第19話 エゴ

 ハッと息を飲んだジェイクにシャロンは微笑んだ。

「思い出したのか?」

 その答えは明らかな肯定だ。彼は本当に時越えの魔法を使ったのだ。

「――多分、あなたが思っているよりも、もっとたくさん、ね」

 そう、たくさん思い出した。バラバラになっていた本来消えているはずの記憶の破片が、彼の答えでキレイな形になる。


「でも先にあなたの話を聞かせて。何をしたの?」

 ジェイクの結婚式。山が火を噴いたあの日。

 シャロンは彼の命を救ったはずだ。なのになぜまた人生が繰り返されているの?


 そう静かに聞いたシャロンに、ジェイクは一瞬泣きそうな顔をしてあの日の話をした。すでにこと切れたシャロンを抱き、共に十年の時を駆けたと。

「十年!」

 呆然とした。同時に納得もした。どうりで記憶が二重になって混乱したはずだと。

「ミネルバ。どうしてそんな無茶をさせたの? 止めなかったの?」

 時間の設定も何もかもがめちゃくちゃだったのだろう。むしろ十年で済んだのは幸運だったと言える。


「止めましたよ。でも無茶をしたのはあなたも同じでしょう、シャロン」

 悲しそうなミネルバの表情に、ジェイクが驚いたような顔をしたのが目の端に入る。

「シャロンも?」

「……」

 沈黙を守るシャロンを無視し、ミネルバは「シャロンも時を駆けました」と言った。止めても無駄だと悟り、ミネルバの話が聞こえないようシャロンは耳をふさぐ。



 あの日――。

 ジェイクと彼の花嫁の姿は、一服の絵のように美しかった。

 少し遅れて参列したシャロンは、山の神のもとで行われる神聖な結婚式にジェイクの友人として、同時に家族としてそこにいた。とても幸せそうに見えたのだ。なのに最後に見た光景は、ジェイクが毒に侵され事切れる前に投げたナイフが、ブラッドリアンの胸に吸い込まれたことだ。発狂したジェイクの花嫁が何か泣き叫んでいたが、山が火を噴き場は混乱を極めた。

 解毒も何もかも間に合わず、ジェイクを埋葬したあとしばらく何も考えられなかったシャロンは、やがて時を超えることを決めた。記憶を保てることを考えればそんなに過去には行けない。だから結婚式の直前に戻れればいい。せめてあと五分早く駆けつけられるよう。


 二度目の結婚式では、ジェイクが毒を飲むのを阻止できた。

 愚かにも前回彼の花嫁の叫びを花婿の死による錯乱だと思っていたシャロンは、次の対応に遅れた。ジェイクの妻になるはずだった女性が、彼の心臓にナイフを深々と突き立てたのだ。恐ろしいほど正確に、花嫁はジェイクの命を奪い去った。


 もう一度時を超えることにためらいはなかった。

 そして三度目、やっと毒もナイフも阻止できた。

 スローモーションのように、ロイが花嫁とブラッドリアンの首をはねるのが見える。

 ――やっと彼を救えた。


 そのことを、昼間ロイと話していたときにはっきりと思い出した。

 彼はジェイクの恩人だった。



「私の願いはたった一つだった。あなたに生きていてほしい。誰よりも幸せになってほしい。それだけなの」

 ミネルバの話に呆然としているジェイクに、シャロンはやっとそれだけ告げる。

 知られたくなかった。こんなにも醜いエゴを、ジェイクにだけは知られたくなかった。


 ジェイクにとって二度目の人生は数々の悲劇が回避されていた。

 シャロンは何も覚えていなかったけれど、彼の結婚が決まったらしいと知ったとき、それが前とは違う女性だということを無意識に分かっていたのだと思う。


「ぼくが、他の人と結婚してもよかった?」

 傷ついたように言われても、シャロンとしては頷くしかない。あの宴の日、ジェイクが長い口づけを交わしていた女の子が王女だということはすぐに分かった。彼の幸せを喜ぼう、そう思った。王女と結婚すれば、爵位をもらってどこかの領主になることは確実だからだ。


 私も王女だったらよかったな。

 冗談めかしてそうテオドラに言ったのはシャロンだ。多分寂しかった。認めたくはなかったけど苦しかった。何年も会ってないのに、もっともっとジェイクが遠くなった気がした。


