第27話 テオドラ

 ミネルバの答えにジェイクが目を見開く。シャロンの考えには半信半疑だったのもあるだろうが、今までと雰囲気ががらりと変わったロイに驚いてもいるのだろう。

 そう、すんなり信じろと言うほうが無理なのだ。ロイがこの館を作った男、ジョージ・スギモトの生まれ変わりだなんて。

 シャロンでさえつい先ほどまで少し不安だった。だが正解だった上に、彼の前世の記憶の蓋が開いたことは間違いない。予想以上の結果に安堵の気持ちが強く、へなへなと座り込んでしまう。


「シャロン、大丈夫か」

 ジェイクに支えられ皆からも心配そうにのぞき込まれて、シャロンは照れたように笑った。

「ホッとして、腰が抜けました」

 そう言って自分で立ち上がろうとしたが、全身が震えて力が入らない。

「あ、あれ?」

「無理もない、緊張の連続だったんだろう」

 ロイがそう言ってふっと微笑む。その顔はちょっと前までシャロンに見せていたのとはずいぶん違う笑みだ。


「姫、嫌じゃなければジェイクに連れてきてもらいなさい」

 ロイがミネルバが奥の扉を開けたのを示すと、ジェイクはシャロンの答えを聞かずに抱き上げた。

「ありがとう、ジェイク」

「いや。むしろ役得だ」

 ふふんと楽しそうに笑われて、シャロンも笑ってしまう。

「ところでシャロン、この先って」

「うん、救護室ね」

 ジェイクの問いに頷く。

「実はね、昨日準備が整ってないって言われた時に違和感があったの」

 救護室の奥には、もう使われていない特別な部屋があると聞いたことがある。シャロンには一生必要ないものだ、と。


「ミネルバ、念のため聞くが、覚醒の準備をしていたりは――」

 ロイが歩きながら問いかけると、

「昨夜シャロンの命令があった時に始めておきました」

 とミネルバが応える。シャロンの命令に応じることは出来なくても、その先に起こることを予測していたのだ。

「上等」

 ロイが満足そうな顔をしてシャロンに片目を瞑って見せると、一層歩を早めた。


 救護室の扉があき、さらにその奥の扉も開かれる。

 そこには救護室に一つだけあるカプセルを、もっと複雑にしたような療養カプセルが二台置いてあった。その一つをのぞき込むとテオドラが眠っているのが見え、エルザが「姫」と囁く。

 カプセル横の平たい水晶にロイが手のひらを置いて起動させると、たくさんの文字の書かれたボタンが浮き上がる。彼が迷いのない様子で文字を指で押していくと、やがてカプセルの蓋がゆっくり持ち上がり、そこに眠るテオドラが姿を現した。

 その頬はバラ色で、半年前よりもずっと健康そうだ。

 その美しい眠れる王女に、ロイが貪るような視線を向ける。彼が何か呟いたが、多分聞こえたのはシャロンだけだろう。


「さて、このまま口づけをして彼女を起こしたら、私は怒られるかな?」

 シャロンをちらりと見たロイに頷き、ジェイクに下ろしてもらう。

「初対面ですよ? 気持ちはわかりますが私だったら怒ります。お風呂とまでは言いませんが、顔を合わせる前にせめて顔を洗って髪もとかしたいですねぇ」

 女心ですよと言うと、ロイは分かってると言ったように肩をすくめた。

「本当はそんな必要はないんだけど、姫の言うとおりだろうね。私も出会ってすぐに嫌われるのは避けたいところだ。じゃあ少し向こうにいるから、あとは姫に任せるよ」

 そう言うと、ロイはジェイクとゼノンを連れて救護室まで戻っていった。隣にいれば壁の水晶モニターでこちらの様子は見聞きできる。


「さてエルザ様。まもなくテオドラが目覚めますので準備をしましょう」

 シャロンがそう言うと、様はもう止めてくださいと言いながら、エルザはミネルバの腕から次々と道具を受け取っていく。何がなんだか分からないだろうに動じているようには全く見えない。さすが王女付きの侍女だ。


「じゃあ、テオドラの目が覚めるまで少しの時間ですが、昔話をしましょうか」

 テオドラも瞼が微かに動いているのは、意識がゆっくり浮上している印だ。

「どこから話そうかな。十五年前の事件からにしましょうか」


   ◆


 賊に攫われた時、テオドラはもうすぐ四歳、カロンはもうすぐ三歳の誕生日という頃だった。

 「大人だった感覚」の目を通すと、賊たちの残酷さと荒唐無稽な考えに怖気が走る。

 その中でカロンは徐々に感情を失っていくことで自分の身を守っていたが、その様子が賊たちには魔王の覚醒の兆候ではと思われていたらしい。幼いテオドラが懸命に守ってくれたが、すでにカロンの生命の灯が危険な状態だったにもかかわらず、だ。


