灰の葬装者―シロクロノブレイザー―

よはん

第1話 白と黒

 一面に広がっているのはただ純粋な闇だった。時間は夕刻で血のような黄昏の赤が空からわずかに差しているが、それ以外に光源は無い上、日差しを遮る大木が一面を埋め尽くしているのもあって視認できるような物体はなにひとつ見当たらない。周囲の木々が作り出す影も濃く、暗いというより黒色が直接眼球にへばりついているかのようだった。勿論生き物の気配も無い。


 時折生ぬるい風とともに木の葉や枝が擦れ合う不愉快な音がすることから鑑みるとどうやらそこは森の中らしい。人間の生活圏から隔絶されたその場所はまさしく魔物たちが棲んでいると錯覚させるような不気味さが立ち込めている。


 何かが腐ったような悪臭。肌にまとわりつくような生ぬるい空気とは反対に身体の内側から発せられる、凍えてしまいそうな怖気。混沌としたそれらは秩序によって成立する人間の生活圏とは決して相容れることはない。


 であるならば、この闇の世界で蠢く影は『人ならざるもの』だ。


「――っ」


 突如として無限に続くかのような静寂は破られた。

 

 地面から複数の細長い腕が飛び出し、『白い影』に殺到する。しかし『白い影』はそれら軽やかな足取りで掻い潜り、距離をとってじっと様子を見守る。すると腕から頭と肩、胴体と次第に地面から『異形』たちが這いずり出てくる。まるで怪しい呪術により亡者が地獄の底から蘇ったかのようなおどろおどろしい光景だった。


 その『黒い影』たちは『白い影』を捉え、左右に不規則に揺れながら距離を縮めていく。対する『白い影』も距離を取りながら周囲の状況を確認していた。しかし風が吹き、木々がざわめき出した瞬間に『黒い影』たちは一気に飛び出し、『白い影』も両手から『光る剣』を発振させてそれに応じた。


 闇よりも黒い影と唯一の白い影がぶつかり合い、その度に獅電が迸るような乾いた破裂音と閃光が無秩序な世界の正体を浮き彫りにしていく。鬱蒼と木々が茂った森の中、ボロボロに朽ち果て、苔むした墓石があちこちに散乱していた。どうやら管理が放棄された墓地のようで、あちこちに朽ちた卒塔婆や五輪塔が立っている。

 

 その残骸の中央では白い人影が重力から開放されたかのように軽やかに舞っていた。否、それは舞踊ではなく剣戟だった。


 舞い踊るように二対の黄金に輝く双剣を薙ぐのは若い少女だ。フードを目深に被ってもなお溢れる長い銀髪はゆらゆらと揺れ動き、火花が散るたびにガラス細工のように七色の光を煌めかせて真っ黒な世界に色彩を与える。


 肩を出した大ぶりな袖、動きやすさを優先したプリーツスカート、肌を守るニーソックス、設地性を重視したスニーカーなど活動的な格好ではあるが、水干を彷彿とさせる前掛けに留められた飾り紐やネクタイ、ボタン、金色の刺繍、チョーカーに括り付けられた鈴、前髪に留められた鳥居の意匠を施した髪飾りなどからはややフォーマルで宗教的な意味合いも読み取れる。


 おそらく普段着としても使えるようにした巫女装束なのであろう。さながら光の双剣を振るうその動きは神前に奉納する神楽のようであり、見る者の目には幻想的に映る。


 対して白い少女を取り囲んでいるのは三体の『異形』だった。身長や体格は様々で男のように角張った体型や女のように丸みを帯びた体型、子供のように小柄な者も居る。


 しかしそのどれもが猫背でウエストが骨と皮しか無いかのように細いのに太ももは丸太のようにに太く、前腕が地面に届くほど長い。顔にも肉は無く、どちらかというと頭蓋骨に皮が直接張り付いたような見た目で落ち窪んだ眼窩の奥から赤い燐光が覗いている。しかもその燐光は目だけではなく、全身のいたるところに走る肌の亀裂からも滲み出ていた。