 彼は家族同然だから。そう言い訳して、何年も一方的に、未練がましく送る手紙もやめることができなかった。世界中にある「ムシ」を使って集める情報の中にジェイクの姿を探した。会いたかった。

 なぜか次期領主の道を義兄に譲った彼がその手腕を存分に発揮できるよう、いつか陰から手伝えたらと夢見ていた。ジェイクの前に姿を見せることは絶対にしないと決めていたけれど、この結婚でそれももう必要ないことになったと認めるしかなかった。


「なぜ」

 ジェイクの掠れた声にシャロンは目をそらす。

「だって、私はあなたに嫌われたでしょう」

 めでたい日だったのに、あれほどまでに彼を怒らせてしまった自分を許せない。震えながら謝罪と別れの手紙を書いたことを、今でもはっきり覚えてる。悲しかった。泣き叫びたかった。でもそれ以上に、そんな自分にうんざりしていた。だからあの半年前の事故で自分が役に立ったなら、自分が生きた理由があったと思えたから、これで終わりでよかったって思っていたのに……!


「なのにテオドラは? いったい彼女はどこに消えたの?」

 なぜ自分が彼女がいるべき場所にいるのか分からない。まるで夢のように消えてしまったテオドラ。

 自分が生きている限り、大切な人を失い続ける! もう嫌だ。もう嫌だ!

 私は死んだはずなのに。

 ジェイクを救って満足だったのに。

 どうしてまだここにいるの。私のせいでテオドラが消えてしまった。

 それがシャロンには、未来が不自然に変えられたからだとしか思えなかった。


「ミネルバ。マスターとして命じます。テオドラの居場所を探して」

 突然口調の変わったシャロンに、しかしミネルバは「それは不可能です」と答えた。

「なぜ? マスターとして命じると言ったのよ。お願いではないわ」

「ですが不可能です」

「では質問を変えます。テオドラは生きている?」

「…………適した解答がありません」

 淡々とした答えに、シャロンはため息をつく。

「わかった。困らせてごめんなさい」

「シャロン、今のはいったい」


 突然変わったシャロンの口調。淡々と感情のない声で回答するミネルバ。それは今まで一度もジェイクが見たことがないものだっただろう。

 シャロンは髪をかきあげ、大きく息をついた。

「この館のマスターとしての権限を使おうと思ったの。でも私の順位は三位以下だから」

「三位以下?」

「そう。命令の権限には順序があるわ。騎士もそうでしょう?」

 一位はこの館を作った白き魔女の夫。二位は白き魔女ブランシュ。三位は彼女らの子孫、あるいはミネルバに認められたこの館の住人だ。王家の人間に紅蓮の館のことが伝わっていないことを考えれば、この国にその権限を超える何者かがいる可能性は捨てきれない。

 事実ミネルバの答えから、シャロンよりも上位の命令が既にされている可能性があることがわかった。もしくは考えたくないが、精霊の力が想像以上に弱っているか……。

 だがミネルバは、それについては優しい笑みを浮かべるだけで何も答えてはくれない。テオドラに関するヒントが何もない。シャロンの頭の中の一部に霧がかかっていて、そこが大切な気がするのにどうしても見えない。


 唇を噛みしめるシャロンの肩をジェイクが軽く掴んだ。

「テオドラのことは一緒に探そう」

 ジェイクが跪き、俯いたシャロンの目を覗き込む。

「きっと彼女も、シャロンが傷つくことは望んでない」

「どうしてそう思うの?」

 会ったこともないのに。

「君のお姉さんだろ? こんなに自分を慕っている妹を苦しめたいなんて、君なら思うかい?」

 シャロンはぷるぷると首を振る。

 ジェイクは微笑んでシャロンの隣に座り直した。

「ぼくは、君と二人なら何でも乗り越えられると思うんだよ」

 そう言ってシャロンの頬を両手でそっと包む。これ以上ジェイクの話から目を逸らすことを許さないとでも言うように。


「君が信じてくれるまで何度でも言うよ。ぼくは君を愛してる」

「カロンは……可愛い女の子よね」

 シャロンはうっすらと微笑む。あの朝はおとぎ話のような時間だった。今が同じ日の夜だとは思えないほどに。

 でもあれは、なりたかった理想の私。本当の私じゃない。

「うん、カロンも可愛かった。でもぼくが愛してるのはシャロン、君だ。どちらの君も大好きだ」

 真剣に訴えるジェイクの言葉はしかし、シャロンの心を覆うかたい殻に弾かれた――。

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