第3話

 正臣と悠人がザッハーク達の元に向かう中で、蓮司は凛子が運転する車で定義谷へと向かっていた。


「凛姉、スピードだし過ぎだよ」


 周囲の景色を見る余裕もなく、たまに見てもあまりのスピードに砂ぼこりが待っており、ほとんど景色を視認できない。


 蓮司は凛子の荒っぽい運転に翻弄されていた。


「大丈夫大丈夫、この子は簡単に壊れないから安心して」


 舗装されていない砂利道を、凛子は全くアクセルを緩めることなく突き進んでいくが、こうした場所を走ることの危険さを理解している蓮司は、全く安心することができなかった。


「これマサ兄の愛車だよね。壊れなくてもぶつけたら滅茶苦茶怒られるんじゃないの?」


 二人が乗っているのは正臣の愛車である特別製のスポーツカーだ。


 水素エンジンと燃料電池のハイブリッドの動力と、流麗で滑らかで深い黒に塗装された車は悪路もまるで舗装路を走るかのように突き進む駆動システムを搭載している。


 かろうじて車酔いすることはないが、それ以上に道なき道をあえて選んで走っているかのような凛子の運転はあまりいい心地とは言えない。


 三点式のシートベルトではなく「セミ」が付くとはいえ四点式のバケットシートでなければ、体のあちこちをぶつけていそうだ。


「大丈夫だよ。正臣は優しいから私がこの子をちょっとぶつけたくらいじゃ怒らないもん」


『失礼ですが、マスターは怒ると思います』


 二人のやり取りに口を挟むかのように、スピーカーから無機質な女性の声が飛んできた。


「アムは心配性なんだから。私と正臣はマリアナ海溝よりも深い愛でつながってるんだよ」


『先日も、同じようなことを言って私のフロントを損傷した際に、マスターに頬をつねられたと記憶しています』


 この車と同じ名前を持つAIのアムことアムルタートは、主である正臣のように淡々と事実を指摘した。


「そんなこと記録しなくていいの!」


『ですが私はマスターより、パートナーであるあなたと蓮司くんをサポートするように命令を受けております。その過程で全ての情報を記憶するようにと』


 理論武装するのも持ち主に似ているのか、凛子は不貞腐れてしまい、アクセルをさらに踏み込む。


 スピードメーターがすでに180kmを越えているタイミングであったために蓮司は「前見て前!」と叫んでしまった。


 危うく大木に激突するところだったが、アムのサポートが利いているのか、寸前で回避し事なきを得た。


「あいつらと戦う前に凛姉に殺されそうだ」


 いくら愛している恋人とはいえ、自分の大事な車をこんな荒っぽい、というよりも雑な運転をする相手に貸すものだと蓮司は思った。


 自分だったら絶対に貸すという選択肢は生まれない。だからこそ、お目付け役としてアムがいるのだろう。


「酷いなあ、一応私だってレディなんだから優しくしてほしいよ~」


「あいにく年上のレディを気遣えるほど大人じゃないんだ俺」


 そっけなく蓮司がそういうと、凛子はわざとらしくふくれっ面になった。


「蓮司君って、絶対に沙希ちゃんに酷いことしているでしょ。何回か泣かせたんじゃないの?」


 思わぬ反撃に蓮司は真顔になるが、図星を突かれたことから何も言えなくなった。


「え? まさか本当なの?」


「俺、結構あいつにひどいことやって来たんだよな」


 二日前、ヴェスペに襲われた日、蓮司は剣道部を辞める切っ掛けになったことから沙希に当たり散らしてしまった。


 自分を心配しに、謝りに来たはずの沙希に対して八つ当たりをし、結果泣かしてしまったことが、今も心の中に棘のような形で残っている。


「泣かせちゃったんだね」


「俺ホント最低な男だよ。母さんが生きてたら、ぶっ飛ばされているだろうな。ついでに父さんからも怒られてそうだ。不肖の息子だよ」

 

