第3話

 私立白鳳学園から数百メートルほど離れた場所にある北条総合病院。


 北関東の過疎地あるとは思えないほど、この病院はCTは無論のこと、大型のMRIや手術用ロボットなどを保有しており、充実した設備が整っていることで有名であった。


 設備も医療機器だけではなく、入院患者は無論のこと、一般の患者も利用可能な食道を備え、ホテルと見間違うほど整った個室を提供している。


 そのため、過疎地であるからこそ、療養や治療に専念できることを売りにし、療養も兼ねた医療ツアーなども定期的に行っていた。


 そうした患者に寄り添うことに重点を置く経営方針から、今では日本国内だけではなく、国外から訪れる患者も多い。


 今日もまた、そうした医療ツアーでやってきた患者達がいることを一条蓮太郎はサングラス越しに確認しながら、メインフロアを眺めていた。


「一条先生、お待たせしました」


 白衣姿の中年男性が、慌ててやってくる姿に蓮太郎はかけていたサングラスを外す。


「すまんのう、院長センセ」


 ビンテージのアロハシャツとジーンズ姿という出で立ちと、全く後退していない頭皮からはどうみてもせいぜい五十代ぐらいにしか見えないが、一条蓮太郎は古希を過ぎた爺様である。


「いえいえ。それにしても、先生は相変わらずお若くいらっしゃる」


 北条総合病院の院長であり、白鳳学園の理事長も勤めている北条悟がうらやむようにそう言った。


「お前さん幸せ太りか、腹回りがボテっとしとるぞ。昔はスラッとしていて、女子にキャーキャー言わせとったくせに」


 北条の顔立ち二十代の頃と大差ないが、腹部は中年男性相応に脂肪が付いている。若い頃の北条を知る蓮太郎としては、少々残念に思った。


「ワシと前にクラブ行ってた時は、黙ってても可愛いおねーちゃんが向こうからやってきたもんだが、今じゃお前さん、金を使わないとキャーキャー言わせられんぞ」


 四十代の中年と誤解されるほどに若く見える蓮太郎がそう言うと、北条は苦笑していた。


「私はあいにく、先生と違って自分の分というモノをわきまえていますから」


「なんじゃい、ワシよりも三十は若い奴がそんなことでどうする? ワシがお前さんと同い年の頃はな、キャーキャーどころから向こうが金持ってくるほど……」


 冷房が効いてるのとは別に、どこか冷ややかで、嫌な空気を感じた蓮太郎はそっと後ろを振り返る。


 そこには北条の妻であり、白鳳学園の学園長を務める都が整ったスーツ姿で、少々軽蔑を混ぜてにらんでいた。


「……というのはまあ、ある種のサマージョークなんだけどな」


「相変わらず、ですわね。一条センセ」


 朗らかで温厚そうな北条とは対照的に、鋭利な目線と年齢を感じさせないメイク、真夏でありながらもパリッとしたスーツを着こなす都は、やり手の女性経営者の風格を漂わせていた。


「ワシ、百五十までは長生きするつもりでいるからな。にしても、お前さん暑くないの?」


 過疎地、言い換えれば山の近くに位置する北条総合病院周辺はかなり暑い。外の気温はすでに人間の平熱と同じくらいにまで上昇していた。


 そんな中で、夏用とはいえ、整ったスーツ姿はクールビズの今では不釣り合い過ぎるのだが、この黒髪のクール美女は怪訝な顔をしていた。


「生徒達には夏服着せて、学園を冷暖房完備させとるのに。ぶっ倒れるぞ」


 都が学園長を務める白鳳学園は、全教室が冷暖房完備してある。そして、この真夏でも大丈夫なように経口補水液まで用意させていた。


「仕事着ですから、問題ありません」


 ハッキリと都は断言してみせた。


 真夏だというのに冷たい印象の都ではあるが、根は生徒思いの学園長であり、意外に生徒達からは慕われている。

 教育方針と学園の運営法も、保護者の方々に理解されており、人望もあるのだが、第一印象は切れ者を通り越してやや冷徹そうに見えるところがある。


「お前さんがいいならそれでいいんだがな。立ち話もアレだから、どっか座らせてくれ」


 蓮太郎がそう言うと、北条の手引きで三人は院長室へと向かう。


 クラシックなマホガニーの机と来客用のソファとテーブル以外は殺風景な部屋ではあるが、派手な装飾に金を使うぐらいならば、医療機器と病院の設備に投資する北条らしい部屋であった。


「悪いが、昼飯がまだでな。メシを食いながら話させてもらうぞ」


 孫が作った太巻きを口にしながら、蓮太郎はそう言った。


 小学生の頃から家事を仕込んでいたが、巻き寿司まで作り、仕舞いには商売をやるほどの腕前になったことは流石は自分の孫だと褒めてやりたいほどである。


「前に話したが、ワシは近いうちに蓮司をに住まわそうと考えている。あいつはここに収まるようなスケールの男じゃないからな」


「蓮司君が飛び抜けているのは事実ですね」


 高校生で学業と成立させて、しっかりとビジネスができる上に、何でもこなせるようになったのは、蓮太郎がこっそりとアレコレと仕込んできたからでもある。


 頭脳明晰で、スポーツ万能。周囲とのコミュニケーション能力も高い。


 学業が優秀、スポーツ万能、コミュニケーション能力が高い。そうした能力が一つ一つ高い生徒は白鳳学園には大勢いる。


 だが、そうした能力全てが抜きん出る生徒は数えるだけ。その全てが万能に高いのが蓮司であった。


「あいつが今、夏休みでビジネスやってるのはお前らも知ってるだろ?」


「一応は」


 都がそう言うと、北条も静かに頷いた。


 学生ならば、学業に専念するべきではあるとはいえ、生徒の自主的な活動に関しては、学業や校則に反しない限りは自由であることは認められている。


 それに、蓮司はキチンと手続きを取りながら弁当屋を行っており、時には合宿中の運動部の食事まで手伝っていることから、教職員達も黙認どころか公認しているほどである。


「あいつの弁当屋にはワシもいろいろとアドバイスしたし、それ以外にもあいつは自分なりに考えて運営している。弁当もSNSを使って一種類にして、会員制にして、味とボリュームを両立させることで腹すかせた学生に満足してもらうだけの仕組みを作った。こう言えば簡単だが、あいつはそれを一人でやっとるんだ。十六歳のガキがな」