 そしてその『異形』のどれもこれもが例外なくゆらゆらと揺らめく青白い炎のような装束を纏ってフードを被っている。一見すると真っ白な骸骨が黒いローブを羽織っているステレオタイプな死神像をそのまま反転させたかのような見た目だった。ただ唯一違うのは鬼を彷彿とさせる二本の長い角を額から生やしているくらいだ。


「――オ、オオオオオオ…」


 肉が腐ったような凄まじい悪臭を振りまく『異形』たちは生理的嫌悪感を生み出す呻き声を発し、じわじわと少女に迫っていく。しかし少女はそれを意に介することなく舞い続けた。野次を飛ばす無粋な観客などどこ吹く風といった様子の舞台役者かのようだ。


 対する『異形』たちはそれぞれ身体の一部を変形させ、大鎌や鉤爪、重砲など各々自由に得物を携えている。どれもこれも細身の骨にはアンバランスな大きさを誇っており、むしろ武器が本体で骨の方が添え物のようにも見えた。しかし骨たちは軽々とそれらを振り回し、踊る少女に肉薄する。


「――」

 

 ゆらり、と少女は舞う動きを止め、後方に大きく跳ぶことで形で男体型の怪物の振るった大鎌を躱す。すると先程まで少女が居た空間を勢いよく切り裂いた大鎌はそのまま側にあった木の幹に突っ込み、あっさりと大木を寸断する。


 しかし倒れた幹が盛大な騒音を一帯に轟かせるよりも先に続けざまに攻撃が少女に襲いかかる。動いたのは女型だ。長い両腕を鞭のように伸ばし、更に手先の鉤爪も一気に延長させ、中距離においても十分なリーチを稼ぐ。いや、自由に身体を変化させられるこの『異形』たちにとって最早距離など大した意味をなさないだろう。


 女型は乱雑に両腕を左右に振り回し、周囲の木々を薙ぎ払いながら少女の肉体を断ち切らんとする。明らかにまともな狙いはつけていないが攻撃範囲の広さから見ても精度は特に必要ないのだろう。大量の木々や墓石の残骸が吹き飛ばされ、土埃が舞い上がる。しかしその中に無惨にも挽き肉にされた少女の亡骸は見当たらない。


 つまりあの攻撃を回避ないし防御したということになる。女型が咄嗟に背後を振り返ると目と鼻の先に少女の姿はあった。しかも既に両腕に携えた光剣を女型の首と胸に叩き込む態勢だ。回避も防御も間に合わないタイミングで、このままだと女型の胸は貫かれ、首は胴体を離れて宙を舞うことだろう。しかし横合いから突如飛来した光弾が少女の握っていた光剣の軌道を歪め、そのままの勢いで弾き飛ばした。


「……ッ!」


 わずかに姿勢を崩した少女は邪魔をした相手の姿を捉える。男型、女型よりも小柄な子供くらいの背丈の『異形』が土管みたいに無骨な重砲を構え、少女を睨みつけていた。小柄な見た目に合わず武器はパワーがあるようで、弾道の延長線上にあるすべての障害物を跡形もなく吹き飛ばしている。もしも少女に直撃していたらただでは済まなかったであろうことは明白だ。


「オオオオオッ!!」


 そんな攻撃が続けざまに何発も放たれ、木や墓石や地面が粉砕されて無数の破片と土煙が宙に舞っていく。更に童型の攻撃に男型の高速で繰り出される鎌を用いた斬撃と女型の鉤爪による猛攻も加わり、圧倒的物量を前に少女も防戦一方で、じわじわと逃げ場も塞がれ追い詰められていく。


「!!」


 異変を覚えた少女が上を向くと頭上には『異形』たちの攻撃によって落下してきた太い木の枝が目前にまで迫っていた。少女は反射的にその枝を光剣で薙ぎ払うが、そんな僅かな隙を突いて三体の『異形』はそれぞれの攻撃を無防備な少女に叩き込んだ。確かな手応えがあり、『異形』たちはまるで嗤うかのように呻き声を漏らす。若い人間の命は彼らにとって至高の養分だ。しかし舞い上がった砂埃が風で掻き消されたその先に少女の姿は無く、それぞれの得物は地面や木の幹などまるで見当違いな方向へ突き刺さっていた。


