第2話

 春川桜子は、他の多くの生徒と同じく、ごく普通の女子生徒だった。

 勉強も運動も人並み。部活は合唱部に所属したが、特に目立った話題も聞こえてこなかった。校則を遵守し地味な装いだからか、容姿で騒がれるということもないようだ。誰がかわいいとかかっこいいとか、もてるだとかいう浮いた話には事欠かない年頃だが、教師の立場でそういった話題に首を突っ込むこともない。

 朱音に似た春川に何の感慨も抱かないかと言えば嘘になるが、それでもたくさんいる可愛い教え子の一人として、卒業まで面倒を見ていくことになるだろう。

 春川よりも、学校を休みがちな生徒だとか、気性が荒くて扱いづらい生徒とか、もっとずっと気にかけねばならない生徒たちへの対応の方に心を砕いた。

 担任になってから一年が過ぎる頃には、平均的な、真面目な生徒である春川のことは、すっかり大勢いる生徒の中の一人として認識するようになっていた。

 そうしてクラス替えもなく、持ち上がりのまま二年生に進級した春のこと。


 春川が問題を起こした。


 僕の目の前で起きたことだった。僕以外、見た者のいないことだったから、大きな問題には至らなかったけれど、見過ごせるものでもなかったのだ。

 その日僕は、放課後の校外パトロールに出ていた。寄り道をする生徒はいないか、生徒が下校時にトラブルに巻き込まれていないか。

 覗き見るのは、コンビニやファストフード店など、寄り道が禁止されているにもかかわらずたむろしやすい場所。

 そういう場所を大方見回り終えて、学校にほど近い公園に立ち寄った時の事だった。

 この公園は桜が一本だけ植えられていた。一本だけでもその枝ぶりは見事で、頭上を淡い紅色の花弁が覆いつくすかのようだった。

 だからと言って、花見をしに公園に寄ったわけではない。この公園はマンションとマンションの間にある狭い公園で、遊具も動物の形をしたスプリング遊具が二基あるだけだった。そのためほとんど人気がなく、喫煙だとか喧嘩だとか、大人の目を盗んで悪事を働きやすいのだ。

 やはり子どもの声一つ聞こえてこない公園の入り口。舞い散る桜の花びらが、風に乗って離れた入り口まで飛んできた。花びら交じりの春風に一瞬目を細める。瞬きして再び公園内に視線をやると、桜の木の下に一人の女子生徒がいるのが確認できた。

(春川)

 桜の木の下にたたずんでいたのは、春川桜子その人だった。

 桜吹雪の中にいる彼女の姿は、遠い昔を思い出させる。

 やっぱり春川は、朱音に似ていた。

 春川は小さな手を、そっと桜の枝に伸ばした。

 

 次の瞬間、春川は桜の枝をぼっきりと折った。

 呆然とその様子を眺める僕の前で、それを足元に投げ捨て、桜の花を踏みつける。

「春川!」

 僕は大声を上げて、春川に駆け寄った。春川は動揺したように、踏みにじった桜の枝を蹴っ飛ばす。

「お前何してんだ、桜の枝を折ったりして!」

「秋田先生」

 動揺の色が濃い春川の瞳が揺れる。真面目な春川は教師に怒られたことなどないのだ。そう、問題など起こしたことがない彼女が、なぜこのような非常識な行動を起こしたのか、僕は知らなければならなかった。

「なんでこんなことしたんだ」

「出来心で……」

 春川は目を合わせようとしなかった。後ろめたいのだろうから、当然と言えば当然だが。

「出来心って。何だ、何かあったのか」

 これは『物に当たる』という行為なのだろうか。だとしたら、何かしら彼女のストレスになる原因があるはずだろう。

「桜が、嫌いなんです」

「桜が嫌い?なんで」

 ただの八つ当たりではないのだろうか。桜そのものが嫌いで、枝を折った?毛虫の季節はまだ先だけど。

「桜って、クローンなんでしょう?先生」

 春川は思いがけないことを口にする。

「え、ああ。ソメイヨシノは人工的に交雑して増えた品種だから、遺伝子はみんな一緒だって言うけど」


「私もクローンみたいなものだから。だから桜も嫌いなんです」

 うつむいた春川の言葉に、今度は僕が動揺する番だった。

「は?クローンって。なに言ってんだ、春川」

 朱音と同じ顔をした春川桜子。

 その彼女がクローンだって?

 非現実的なその言葉は、あまりにも僕を惑わせた。

「やだな、先生。冗談ですよ、冗談」

「いや、まてまてまて。冗談って、そりゃ冗談だろうけど、クローンって」

 似てるんだよ、冗談だとしても。

 僕はクローンという単語を連発する。

「なんですか、先生。クローンに興味あるんですか。理系じゃなくて国語教師なのに」

 その問いに、僕は一瞬言葉に詰まったが。

「……あるといえば、ある」

 クローンというよりは、朱音と同じ顔をした君に。

 とは、言わないでおいたけれど。

「なんで?」

 怪訝な顔をする春川に、僕は一瞬迷って、そして口を開いた。

「……大切な人を、昔、病気で亡くしてる。クローンとは言わないけど、生き返ってくれればなとか、もう一度会えたらなと、思ったことは何度もある」

 僕の答えに、春川は目を見開いて。

「先生も?」

 驚いたように春川は言った。

「私も姉を、亡くしてるんです」 

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