第21話 お願い

 ジェイクは自分の腕の中にいるシャロンの髪に頬を埋めた。


 腕の中にいる最愛の人は、何よりも愛しくていじらしくて、ジェイクが思い込んでいたよりもずっと繊細で傷つきやすい女性だ。自分はいったい何を見ていたのだろうと思う。こんなにも想われていることに気づきもせずに、何度も何度も傷つけた。


 想像もしなかったほど彼女に愛されていた事実に心が震えた。同時にシャロンが自分以上の地獄を見たこと、それを防げなかったことに歯噛みした。

 十年前、腕の中で最期に彼女が満足げに微笑んだ理由が分かり、再び気が狂いそうな気がした。あの笑顔を見て、初めて自分の気持ちに気づいたのだから。

 後ろにミネルバがいることを忘れていたら、我を忘れて思わず怒鳴りつけていたかもしれない。


 彼女がジェイクの愛から逃げようとしたのは、すべて自分のせいだ。思い返せば思い返すほど、何から何までジェイクのせいでしかなく、あんなにも自信なさげで不安そうなシャロンを二度と見たくないと思う。

 これがほかの男のことなら、「そんな奴やめてぼくにしろ」と言いたいところだが、情けないことに「そんな奴」こそがジェイク自身なのだ。おもてに出さないように気を付けてはいるが、実はけっこう落ち込んでいる。

 死に物狂いで口説いたが、冷静に振り返れば、こんな男をよくも愛してくれたと思う。


 ――絶対大事にしよう。誰よりも何よりも大切にしよう。



 長い抱擁のあと、ふっと力が抜けたシャロンの髪を撫でると、ミネルバが「もう休んだ方がいいでしょう」と言った。

 今から帰っても睡眠時間はかなり少ないが、本音を言えばまだこうしていたかった。だがシャロンが「泊っていったほうがいいかしら?」と呟いたときには、年甲斐もなくドギマギとして挙動が怪しくなり、変なことを言い出さないよう、膝の上でこぶしを握った。


「ミネルバ。救護室のカプセルは今使える?」

「いえ、今は整っておりません」

「‥‥‥そう。残念」

 二人の会話にジェイクが首をかしげると、明日の親善試合のために、短時間で熟睡できる何かを使わせてくれるつもりだったことが分かった。

「燃料的にも管理的にも色々不具合が出てるみたいだから、それもどうにかしないとね」

 そう言って少し息をついたシャロンはジェイクに向き直り、改まった様子で口を開いた。


「ジェイク、あのね」

「うん」

「明日、というかもう今日だけど、親善試合があるでしょう? それに参加するわよね?」

「ああ。それが何かあるのかい?」

 剣技などではない娯楽と言った種目なのでジェイクはあまり重要視していなかったが、シャロンの話を聞いて目をむいた。試合の最優秀選手にはカロン王女が祝福を授けると言うからだ。

「念のために聞くんだけど、王女様からの祝福って何をするんだ?」

 これが故郷なら接吻キスしろとのヤジが飛ぶ場面だ。


「あまり無理ではないことが前提だけど、何か小さな願いを一つ聞く、かな。侍女からは口づけあたりじゃ」

「絶対、ほかの男にしちゃダメだ」


 あまりにも予想通りで瞬間的にダメだと言っていた。

 ジェイクがダメだと言ったところで、祝福を受ける男が美しい女性に望む小さなことなんて限られている。これが王子たちなら即求婚だろうか。ただの遊戯だと思っていたが、見合いだと考えれば当然そうなることにジェイクは歯噛みした。


 これが普通の馬上試合や剣闘会ならすぐ気づいていたはずなのに。

 親睦会や晩さん会でさえ、カロン姫が乗り気でない雰囲気だったことはすでに周知されている。彼女を狙っている男が最後のチャンスを逃すはずがないのだ。くそっ。


「だからね、ジェイクかロイ様に、最優秀選手になってもらいたいの」

「もちろんだ! ……って、なんでそこにロイが出てくるんだ?」

 しかも名字ではなくて名前呼び!

 自分だって、ライクストン様だったのに!