 何かがおかしい。『異形』たちが一斉に顔を上げる。彼らの視線の先――伐採を免れたのっぽな木の頂。大量の木々が薙ぎ倒されたことで顕になった星空を背景に少女は重力を無視して浮かんでいた。更にその背後には仏像の光背を思わせる巨大な機械仕掛けの輪が浮かんでいる。


「――《葬装機ブレイズ》・《天聖神祇テンセイジンギ》起動」


 少女がぽつりと命令を唱えると機械仕掛けの輪はゆっくりと時計回りに回転を開始し、外縁部から光の刃を発振させた。その数は合計一二本。光の刃からは黄金の粒子が飛散し、一帯に立ち込める闇の瘴気を眩い光によって消し去っていく。その光景はまるで神話に登場する神の降臨であり、見る者に畏れを抱かせる神々しさがある。


「オオオオオオオオオッ!!」


 闇に生きる『異形』たちは狂ったように咆哮し、再び武器を構えて宙に浮かぶ少女に狙いを定める。まず動いたのは重砲持ちの童型だ。飛び道具であれば高所に居る少女にも攻撃を当てられる。有利な状況には変わらない。しかし童型の構えた重砲から光弾が放たれることはなかった。


 異変を覚えた男型と女型が童型へ目を向ける。すると童型は膝から崩れ落ち、ややあってその小柄な身体を跡形もなく闇に溶かしていった。それを成したのは童型を取り囲んでいた一二の光球。少女が背負う光背から射出された、およそ直径二〇センチのそれらから放たれた光線が童型を灼き尽くしたのだ。更に対象を消滅させた一二の光球はそのまま自動的に動き出し、次の対象に狙いを定めていく。


「オオオオ…!」


 本能的に危険を悟った男型と女型はすぐさま光球から距離を取る。しかし光球も追従し、『異形』たちを射線上から絶対に外さない。既に形勢は逆転していた。


 狂乱した女型が二本の鉤爪を乱暴に振り回し、周囲の光球を薙ぎ払う。しかし的確な動きで光球は腕を躱し、逆に光線で女型の腕を鉤爪ごと吹き飛ばした。すると女型の肩口から血のような赤い光が勢いよく噴き出し、耳を塞ぎたくなるような絶叫が辺りに轟いた。しかし宙に浮かぶ少女は顔色ひとつ変えず、のたうち回る女型に向けて右手を突き出す。すると掌から太い光軸が放たれ、両腕を喪った女型を跡形も無く吹き飛ばした。かなりのエネルギーを内包していたのか巨大な爆発が生じ、閃光は闇を、爆音は静寂を、衝撃は障害物を薙ぎ払っていく。


「……」

「……!」


 最後に残った男型へ少女は狙いを定め、待機している一二の光球に攻撃命令を下す。しかし男型は右腕を目にも留まらぬスピードで薙ぎ払い、一瞬にして攻撃を開始しようとしていた全ての光球を叩き落とした。一二の爆発が同時に起こり、少女はわずかに身を強張らせる。どうやら最後の敵は中々の強敵にようだ。


 爆炎から男型は勢いよく飛び出し、空中の少女へ一気に肉薄する。対する少女は両方の掌を翳し、そこからいくつもの光弾を連続して発射するが、その全てを男型は捉え、全て大鎌で切り裂いていく。牽制にもならない様子で少女は僅かに眉を顰める。彼我の距離は一気に縮まった。


 少女は目の前に迫る大鎌を首だけを動かして紙一重で躱すと右の掌から光剣を発振させ、無防備になった男型の首元へ刃を振るう。しかし男型はフリーにしていた左手で少女の右腕を掴むことでその攻撃を止めた。なおも少女は空いている左手から同じように光剣を発振させるが、男型はその反撃も読み、少女の胴に蹴りを叩き込んで距離を取った。


「……うぐっ!」

「オオ……!」


 空中で体勢を崩した少女へ男型が迫る。この状況では回避も防御も不可能。絶体絶命の危機だった。しかし男型が振り下ろした大鎌が少女の首を弾き飛ばすことは無かった。ゆっくりと男型は動きを止めた己の身体を見下ろす。すると自分の全身に大量の光の剣が突き刺さっていることに気が付いた。