 先日から、忘れかけていた記憶が蘇ってきていた。小さい頃、女性には優しくしろと母である京香は常々口にし、蓮也もそうした方がいいと少々引きつりながら賛同していたものだ。


「そんなことないよ」


「でも、沙希がああなったのは俺が原因なのかもしれない。あいつが蛇姫になった時、俺あいつにひどいことを言って泣かせたんだ。それで謝りに行こうとしたら、ヴェスペの野郎に殺されかけて、おじゃんになったけどね」


 あの日、ちゃんと沙希に謝ることができたならば、沙希が蛇姫に堕ちることもなかったのではないかという思いが蓮司にはあった。


「蓮司くん、また迷っているんじゃないよね?」


 心配した凛子がそう尋ねると、蓮司はにやりと笑って首を振る。


「まさか、覚悟は決まってるよ」


 蓮司は懐にいれてある、正臣からもらったお守りに触れていた。


 これを託された以上、みっともないことはできない。


「でなきゃ、コイツをもらった意味がない」


「ふふ、凛々しくなっちゃったね。で、あそこまで行けばいいんだっけ?」


 凛子が指さした先には二本の巨木がそびえたっていた。


 数十メートルある巨木は互いに枝を伸ばしあい、まるで門のようになっている。その姿から蓮司は幼い頃にここを門の木と呼んで遊んでいた。


「だね、ここで止めてよ」


「OK!」


 明るく答えるのとは対照的に、凛子はやや乱暴にブレーキを踏んだ。


 荷重が一気にかかり、四点式のシートベルトが蓮司の胸を締め付け、むせこんでしまった。


「蓮司君大丈夫?」


「……俺、二度と凛姉の運転する車に乗らないからね」


 アムがいなければ、事故死していた可能性から蓮司は気分の悪さを吐き出すかのようにそう言った。


「ふんだ! じゃ、帰りは歩きね」


「その方が安全な気がするよ」


 淡々と答えた蓮司は門の大木を懐かしつつ、かつての遊び場を懐かしむように歩き始めた。


 祖父である蓮太郎、そして北条一家とピクニックに来たり、山菜やタケノコを採りに来た思い出が溢れてくるような気持ちになった。


 そんな感情が溢れつつある中で、蓮司は後頭部を押さえられて地面に激突した。


「大丈夫?」


 香水の匂いと声で、自分を地面とキスさせたのが凛子であることに気づく。


「やっぱり俺、凛姉に殺されるわ」

 

 ふざけながらも、蓮司は立ち上がろうとするが、視線の先には鋭い極太の毒針が二本、巨石を穿っていた。


「相変わらず、君は運がいいようだね」


 嫌みがこもった声に、蓮司は自分の命を狙う凶蜂がいたことを思い出す。


「お前もな、ヴェスペ。てっきり殺されてたのかと思ったよ」


 少し余裕を持ちながら、蓮司は皮肉を口にした。


「ふん、運がいいのも良いことばかりではないな。なまじ、中途半端に運がいいだけに、死ぬべきタイミングで死にきれず、苦痛を味わうことになる」


 二回も仕留めそこなったことをヴェスペは逆に皮肉った。しかし、蓮司は怯むつもりなど毛頭なかった。


「そりゃお前のことだろ。あの時、悠兄にぶっ殺されてればよかったのに。無駄に生き残ったから、今度は本当に死ぬことになるんだからな」


 皮肉ならば負ける気がしない。腹が座っている蓮司に怖いものなど何処にも存在しない。


 そんな蓮司の勢いを切り裂くかのように、ギロチンのような鋭さで放たれた光の輪が巨木を切り倒していた。


「ごちゃごちゃうるさいわ、あんたたち」

 

