第9話 幼馴染と図書室でのひととき


 放課後。

 図書室で更新した後お手洗いに行く途中、ぴろりんと通知が鳴った。


“今回も面白かったです。激怒した舞香ちゃんが涼介くんの家の床下にタケノコを植える展開には思わず笑ってしまいました。作者様に感謝”


 ニラさんからの感想だった。


「むっふふー」


 思わず、ニヤけてしまう。


 凛の言う通り、ニラさんは俺の作品を見限ってなかった。

 いつもの更新時間じゃないにも関わらず、普段と同じく一番最初に作品の感想を書いてくれた。

 

 ニヤけの原因はこれだけではない。

 今日の感想には続きがあった。


“追記:今朝更新がなかったので、なにかあったのかと心配しました。(ちょっと寂しかったです)お身体に気をつけて、これからも頑張ってください”


 こんなの嬉しくないはずはなく、表情筋が緩んでしまうのも仕方がないことだろう。

 

 改めて、ニラさんという大きな読者の存在に感謝をする。

 明日からも欠かさず更新をしようと、心に誓うのであった。


 図書室に戻ると、俺が座っていた隣席に凛が腰を下ろしていた。


 最終面接に来た大学生みたいに背筋をピンと伸ばして、文庫本を読んでいる。

 文庫本はブックカバーに覆われていて、何を読んでいるのかはわからない。


 ただ、凛とした美少女が本を読んでいる光景が、絵にして飾りたくなるほどの神秘性を秘めているということはわかった。


 ああ、やっぱり凛は可愛いなあ。


「なに酷暑で溶けたカラーコーンみたいな顔してるんですか気持ち悪い」

「どこかで聞いたことあるなそのフレーズ」


 俺の存在に気づいた凛の手厳しい言葉を受けつつ、自分の席に腰を下ろす。


 するとふと、頭に若かりし頃の映像が過った。


「このシチュエーション、なんか昔を思い出すな」

「どれのことを指してますか? 透君が安産祈願のお守りを握りしめてコンビニのATMに土下座したやつですか?」

「それどの世界線の俺?」

「ディストピアも第三次世界大戦も起こらない、平和な世界線じゃないですか?」

「俺だけ平和じゃない件について。えっとほら、俺と凛が初めて出会った時の事だよ。俺が図書室で執筆してて、トイレに行って帰ってきたら、凛が居てさ」

「ああ……」


 文庫本から視線を外し、天井を見上げる凛。

 少しだけ、凛は懐かしむような表情を浮かべた後、


「そんなことも、ありましたね」


 ぽつりと、溢すように呟いた。


「ああ、そうそう」


 忘れるところだった。

 今一番伝えなければいけない言葉を、凛に投げかけた。


「ありがとうな、凛」

「へ、なにがですか?」


 澄まし顔をした凛が、首をこてりんと横に倒す。


「ほら、お昼のこと」

「ああ、お弁当のことならお気になさらず。白馬の王子様がお姫様の目の前で落馬するぐらいの確率で、私が気まぐれを起こしただけですから」

「それ一生分の運使い果たしてない俺?」

「透くんごときの一生分で足りるんですかね? 世の少女漫画の読者全員を敵に回しましたよ、今」

「すっげー巻き込み事故食らった! や、お弁当の件も超絶ハッピーサンクスなんだけど」


 一拍置いてから、言葉を続ける。


「お昼に言った、俺の一番の読者の人。さっき更新したら、感想くれてさ」

「へえ、そうですか、良かったじゃないですか」


 間髪入れず、どこか素っ気ない調子で凛が返す。


「おう、凛の言った通りだった。本当にありがとうな」

「あんまし褒めないでください」

「へ、どうして?」


 訊くと凛は、口元を文庫本で隠し、ちらりと視線をこちらに寄越して、


「恥ずかしいじゃ、ないですか……」


 ほのかに上擦った声を漏らした。


 ……か、かわっ、かわわ。


 衝動的に手が伸びる。


「今撫でたら明日からお弁当作ってきてあげませんからね」

「はいすみません調子乗りました……って、えっ?」


 耳を疑う。

 夢じゃないかと、両頬を横に抓る。


「なんですか、異世界に転移して10秒後の主人公のモノマネですか。全く笑えないのでやめてくれませんか気持ち悪い」

「明日からもお弁当、作ってきてくれるのか?」


 凛の鋭利な言葉に対するツッコミよりも、それが気になって尋ねる。


 ぱたりと、凛が本を閉じる。

 そしてどこか小悪魔めいた笑み浮かべ、俺の顔を覗き込んでくる。


 普段クールで表情の変わらない凛の見せる、可憐で悪戯好きな子供のような笑顔。


 思わず、息を呑んだ。


 くすりと、小さな笑い声。

 凛にしては珍しく、からかうような口調でこう言った。

 

「さあ、どうしましょうか?」


 この時俺は、白馬の王子様が落馬することを心の底から祈った。

 大好きな凛の手作り弁当が食べられるなら、世の少女漫画の読者に嫌われたって構わない。


 そんな強い気持ちを自身の内面から感じ取って、改めて俺は凛のことが好きなんだと再認識した。


 先の会話の残滓が、脳裏に懐かしい映像を思い出す。


 凛と初めて会った日。


 俺が凛を、好きになった日。


 今になって、思う。


 あの時の凛こそ俺にとって──白馬の王女様だったと。

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