「――ッ」


 どうやら少女は蹴られて姿勢を崩した瞬間に光背から複数の剣を先程の光球のビットと同じ要領で飛ばじ、男型の身体目掛けて攻撃するように命令を下していたらしい。男型の『異形』は全身から力を抜き、己の大鎌を解除して通常の腕に戻す。既に『生前』の意識や理性、記憶は欠片残っていないが、安堵のような感情は辛うじて自覚できた。


 やっとこの永い苦しみから開放されると。


「……安らかに眠りなさい」


 少女が突き出した右手を握るのと同時に突き刺さった光剣から眩い閃光が発せられ、『異形』の身体は光に包まれると跡形も無く消し飛んだ。粉々になった体組織は光に飲み込まれ、僅かに残った塵も闇に溶けて消えて無くなる。すると虚空から青い火の玉が浮かび上がり、そのまま地面に落下して青い炎になって広がった。


 それを見届けた少女はゆっくりと降下して地上に降り立ち、背負っていた光背を解除してどこかに仕舞う。そして青い炎の光に照らされながら消え去った『異形』たちに手を合わせてその供養を祈る。彼らの魂が救われることを。


「――時間がない」


 少女は空を仰ぎ見る。闇はどんどんと濃くなっていき、未だ瘴気が完全に晴れることはない。血のような赤い空は次第に黒く不吉な色に染まっていく。


「……!」


 刹那、少女の背後に新たな影は生じる。異変を察知した少女は振り返り、咄嗟に障壁を貼るが大した効果は無く、そのまま突き出された拳に吹き飛ばされ、勢いよく大木の幹に背中を打ち付けた。一瞬息が詰まったがすぐさま少女は立ち上がり、新たな敵の姿を捉える。


「飛竜型の《灰鬼アッシュ》……」


 少女の前に立ちはだかるのは大きな翼と長い尻尾を生やした竜をイメージさせる怪物だった。本体こそ二足二腕の人型だが全体的に筋肉質で獣のような荒々しさがある。その『飛竜』は全身に青白い炎を纏っており、開かれた巨大な口からは鋭い牙が覗いていた。


「《葬装機ブレイズ》・《天聖神祇テンセイジンギ》起動……!」


 少女は再度、光背のような機械仕掛けの輪を展開し、新たな敵へ照準を向ける。翳した掌の中心は一切のズレなく『飛竜』の胸部に埋め込まれた心臓部たる赤いオーブへ向けられている。対する『飛竜』も少女に応じるように動いた。一瞬で互いの距離は縮み、少女も掌から閃光を放つ。


「うぐっ……!?」


 しかしその動きは途中で止まった。少女は足元から崩れ落ち息を荒げながら胸を押さえる。心臓を締め付けるような激痛は収まる気配がなく、少女はふらつく身体でなんとか立ち上がる。しかし既に『飛竜』の鋭利な爪は目と鼻の先にまで迫っていた。


 咄嗟に首を振り、紙一重でその攻撃を避ける。大木が倒れるが、意に介さず改めて少女は両手から光剣を発振させた。対する『飛竜』もその反撃を読み切り、迫る光剣を真正面から左腕の裏拳で薙ぎ払い、逞しい右腕で少女の首を掴むとそのまま高く持ち上げる。


「かは……っ!」


 喉を締め付けられ、息が出来ない。しかし少女は笑みを浮かべた。虚勢ではない、何かを期待するような心からの笑みだ。その真意を読み取ることは『飛竜』には出来ない。それ故に『飛竜』は口を開き、喉奥から閃光を吐き出すことでそれに応じた。肌をじりじりと焼く莫大な熱量が秘められたその一撃が直撃すれば少女の身体は一瞬で消し炭になってしまうだろう。それでも少女は笑みを崩さず、己の背負う光背の輝きを強くさせた。


 そして閃光と閃光がぶつかり合い、森を包む闇を一気に吹き飛ばした。

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