 ある日、テオドラはカロンを抱きしめてある魔法を施した。

「カロン聞いて。今からあなたを紅蓮の館へ送るわ」

 大好きな姉の言葉は聞こえるものの、さっぱり意味をなさずにカロンは首をかしげる。

「おねえちゃまも、いっしょ?」

「ううん。カロンだけ」

「じゃあやだ」

 必死に姉に縋りつくカロンの背中を撫で、テオドラはカロンの頭に頬を付けた。

「ごめんね。一緒に行きたいけど、今の私ではあなた一人を送るので精一杯なの。館の精霊にはあなたのことが分かるように手配したわ。だから何も心配しなくていい。生きて、カロン。大好きよ」

「おねえちゃま」


 テオドラはそのまま古代の転移装置からカロンだけを送り出した。



 転移とテオドラの施した魔法の影響、そしてカロン自身が幼かったことから、カロンだった記憶は消えた。いや、紅蓮の館に拾われたころには覚えていたかもしれないが、当時三歳になったばかりだ。すぐ新しい環境のほうに馴染んでしまった。


   ◆


「テオドラは私に力を分け与えたことで疲れ切っていたのでしょう……。発見された時彼女が瀕死だったのは……私のせいよ……」

 シャロンの目からボロボロと涙がこぼれる。

「あと少し待っていれば、ゼノン様達に見つけてもらえたのに」

 あの頃そんな未来は見えなかったし、たらればなど意味をなさないが。


「実際テオドラは、魔力と前世の記憶を持っていた。でもそれは、私と二人一緒にいるときにだけ完全体になるものだった。だから賊は、私たちのどちらが求めるものなのか分からなかったのよ。二人で一つなんて思いもしなかったでしょう。私が生まれなければ、テオドラは前世なんて思い出さなかったのに。――その記憶を、魔力を、転移の前に半分私にくれたから、私には大人の感覚があった。記憶はなくても大人の感覚があったから生き延びることが出来た」

 大人の振りや、学んだことをすぐ理解できること。それらにどれほど助けられただろう。

 ただの三歳児が、紅蓮の館の補助を受けたとはいえ生き延びられたのはテオドラのおかげだ。


「――でもね、あなたが元気に帰ってきてくれたから……私は健康を取り戻せたのよ」

「テオドラ!」


 んん……と背伸びをし、ゆっくり起き上がるテオドラに抱き着きたいのを、シャロンは懸命に我慢した。

「私の目が覚めたってことは、あなたは王子様に会えたのね。結婚式を見られなかったのは残念だけど。あら、エルザまで。おはよう」

「お、おはようございます、姫様」

 すっかり健康を取り戻したテオドラの目覚めに、きっと向こうの部屋は衝撃を受けていることだろう。サラリとこぼれる白金の髪、キラキラ楽しそうに輝く青灰色の瞳、ゆったりした薄いワンピースを着ててもわかるメリハリのある柔らかそうな肢体。以前の淑やかな雰囲気に健康さが加わったことで、シャロンでさえ思わず目をぱちくりとさせるほどの美しさだ。


「王子様には会ったけど、結婚はしていないわ」

 一瞬唖然としたあと、エルザと手分けをしてテオドラの髪を梳かしたり温かいタオルで顔や手を拭きながら、シャロンは少し拗ねた声でそう言った。

「ひどいわよ、テオドラ。あれはあなたの為の宴じゃない」

 だがシャロンの訴えに、テオドラはこてんと可愛らしく首をかしげる。

「だって、あなた、王女だったらよかったって言ってたでしょう。だから本当のあなたになって、王子様と出会えたらいいって思ったのよ」

 カロンがいつか理想の王子と出会って恋に落ち、結婚式をあげたらテオドラが目覚める。そういう算段だったのだと彼女が無邪気に笑うので、エルザとシャロンはどっと力が抜けた。

 テオドラの目は、カロンがどんな王子と恋をしたのかと興味津々なのだから。


「だいたいシャロンの好きな方は、あなたの想いにも気づかずに結婚してしまったのでしょう。そんな男のことなんてさっさと忘れたほうがいいのよ。可愛いあなたにはもったいないわ」

