第14話 その日が来る前に

 月明かりの中、ジェイクは今朝早くカロンに連れて行ってもらった四阿へと向かった。今朝の出来事はすべて偶然だが、ちょうど紅蓮の館が見下ろせるこの場所は、人目につかないいい場所でもあった。

 今夜の王宮内は晩餐と軽業師の見世物などでにぎわっているが、カロン王女は体調不良ということで姿を見せていない。おそらく昼間外に出るために、そういうことにしていたのだろうと思うと、ジェイクの頬が少し緩む。

 心が狭いと思われようが、彼女を見て鼻を伸ばす野郎の姿など目にして面白いはずもないのだ。


 今日は久々に味わう幸福な時間だった。

 苦しいくらい胸がざわめくと同時に、穏やかで温かな気持ちで満たされた。

 今朝待ち合わせた場所まで送り届け、彼女と別れた瞬間から、もう会いたくてたまらない。


 周りに人影がないことを確認し、柵代わりの植え込みを乗り越えて急な崖を降りていく。通常であれば不可能に近いが、今はミネルバが作った見えない道があるおかげで、十分も走らないうちに館にたどり着いた。四年ぶりに触れる扉に少しだけ緊張する。


 いつも明るかった室内は仄かな明かりに照らされ、また違う場所、違う時に来たような錯覚を覚える。

 「ミネルバ」と呼んでみると、男性体のミネルバがその姿を現した。師匠の姿なので、ジェイクは丁寧に礼をする。同じ個体でも女性体の時とは違い、少し緊張感があるのが不思議だ。

「ジェイク、何かわかったことは?」

 時々姿がぶれながら、いつもよりザラッとした声でミネルバが言った。王宮を含む、この辺り一帯に張り巡らされた結界の影響はゼロではないようだ。そのせいで昨日はまったく連絡が取れなかったので気になっていたことだろう。


「シャロンは師匠の言った通り王女になってました。本当に記憶はないみたいだ」

 そして今日の出来事を話す。今朝偶然会えたこと。一緒に市に出かけたこと。だが、うっかり告白をしてしまったことは黙っていた。幸か不幸か、彼女に通じていないことは確かだから問題ないだろう。


 ――あの笑顔は本当に、もう、そこらの野盗の刃なんかより、よっぽど殺傷能力が高いだろう?


 思い出すだけで心臓が止まりそうな思いがするし、顔が熱くなる。

 世辞だと分かっていても、『ドキドキする』などと満面の笑みで言われたため、本気で死ぬかと思ったのだ。いつからこんな初心うぶになったんだと自分に呆れる。

 それは彼女に記憶がないからだと分かっているし、本気でもないだろう。

 それでも悶えるほどの歓喜が溢れる。


 市場から部屋に戻り、ロイたちから訳知り顔でニヤリと笑われた時は無表情でやり過ごしたが、まるで乙女にでもなったような気持ちだ。今のジェイクは十八歳でも中身は二十八歳だし、前世でもそれなりの経験も積んでたはずなのに情けない。


「王子の協力で散策にかこつけて手分けして調べてみましたけど、時期も時期だからか、結界は強いですね」

 国内外から人が王都に集まっているのだ。防犯のための警備も強化されているようだが、見えない壁も厚い。今は渡り鳥さえ入ってくることはできないだろう。それが彼女を守るためなら申し分ないはずだ。


「……あの子は、お前といても何も思い出さなかったのか」

「そうですね」

 少しだけ不思議そうなミネルバにジェイクは苦笑を漏らす。

 本当は少しだけ期待していた。自分を見て、名前を呼んで、この腕の中に飛び込んできてくれる彼女を夢見なかったと言ったら嘘になる。だが今日の調査で、事態は思ったよりも複雑かもしれないとジェイクは胸の奥が重くなった。



 ミネルバの話によれば、この国の末の姫とされていた王女の名前はテオドラだった。四年前、シャロンと友人になった病弱な姫君だ。

 シャロンとテオドラは瓜二つだった。そして二人は同時に、古代の魔女と面差しがそっくりだった。古代の魔女の名はブランシュ。別の名を白き魔女。

 天からやってきた魔女の一人であった彼女は、魔女の多かったこの国で伴侶と共に暮らしていた。時の権力者が起こした戦に巻き込まれ最愛の夫を亡くした彼女は、後にラゴン領を救った白き魔女と同一人物であることをミネルバに確認済みだ。


