットに投稿した、髪型だけハイスペックなぼっち系主人公と、スキンヘッドクラス委員長との恋の物語も」

 

 ──!?


「なんで……凛が、それを……」

「なんでって、そんなの……」


 くすりと、悪戯が成功した子供みたいに笑う凛。

 長い間隠していた秘密をいよいよ明かすような間を置いて、瑞々しい唇が、言葉を紡いだ。


「全部、読ませて頂いているからですよ」


 回路と回路が繋がりそうな感覚。

 先日にもこの感覚を覚えた、確か、凛を膝枕した時……。


「異世界モノにシフトした後の物語も、全部読ませて頂いてますよ。転生転移も、無双チートも、クラス転移も、スローライフも、パーティ追放も……」


 つらつらと迷いなく述べられる物語は全て、俺がネットに投稿した作品たちだ。


 唖然とする俺に、凛が革新的な一言を口にする。


「なんなら感想も、毎日……いえ、毎話、お送りしていました」


 回路が──繋がった。



 “初感想失礼します。とても面白かったです。これからも頑張ってください。作者様に感謝”



「ニラ……さん?」


 呟くと同時に、凛の口元が緩む。


 俺の頭の中でかしゃかしゃと、浮かんだ文字が自動変換機能のように並び替えられる。


 浅倉凛→ASAKURA RIN。


 アルファベットを反対に並べると。


 NIR ARUKASA

 

 NIRA RUKASA。

 

 NIRA=ニラ。


「凛、お前だったのか……いつも感想をくれてたのは」

「ごんぎつねみたいに言わないでください」


 こくりと頷く凛。


 言葉を、失った。


 人は、驚きがある一定の水準を超えると、返って冷静になるらしい。


 ニラさんは、凛だった。


 ということは凛は、今まで俺の作品を全部読んでくれていて、毎話毎話、感想をくれていたのだ。


 驚き、嬉しさ、気恥ずかしさ、様々な感情が一気に押し寄せてきた。

 顔の温度が急上昇する、鼓動のリズムが不規則になる。


 宝くじで高額当選を引き当てた時の気持ちはもしかすると、こんな感じなのかもしれない。


 その一方で、頭の冷静な部分が次々と回路を繋げていった。


 “私は透くんの、世界一のファンなんですから”


 その言葉の真の意味が、理解できた。


 “一体凛は、なにがきっかけでグイグイ距離を詰めてくるようになっただろう?”

 

 以前抱いた疑問。

 その答えにも直感的にたどり着き──ちょっと待て。


 直感に理屈が追いついた途端、俺は、とんでもないことをしでかしていることに気づいた。


「ということは、凛、あの、つぶやきったーの……」

「い、今はその話は、めっ、です」


 かあっと表情を赤らめた凛に、口に人差し指を当てられる。 

 感じたことのない圧を受けて、口を噤んだ。


「とにかく」


 こほんと咳払いした凛が、じっと俺の瞳を覗き込むようにして言う。


「私は透くんの作品を全部読んできました。だからこそ、自信を持って言えるのです」


 凛の面持ちには、悲観のかけらも無かった。

 

 ただただ、希望に満ち溢れていた。


「透くんはもう、夢まであと、ほんの少しというところまで来ています。だから、今折れてしまうのは、非常にもったいないです」


 息を呑む。

  

 凛の言葉には、有無を言わさぬ説得力があった。

 読み手という客観的な視点で、俺が書いてきた物語全てを知っているという、説得力。


「でも、俺は……」


 それでもまだ自分の中に残っていた臆病な部分が、自信のない部分が、弱音を口にする。


「今まで何十作と投稿してきて……全部ダメだった。書籍化のラインが10だとしたら、いつも半分くらいしかいけなくて」

「なぜ、そこまで行けなかったか、原因の目星はついていますか?」

「それは……」


 背けたい現実から目を逸らすように言う。


「単に、俺の才能がないから……」

「いいえ、違います」


 俺のネガティブを、凛が一蹴する。

 聞き分けのない子供に優しく教えるような、優しい否定。


「透くんはもう充分、物書きとしてのスキルを獲得していると思います。あっ、ここでいうスキルというのは、文章力とか、構成力とか、そういうのです」


 ピンと指を立てて、凛はまるで先生のように説明する。


「文章力とか、構成力、ボキャブラリーといったものは全部、書き手が書きたいものを読者に伝えるための『橋』なのです。その橋の部分はもう、透くんは充分過ぎるくらい、ガッチガチに作られていると思います」