 蓮司の弁当屋は単純な仕組みで成り立っているが、システム化して無駄を出さず、品質を落とさないことをキチンと両立させていた。

 単純ではあるが、その単純な仕組みを作ることがどれほど難しいかは、実際に経営に携わっている北条や都ならば分かるだろう。


 それを蓮司はアドバイスがあったとはいえ、一人で構築していた。


「我が孫ながら、完璧な仕組みを作ったもんだと関心する。そして、あいつはここで収まるような奴じゃない」


「つまり、一条先生は蓮司君が白鳳学園には不釣り合いだとおっしゃりたいのですか?」


 暗に蓮太郎の発言は、白鳳学園では持てあますと言っているようなものだ。信念と熱意を持って学園経営と教育を行っている都としては、看過できない発言であった。


「そういう意味じゃない。前にも言ったが、蓮司は普通の子供じゃない。それは、お前らも理解しているはずだ」


 先ほどまで冗談を口にしていたとは思えないほど、蓮太郎の真剣な表情に都は言葉に詰まった。


 学園に入学が決まった時に、蓮太郎は蓮司が普通の子供ではないことを、密かに二人に共有している。


 それを知っているだけに、二人の表情がより険しくなっていく。


「普通ではないからというのは理由にはならないと思います」


 北条が指摘するも、蓮太郎は表情を変えずに太巻きを口に放り込む。


「蓮司君が普通ではないことは重々承知しています。そして、それを理解しているからこそ彼を受け入れたのは先生もご存じのはずです」


「蓮司だけの問題じゃない。あいつ自身の素質や素養の問題ではなく、他の生徒達の問題でもあるんだ」


「蓮司君が他の生徒達に危害を与えるとでも?」


 中等部の頃、蓮司がそうした騒動を起こしたことは蓮太郎も知っているだけに、都の主張は鋭い事実の刃として向けられている。


 だが、それも蓮司だけが悪いわけでも、原因でもなかったのだが、そうした可能性が起きることも蓮太郎は考慮していた。


「確かに蓮司は一度、問題を起こしてはいる。だが、お前らも蓮司だけの過失でも責任でもないことは知っているだろうに」


「分かっているからこそ、彼を退学にはしなかったと思います。剣道部は結果として、退部してもらいましたが、また彼がそういうことをしでかすとでも?」


 態度は一切崩さないが、都の口調にはトゲのようなものがあるのを蓮太郎は感じた。


 トゲというよりも、事実という刃の切っ先を突きつけられているというのが正しいのかもしれない。

 

「あいつはそういうことはもう二度とせん。というか、そういうことではないわ」


 再びステンレスボトルを手に取り、お茶を蓮太郎は口へと流し込む。特製の水出し緑茶に一息付く。


が動いたらしい」


 予期せぬ言葉だったのか、北条夫妻の顔が引きつるのを蓮太郎は見逃さなかった。


 蓮太郎も、北条夫妻もこの地で暮らす前は、今の平穏とは真逆な戦いに身を投じていた。


 故あって、戦いから身を引いて今では医療と教育という、それまでの経歴とは真逆な世界で生活を送っている。

 だが、あの時の戦いの記憶までも捨て去ったわけではなかった。


は相変わらず、異能者や希少な素養を持つ人間をハンティングしているらしい。あれだけ叩いて、まだしぶとく生き残っているのは流石だが、奴らのえげつなさはお前らもよく知っとるはずだ」


 口にするだけで蓮太郎は気分が悪くなってくるが、奴らと戦ってきた経験と記憶を辿ると、奴らは息をするかのように吐き気がするような悪辣な手段を行使してきた。


 合理的という言い分で、残忍な手段を使うそのやり口に嫌悪したからこそ、蓮太郎はその悪行と戦ってきただけに、奴らの好きにさせるつもりなどはない。


「蓮司が奴らのターゲットになるのもそう遠い話じゃない。そうなれば、奴らはワシは無論のこと、お前さん達すら利用して、あの手この手で蓮司を手に入れるだろうよ」


「その情報は確かなのですか?」


 北条の質問に蓮太郎は静かに頷く。普段はおちゃらけてはいるが、こういう時にまでおちゃらけるほど無節操ではなかった。


「ワシはまだとの付き合いがあるからな。つい先日も、派手にやらかしたらしい」


 かつての仲間達と北条夫妻は関係を断ってはいたが、蓮太郎は関係を維持していた。

 万が一に備え、最悪の事態が起きないようにすることは当然だが、最悪の事態が起きても対処出来るだけの選択肢を蓮太郎は残していた。


「それに、狙われるのは蓮司だけではない。お前らもそれは分かるだろ?」


 真剣な表情で蓮太郎がそうつぶやく。


 狙われる対象となり得るのは蓮司だけではないことは北条夫妻が一番良く分かっていることだ


「お前さん方の娘、沙希ちゃんも奴らのターゲットとなる理由があることをな」


 北条夫妻の一人娘である北条沙希もまた、蓮司と同じ価値を持った存在であることを蓮太郎は指摘したのであった。


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