「あ、ありがとう、お姉様」

 話した覚えもないのになんでバレてたの。そんなに恋心はバレバレだったのかとギクシャクするシャロンに、テオドラは嬉しそうに笑った。

「やだ、久しぶりに姉と呼んでくれたわね。嬉しいわ。じゃあカロンと呼んでも大丈夫?」

「ええ、もちろん。私はテオドラ姉様と呼びましょうか。それとも、白き魔女ブランシュ? ――いえ、元の発音ですと、ビアンカでしたわね」


 シャロンの発言にエルザが息を飲み、テオドラはころころと笑いだす。

「いやだわ。私の記憶まで掘り起こしてしまったの?」

「というか、それしかないじゃないですか。この館において私より権限が上で、ジョージ様よりも下のマスターなんて」

「あらあらまあまあ――――って、ちょっと待って。あなたの王子様ってジョージの生まれ変わり?」

「私の王子様じゃないですが、ジョージ様を見つけられたから、ここまで来れたのよ。あなたの目的も達成できたと思うわ。私に結婚させた後、あなたはジョージ様を見つけるためにこの館で飛んでいこうとしてたでしょう」

 じとっと恨めしい目になったシャロンに、テオドラは天使のような微笑みを返す。


 拉致によって一人の姫を失ったネイディアの末の王女は現在一人。

 その姫が結婚したら、もう一人は自由な旅に出る。

 そうテオドラは計画した。

「あの事故で、テオドラはこの館のことも全部、思い出したのね」

 シャロンが大怪我をしたのが引き金になったのだ。

「そう。だからカロンの治療もひそかに施して、国全体から私に関する記憶をカロンと入れ替えたわ。私は国での存在感が薄かったから難しくはなかった。あとは貴女が結婚するまでこの療養カプセルで待てば、私は年も取らずに、しかも健康になることもできる」

「すっかり元気になられて嬉しいです」

「ありがとう」


 そう言いながらテオドラがソワソワしだしたので、シャロンはロイにこちらに来るようにと呼びかけた。小走りに入ってきたロイの目はまっすぐにテオドラを見つめている。シャロンのことなどまるで視界に入っていないのは一目瞭然だ。

「テオドラ、彼がジョージ様こと、イズィナ国の第三王子ロイ殿下よ」

「え、じゃあ」

「何度も言うけど、私の王子様じゃないから安心して」

 だいたい既に、お互いしか目に見えてないじゃないか。


 ロイが立ちすくむ前で、テオドラがゆっくり立ち上がる。彼女がそっと手を差し伸べるとロイは大股でテオドラの前に行くと跪き、その手を両手で握ると指先に口づけを落とした。

「先祖返りかい、ビアンカ。姿形が昔のままじゃないか。いや、昔よりも更に綺麗だ」

 むさぼるように見つめるロイの姿に、テオドラは頬を染めながらクスッと笑う。

「あなたはずいぶん可愛らしくなったわね? 今いくつなの?」


 そこにジェイクとゼノンがそっと入ってくるので、シャロンとエルザは再会した恋人たちから離れた。

「ロイを可愛いって?」

 不思議そうに二人を見るジェイクにシャロンは思わず吹き出しかける。

「ジョージ様はブランシュ、いえビアンカ様と結婚したとき、彼はビアンカ様より八歳年上だったのよ。三十二歳の時だったかしら。見た目はそうね。あなたのお義兄様、クロウ様みたいな感じだったわ」

 岩のような体躯に一見冷たく見えるほどの美貌を持ちながらも、ひげの似合う武骨なかの男を思い浮かべたのだろう。ジェイクは納得したように「ああ」と唸った。

「そのあとの前世の時もジョージ様のほうが十歳年上だったから、彼のほうが年下なのは初めてなの」

 天から来た魔女ブランシュ、のちにラゴン領で過ごしたブランシュ。

 転生してきた同じ一人の魔女だ。

 二人は三度目の邂逅なのだと教え、シャロン達はエルザだけを残し、そっと部屋を離れた。


 本当は何度も生まれ変わっている。

 でもそのたびに出会えたとは限らない。ブランシュのひ孫としてジョージが生まれたこともあるし、多くの時には彼に前世の記憶はなかった。気づいていないだけで、ブランシュに記憶がなかった時代もあっただろう。

 そのいくつもの人生の中で、ジョージが他の女性と結ばれるのをブランシュは幾度となく見た。

 それでも彼の幸せな姿を見られればそれでよかった。

 同じ時代に近い年の男女として出会えることも、お互い恋に落ちることも奇跡でしかないのだと知っているからだ。

 二度結ばれた時も、ブランシュは彼を目の前で失った。来世を誓いながら、いつか長い生涯を添い遂げられる平和な日々を待ち焦がれた。


 そんな風にブランシュがジョージを想う心もシャロンの中に、まるで自分の気持ちのように浮かんでしまった。それはシャロンもジェイクに対して同じように思っていたからからすっかり同調してしまい、危うく何度かロイにときめきそうになったことは誰にも内緒だ。もちろんロイが誤ってシャロンを口説いたこともジェイクたちにかたく口止めをする。


「武士の情けよ、ジョージ・ロイ様」


 昔のジョージの口癖が自然と浮かび、シャロンは武士がなんだか分からないながらもクスッと笑った。

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