 ヴェスペとは対極に位置するかのように、白金の鎧を纏った少女が二人を見下ろしていた。


「ずいぶんとまあ、変わったもんだ」


 黒髪は紫水晶アメジストのようになり、黒かったはずの瞳はまるでルビーのような紅に染まっている。


「いろいろと気づかされたのよ。私は人間なんかじゃないってことにね」


 右手で髪をかき上げながら、そう言い捨てると、沙希は蓮司に漆黒に染まった剣を突きつけた。


「だから、アンタを殺す。蛇の一族ナーガの敵であるアンタを殺して、私は人間を辞めて、蛇の一族ナーガになるわ」


 突きつけられたどす黒いその剣には、禍々しさと共に、彼女が持つ憎悪がそのままエネルギーになっているかのようなオーラを感じた。


「蓮司君!」


 駆け付けようとする凛子を遮るかのように。ヴェスペが彼女の前に立ちはだかった。


「君の相手は私がするよ、白金の猛虎プラチナム・ティーゲル


「レディの邪魔すると、ろくなことにならないわよ」


 普段のおちゃらけた、ゆるキャラのような雰囲気とは一変して、凛子は刀の切っ先を突きつけるかのような気を放つ。


「大丈夫だよ凛姉。こいつは俺が止める」


 先日戦った時以上に強い殺気を沙希から感じるが、蓮司は些かも怯まなかった。


「顔見て安心したよ。お前、何にも変わっちゃいない。変わったのは外見だけだ」


 蓮司の言葉に対する返答のように、光輪が蓮司の頬をかすめて飛んでいった。


「誰に向かって言ってるつもり?」


「らしくない言葉を使うとアホになるぞ。小学生の頃、お嬢様ぶって失敗した時のことを忘れたか?」


 沙希の表情は能面のような表情は些かも変わらないが、内心怒り狂っているのが分かるほどに、漆黒の剣で地面を切り裂いてみせた。


「次は切るわ。今の内に遺言を思いつくだけの時間だけは残してあげる」


 人間らしさを失った外見と、それを象徴するかのような力だが、それは自分も同じだ。


 自分もまた、彼女と同じジャガーノートなのだから。


「彼女は、強いよ」


 何かを見透かしているかのような口ぶりでヴェスペはそう言った。


「彼女が持っているのは、蛇の一族ナーガたちが作り上げた魔剣、ヴィグナーンタカだ。その剣には、彼らの持つ力が込められている」


 通りで普通の剣ではないと思ったが、あの得体のしれない蛇の一族ナーガの力がこもっているのであれば、妖気や禍々しさがあるのも道理と言えた。


「だから、何だってんだ?」


 そんなヴェスペの言葉に対する答えのように、蓮司は心を共振させる。


「共振開始」


 蓮司の前身を金色の粒子が取り巻き、それは一瞬にして鎧と化し、体の奥底から力が湧き上がってくる。


 その力を感じた時、蓮司は再び金色の鳥王ゴールデン・ガルーダとなった。


「あんたの力じゃ私に勝てないわ」


 鳥王となった蓮司に負けんとばかりに、沙希もまた白金の鎧を完全に纏った。


「やれるものならやってみな。お前にそんなオモチャがあるなら。俺にもある」


 正臣から預かった「お守り」を蓮司は懐から取り出した。これが一体なんであるか、ここに来る前に凛子からしっかりと聞かされている。


「父さんが俺に残してくれた力、今ここで使わせてもらうぜ!」


 そう叫ぶと、お守りの先端が左右に開き、金色の刃が飛び出してくる。


「お前が魔剣を持っているなら、俺には父さんから受け継いだこの剣がある」


 正臣から受け取ったお守りの正体、それは、かつて蓮司の父である蓮也が使っていた武器であった。


 金色の剣、というよりも実態は刀ではあるが、触れるものすべてを切り裂き、左右に分かれた鍔にあたる部分が両翼のように見えることから、この剣はこう呼ばれていた。 


「この金翅鳥王剣がな!」


 太陽に照らされ、光り輝く鳥王ガルーダの異名、金翅鳥王の名にふさわしい剣を手にした蓮司は、沙希が手にしている漆黒の魔剣、ヴィグナーンタカへとその刃を振り下ろした。

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