わたしのこと

 かなり前に読んだとあるエッセイに(カクヨム上ではありません)、こうあったのを覚えています。『わたしは、恋愛しない人を信用しない』と。そのときは、言葉のとおり、恋愛しない=人を好きにならない人、と受け取りました。ですが、自身もエッセイを書いてみて、こう変わっています。『心の本当のところを見せない人は、信用できない』と。恋愛は、相手のよいところだけ見ていては、いずれうまくいかなくなります。「ここが嫌い」もひっくるめて「好き」になって、初めて「愛」の部分が成立するように思っています。これは、あらゆる付き合いにもあてはまります。たとえば、犬や小さな子どもが思いどおりにならないからといって、『こうなってくれないと好きになれない』と、自分の感情をぶつけるのはズレていますよね。一方通行の思いは、誰も幸せにはしてくれません。


 これまでのエピソードをひっくり返しそうで怖くもありますが、今回は、わたし個人の「応援の受け取りかた・返しかた」「こういうのがうれしい」のお話です。ですので、最後のPointはありません。わたしの本当のところを見せて、ようやく本エッセイに欠けていたピースが埋まるのでは、との思いから、このエピソードを書き上げました。



◉PV

 わたしの作品を読んでもらえることは、あらゆる応援の中でもっともうれしく思っています。第一位です。PV「0」がいつものことなので、「1」とつくだけで十分です。本エッセイで初めて一日100PVを目にしたのですが、そこで感じたうれしさは、1PVのときとまったく同じでした。ひとりに読まれたうれしさを、百回繰り返した、とでもいいましょうか。1PVが花一輪とするなら、それが100PVになっても大きな花束にはならず、読者さんから受け取る応援は、わたしにとって花一輪なのです。後述と同じように、PVに疑いの目を向けることもできるのですが、「読み手の興味をひき、物語を開いてもらった」と、その事実だけで十分です。


◉応援の🤍

 ♡ボタンは気軽にすぎ、実のところ「本当に応援してもらえたのだろうか」と疑問を抱く場面があります。というのも、わたし自身が、危うく気持ちのない応援を送ろうとしたことがあったからです。「読み始めてみたものの、続けられそうにない。でも、エピソードを開いたからにはとりあえず🤍を」と、ページを一気に最下まで送り、♡ボタンをタップしかけたのです。お話は最初の数行しか読んでいません。なんて不誠実な、と踏みとどまり、♡ボタンはタップせずに去りました。そこで思ったのです。もしかすると、わたしよりもずっと義理がたいかたなら、『がまんしてでも読んで、♡ボタンで応援を』とお考えになるのでは、と。そんな読者さんがいるかもしれない、そう思うと、🤍による応援は、うれしいはうれしいのですが、手放しにはよろこべずにいます。


◉応援コメント

 🤍と密接な関係にある応援コメントは、たったひと言でも、うれしく感じています。顔の見えない相手に、感情をあらわしづらい文字情報で思いを伝えるのは、とても大変です。「そんなつもりじゃなかった」と、気持ちのすれ違いが起こりうるからなんですね。ともすると、応援に間違いが入る場面も。わたしは書き手でもあります。誤字脱字、言葉選びがふさわしくない、用法の誤り、そのいずれも「書く」という行為から体験済みです。であれば、応援にあるあらゆる誤りは、頭の中で直して読むことができるのです(ときどき苦労する場面も)。

 すれ違い・誤りへのおそれを乗り越えて届けられた言葉が、うれしくないはずがありません。ですので、別のエピソードで語った『返報性の原理』は抜きにして、必ず言葉をお返ししています。頭の片隅で、「無理をしていないとよいのだけれど……」とちらりと思うのですが、うれしい気持ちを塗りつぶすほどではありません。


◉★の数

 正直なところ、★の数が多い少ないといって、一喜一憂はしていません。もちろん、うれしくは思っていますが、そもそも★がつくことのほうがめずらしいのです。また、🤍と同じように、もしかすると義理による★もあるかもしれません。我ながら、疑り深い性格をしていますね。わたしは、★の送りかたに自分のルールを作っています。ともするとそれは、「感情をともなわず、ただ機能する」だけのものに成り下がるおそれがあります。もしもそういったかたが他にもいらしたら、と思うと、★がつくことを素直にはよろこべないのです。


◉レビューコメント

 不特定の読者さんの目にふれる、を臆せずに届いた言葉が、うれしくないはずがありません。そこには、確かに生きた言葉が並んでいますので。ご迷惑かもしれませんが、コメントを送ってくださったかたには、応援コメント・わたしからのレビュー・近況ノートにお邪魔する、などして、お礼をお伝えしています。