 その橋を作れたのはひとえに、俺が今まで数多の創作本や小説を読み込み、毎日欠かさず書き続けるというインプットとアウトプットを繰り返したからだと、凛は言う。

 

「それだけでもう、すごい才能ですよ。ほとんどの人はまず続きません、そんな中、透くんは5年も続けてきたのですから。これはもう、心の底から誇るべきです」


 尊敬の眼差しを向けられ、胸の上ら辺がむず痒くなる。


「でも逆に、それだけ続けてもダメってことは」

「単純に、透くんの書きたいものに問題があるんじゃないでしょうか?」 


 全身の血流が、一時的に止まったような感覚。


「透くん、さっき言いましたよね? 売れ専を意識して、書きたくないものを書き続けたって」


 黙って、頷く。


「自分が書きたいものじゃない、だったらその作品に、情熱を注げるわけがありません。その情熱の差が、ラインまでの差を生み出してるんじゃないんですか?」


 凛の言うことは、ごもっともだ。

 

 自分はこれが好き! でも、読者受けは悪そうだから、他のそれっぽいものにしよう。

 という考えの元に作られた作品は、自分がこれ好き! という本能によって作られた作品のパワーには勝てない。

 

 単純な話だ。


 それは重々承知だった、でも、


「そもそも売れ専を書かないと、読んでくれないという現実があって……」


 読者の需要と、書き手の書きたいものが一致している場合は別に良いのだ。

 凛の言う『橋』を作ってから、自分の書きたいものを情熱のままに書けば良いのだから。


 でも、そうじゃない場合は?


 そんな意図を含んだ呟きにも、凛は対応する。


「確かに透くんの言うように、書籍化を目指すなら、ある程度需要を意識しなければいけないと思います。そうですね……『食おうぜ』で書籍化を目指すなら、異世界モノか恋愛モノ、そのどちらかですね。それ以外のジャンルが書きたい場合は、別のサイトを探す、公募に出すなど、他の場所を選定した方が可能性は高いと思います」

「なんか凛、相当分析してない?」


 すらすらと言葉を並べる凛に、素朴な疑問を投げかける。


「いつか役に立つ時が、来るかと思いまして」

 

 今がその時ですねと、凛は得意げに胸を張った。


 心臓のあたりがじんわりと、温かくなった。


「私の予想では……透くんの書きたいものは、その二大ジャンルのひとつに該当すると思ってます」


 そう言い置いてから改めて、凛が俺を見据える。


 そして、問うた。



 




「透くんが今、一番書きたいものはなんですか?」






 ────俺の、書きたいもの。


 他人のためではなく、他でもない自分自身が表現したいものは、なんだ?


 自分の心に耳を澄ます。


 この数日、何十回、何百回と繰り返した作業。


 ……同じように、何も返ってこない。


 やっぱり俺は読者受けを意識し続けた結果、自分が本当に何を書きたいのか、わからなく……。


「わからなくなっているのではありません、忘れているだけです」


 凛が、俺の思考を先読みして言う。

 