「あ、だって……」

 理由を説明しようとするシャロンに手をあげ、ジェイクは急いでわかっていると頷く。王女の立場では王子であるロイ相手でも対等だから、名字で呼ぶ方がむしろ不自然なのだ。納得いかないこの気持ちはただのヤキモチだ。くそっ、かっこ悪い。


「ぼくが最優秀選手になっても、祝福を受けるのは主であるロイってことだよな?」

 ため息を我慢しながらそう言うと、シャロンは首を振って否定した。

「いえ、そんなことはないわ」

「そうなのか⁈」

 驚くジェイクにシャロンは微笑み、少なくともジェイクであれば王子に祝福を譲ることにはならないだろうと言った。

「この前も言ったけど、ライクストン様はモテるのよ」

「はっ? えっ? シャロン?」

 突然の名字呼びにまたシャロンが消えてしまったのかと思って焦るが、彼女はいたずらっぽく微笑むので冗談だと分かりホッとする。


「カロンの侍女たちには、異国の騎士ライクストン様は人気なの。ロイ様と人気を二分すると言ってもいいくらいだけど、少なくともエルザ‥‥‥カロンの仲良しの侍女の一押しはあなたなのよ」

 面白そうに話すのを見る限り半分は冗談なのだろうが、とりあえず自分が最優秀選手になれば、シャロンの口づけは自分のものだということは理解した。

「じゃあ、どうしてロイの名前も出るんだ?」

 自分だけを応援してほしいのに、なぜそこに、自分よりも地位も見た目も上の男の名前を出す。昼間も彼女がロイに何かささやかれていたことを思い出し、ジェイクは眉を寄せた。ロイのあんなに切なそうな顔は、気のせいだと思いたかったのだが……。


「ロイ様にも用があるから、かな」

「どんな?」

「んー。もう少しはっきりするまで説明は待って。自分でもうまく話せる気がしないから」

「わかった。じゃあ昼間、ロイになんて言われてたの?」

 せめてそれくらいは教えてほしい。

「――自分のほうが先に出会っていたら、何か変わっていたでしょうかって」

「っ!」

「だから、あなたにふさわしいのは私じゃないってお答えしたんだけど」

「そ、そう」


 ジェイクは一瞬噴き出した汗をぬぐい、でもどうしても気になるので「で、変わってたの?」と、つい尋ねてしまう。

「それなんだけど‥‥‥むしろ私は、貴方よりロイ様のほうを先に知っていたと思うのよね」

 シャロンは何か考え込むように中空を見つめる。そのもどかしそうな表情に不安になるが、それでもシャロンはジェイクに愛しているとはっきり言ったのだ。誕生日を無事過ごせたら求婚を受け入れるとさえ!

 チラリとミネルバを横目で見ると、まるで人間のように片方の眉をあげられたので慌てて背筋を伸ばす。あまり器の小さいところを見せてミネルバから師匠に変化でもされたら、間違いなく放り出されると思った。シャロンが戻った今、準備さえ整えばいつだって彼女はどこにでも飛び立てるのだ。


「あいつとは、小さなころに会ったことがあるのかもね」

 可能性の一つを言うと、彼女はさして気にしてない様子で「そうね」と微笑んだ。

「それでね、考えたんだけど。試合の後の晩餐、それからカロンの誕生会には、二人にそばにいてもらいたいの」

 だから最優秀選手になってと懇願され、ジェイクは「――わかった」と頷いた。実際にはよくわからなかったが、シャロンは何かを色々考えているときの顔をしているので、疑問などを口にして邪魔するのは得策ではない。


「そういえば、明後日は本当に君の誕生日なの?」

 それでも一つだけ気になっていたことを尋ねると、シャロンはハッとしたような顔をして頷いた。

「そうみたい。カロンのお墓に生年月日が彫ってあったのを見たから間違いないと思うわ」

「墓?」

「そう。この国の末の王女カロンは、公には死んでるのよ」

 何でもないふうに肩をすくめられジェイクは愕然とした。しかも「私は二度死んでるのね」と笑われ、自分もだと笑い飛ばすべきか、彼女を抱き寄せるか悩み、結局抱きしめた。


「ジェイク?」

「でも君は生きている」

「ん。ジェイクもね」

 当たり前のように抱擁を返され、ほっと息をついた。

 自分の墓を見るなんて、自分の存在自体を丸否定されるような恐怖だろう。そのとき側にいられなかったことを悔やんだ。


「それでね、実はテオドラも誕生日が同じ日なのよ」

 丸一年違いなのと、腕の中でジェイクを見上げてにっこり微笑むシャロンが可愛くて、少し上の空で頷く。

「もう! ちゃんと聞いてる?」

「聞いてる」


 ――ああ、絶対に、誰にも渡すものか。

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