 しかし、ここでもほんの少し、薄暗い感情がわくことがあります。「うれしくないはずがない」と先述したとおり、レビューコメントの持つ『返報性の原理』の作用は、とても大きなものです。最大と言ってよいかもしれません。そのため、「ひょっとすると利用されているのかもしれない」と、疑う場面があるのです。自身へのお礼を欲しいがために、わたしを応援する、ですね。誰も彼もとかたっぱしに疑ってかかってはいませんが、時折、お礼をする前にそのかたの人となりを知ろうとします。応援コメント、レビュー、近況ノートのやりとり、描かれた物語、と、それらからお人柄を調べます。そこで「このかたなら大丈夫」と安心できて、初めてお礼をしています。

 わたし自身は、ギブアンドギブ、ひたすらに与え、お返しを期待しないスタイルでいます。他の人には決しておすすめしない生きかたです。


◉作品のフォロー

 これは、ブックマークやしおりのようなもので、一時的な目印、と見ています。ですので、うれしくはあるのですが、「いずれフォローがはずれる」と、気にせずにいます。ですが、どうしてもうれしい気持ちがまさる場面があります。それは、完結作品にフォローがついたとき、です。乱暴な言いかたをするなら、読み終わったものは「用済み」です。本であるなら、売られる・捨てられるなどしても、不思議はありません。ですが、こうも考えられるのです。「また読むこともあるだろうから、本棚に入れておこう」と。もしそうであれば、とてもうれしい応援ですね。


◉作家(わたし)のフォロー

 物語を超え、人との交流のきっかけとなるもので、うれしいとは思っています。ですが、ここでは『返報性の原理』を、意識しておさえ込んでいます。誰彼構わずフォローをお返ししてはいません。人を選んでいる、と捉えられればそれまでですが、わたしが持っている「お礼として注げる水の量」は、それほど多くはないのです。そのかたが描く物語がわたしに合っていて、お人柄も文句のつけようがない、となれば別ですが、どちらかが欠けていた場合、わたしからのお返しには気持ちがありません。そうして無理にできたつながりは長くはもちませんので、申し訳なくは思うのですが、フォローをいただいても返さないようにしています。

 また、わたしは「千人の知り合い」より「十人の友人」が欲しいほうでして、そういった気性から、フォロー数があまり伸びずにいます。わたしが送る応援を温かいスープとするなら、まるで水を飲んでいるかのような薄い味にはしたくないのです。

 どなたかが『カクヨムは集団に入らないと生き残れない』といったようなお話をされているのを見かけたことがあります。その点でいうと、わたしは完全に少数派ですね。カクヨムの利用目的は、「自分がいちばん読みたい物語を読む」なので、それでよいと思っています。


◉注目

 ときどき、自身の作品が取り上げられているのを見かけますが、「なぜだろう? 自分のお話のどこに注目の要素が」と不思議に思い、すぐに忘れてしまいます。自身が生み出した物語は、わたしにとっては世にあるどんな物語より面白い、と思っています。わたしが読みたい物語を、わたしが好きな文体で書きあらわせるのは、わたししかいないのですから。しかし、他のかたから見たら話は別です。なので、「外から見たらなんてつまらない」と考えているんですね。

 自分のこととなるとそうなのですが、応援している作家さんが挙がっていると、がぜん目の輝きが変わります。「すごいすごい。面白かったのだから当然」と、ただのファンですね。注目から消えてしまうと気落ちします。


◉ランキング

 不慣れなとき、自身の作品がランキングに入ったのを目にして、よろこびました。誰かに勝った負けたという考えはなく、単純にそれだけのものを生み出せたのかもしれない、と思ったからなんですね。ですが、その気持ちはすぐになくなりました。ランキングに入ったからどうだというのだ、と。読んでくださるかたがひとりでもいるなら、よくない言いかたかもしれませんが、「ランキングなんてどうだっていい」と思っているのです。交流を無理に増やそうとしない性格もあって、注目を集めやすいかどうかは二の次です。わたし自身が、ランキングから作品をさがさないのもあり、興味が薄いのです。

「注目」と同様に、ランキングに好きな作家さんの作品があると、応援せずにはいられません。



 自分で言うのもなんですが、「偽善」ととられる内容があるかもしれません。ですが、それは読んだかたの印象であって、真偽は誰にも明かせないものです。自分ですらわかっていないのですから。たとえ偽善だったとしても、それを生涯貫きとおしたのなら、偽が真にとってかわります。

 本エピソードを読んだかたがたどり着く「結論」は、さまざまであってよいでしょう。どんな結末、それこそ、本エピソードのあとにフォローがはずれたとしても、受け入れるのが健全です。作者の顔が見えない、きれいなだけのエッセイでは、伝えたいことがすべて偽物になってしまうような気がして、これを書かずにはいられませんでした。



 つづく

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