「小学校の時に透くんが書いていた小説は、今に比べると『橋』の部分こそ全然でしたが……『書きたいもの』の部分はそれはもう、最高に輝いていました」


 だから私は、心を動かされたのです。

 面白いと思ったのです。

 続きが読みたいと、思ったのです。


 その作品には透くんの『好き』が、たっくさん詰まっていましたから。


 まるで大事な宝物をなぞるようにして、凛はそう言った。


「思い出してください」


 再び、問われる。


「透くんの書きたいものは、なんですか?」


 静かな声に促されて、記憶の糸を手繰り寄せる。


 一番初めて書いたのは、学校の図書室に唯一あったライトノベル、『ピノの旅』のオマージュ作品。


 佐藤めーぷる先生みたいな小説家になりたい、その一心で書いていた。


 そのあとに書いたのは、やさぐれ聖女と天才不良少年の恋の物語。


 当時読んだ恋愛モノのライトノベルに影響されて書いた。

 凛に大変好評で、嬉しかった記憶がある。


 その次は、隣席の美少女に消しゴムを貸したことから始まる、極道娘とのどたばたラブコメディ。


 凛に褒められたのが嬉しくて、また恋愛ものにしようと思って書いた。

 これまた凛に大好評で、滅茶苦茶嬉しかった記憶がある。


 その次は……。


 当時の感情を思い起こすたびに、沈黙していた心の声が、静かに息を吹き返す。


 自分が書きたかったもの、書きたいもの。


 なぜそれを書きたいと思ったのか?


 誰に向けて書きたいと思ったのか?


 素直な自分の気持ちが、徐々に姿を現していく。


 形を為していなかったもやもやが徐々に輪郭を帯びていくにつれて、自分の芯の底から、今まで感じたことのない激情を捉えた。


 それは引火したガソリンのように燃え上がり、心を、身体を震わせる。

 

 随分長い時間をかけて、遠回りしてようやく見つけた宝物。



 ──ああ、そうか。



 そうだったのか。


 俺が書きたかったもの、それは──。


「ふあっ……どうした、のですか……?」


 凛の慌てた声。

 構わず、俺は凛を抱き締めていた。


 そして短く、言葉を贈った。


「ありがとう、ニラさん」


 怒られるだろうか。

 でも、その名前で伝えたかった。


 だって本当に、数え切れないくらい助けられたから。

 目の奥にじんわりと、熱が生じる。


 何度も何度も諦めそうになった、筆を折りそうになった、弱音を吐いた。

 

 それでも毎日書き続けられてこれたのは、ニラさんのおかげだ。

 そしてニラさんは応援し続けてくれただけでなく、俺に創作の喜びを、書く意味を思い出させてくれた。


 ありがとうを何百回言ったって足りないくらい、感謝の心いっぱいだった。


 くすりと、小さく笑う気配の後、


「どういたしまして、神野先生」


 ぎゅっと、ニラさん、もとい、凛が抱き締め返してくれた。

 しばらく、そうしていた。


 凛を解放してから、ふと気になったことを言う。


「でも流石に、その名前は安直すぎない?」

「うっさいです。早く感想を送りたいのにユーザー名を求められて、良いのが浮かばなかったので、仕方がなくです」

「なるほどつまり俺への愛に溢れていたんだな」

「自惚れるのもいい加減にしてください、まぁ……間違っては、ないですけど……」


 言って、恥ずかしそうに下を向く凛が愛おしくなって、その小さな頭を撫でる。

 まんざらでもない表情。


「ユーザーネームでいうと、透くんこそなんですか。いくらなんでも拗らせが過ぎます、スミスさんに謝ってください」

「ううっ、許してくださいスミスさん……中二の見えざる手が働いたんです……」

「ふふっ、素直なのはいいこと、です」

 

 凛と向き合う。

 なんだかおかしくなって、二人で笑った。


 そのあと、凛に告げる。


「俺、書きたいものができた」

「そうですか」


 短い返答の後、


「それは、よかったです」


 穏やかで、心底ほっとした笑顔を見せる凛を、最後のもうひと撫でする。


 これからすることは、決まっていた。


「じゃあ、帰って書く」

「はい、楽しみに待ってます、けど」


 心配そうな面持ち。


「無理はしないで、くださいね?」


 病み上がりなんですからと、小さく溢す凛が愛おしくなった。


 最後にもう一度だけ抱き締める。

 落ち着く体温。


 言葉はそれ以上、必要無かった。

 立ち上がり、ドアノブに手をかける。


「透君!」


 振り返る。


 ちょうど息を吸い込んだ凛が、言葉を放った。



「頑張れ!!」


 

 感情をそのまま出したかような声。


 これ以上にないエールだ。


 今の俺は、なんだってできる気がした。 


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