「テオドラ姫は、そんなにシャロンと似てたのですか」

 ミネルバの「手」が出してくれた茶を飲みながら聞くと、目の前に立体の映像が浮かんだ。それはシャロンと、シャロンを淑やかにしたような儚げな少女。髪の色はシャロンが子どもの時のような白金だが、二人並ぶとよく知らない人間なら区別がつかないのではと思うほど似ている。

「一緒に育っていたら、二人は姉妹というよりも双子のようだったでしょうね……」


 テオドラはシャロンより一つ年上で、彼女の実の姉だった。シャロンは本当に王女だったのだ。だがテオドラとシャロンは幼少の頃、二人一緒に賊に攫われたのだという。

 捜索は二ヶ月かかったそうだが、見つかったのはテオドラだけだった。傷つき衰弱した姫を見た近衛兵は、すでにシャロンの生存は絶望的だと判断した。それも無理はないだろう。犯人が途中で目を離したすきにいなくなったという幼い姫が、一人で生き延びられたとは考えられないからだ。

 テオドラはその時のケガと衰弱が原因で健康を損ね、以来、王宮の奥でひっそりと育てられた。


 一方シャロンは、森で一人彷徨っていたところをミネルバに助けられ、大切に育てられた。

「テオドラが見つかったという場所とは随分離れていたから、賊は転移を使えたのかもしれないな」

 そこから偶然落ちたのか、姉が妹を助けようとしたのか。今となっては分からない。幼かったシャロンは何も覚えていなかったからだ。名前は辛うじて聞き取った音から「シャロン」と名付けられた。幼かった彼女は、きちんとカロンと発音できなかったのだろう。



 四年前、ジェイクと別れたシャロンがテオドラに会えたのは偶然だった。気ままに散策していたシャロンを、テオドラだと勘違いした侍女が慌てて城に連れ帰ったのが始まりだという。

 シャロンとテオドラはすぐに仲良くなり、テオドラの健康状態も回復してきたように見えた。シャロンは恩人として王族から大切にもてなされたが、攫われた姫だとは気づかれなかったという。実際二人が姉妹だとわかったのも、ミネルバが勝手に調べたことだ。血縁関係を示す図式を見せたところで、ただの人には理解できない。それもあり、その事実をシャロンは誰にも打ち明けなかった。

 だが半年前、王太子妃と子の事故でシャロンは大怪我を負い、テオドラはその時の傷が元で亡くなった。


「シャロンがカロン姫と呼ばれていたのは、誰かが末の姫だと気づいたということでしょうか」

 事故から何日たってもシャロンは紅蓮の館に戻らず、連絡も途絶えた。

 悲しむ家族を慰めるために、しばらくシャロンが王宮に留まることも予想できた。だが何も言ってこないのは彼女らしくない。心配ではあったが、ミネルバには何もできない。


 どうしたものかと様子を見ていると、あっという間に王都に強い結界が張られた。紅蓮の館も縛られ、動くことが出来なくなった。

 腕を伸ばし古代の魔法のかけらを集め思念をつなぎ、王宮の中を探った。

 雑音が混ざっているものの、音だけがいくつか拾える。その結果、シャロンの記憶が縛られたらしいことが分かった。

 テオドラの代わりにするためか、それとも単純に紅蓮の館の記憶を無くし、女官の一人としておくためかまではつかめない。そこで長い時間をかけてジェイクに助けを求めたのだ。


「テオドラの代わりではないとなると、テオドラのことはどうなったのかも気になるな」

 ジェイクたちが調べた限り、テオドラ姫の記憶は国中から消えている。もともと存在感の薄い姫だったらしいが、王宮の中でも元々いなかったかのような扱いに違和感があった。病弱な姫の健康が回復した。それは末の姫がテオドラからカロンにそのまま変わったからだろう。

 それでもカロン姫自身が大切にされているのは間違いない。

「誰がこんなことをしたのでしょうね」

 誰が望んでこんなに大きな術を施したのか。

 そこでふと、ジェイクは以前から気になっていたことをミネルバに尋ねてみた。


「師匠は、最初の三日後のことを覚えていますか?」

 そのものズバリだが、普通に聞けば意味不明な言葉だ。だがミネルバは「おまえが時をさかのぼった時のことか?」と、こともなげに言った。やはり知っているし覚えているのだ。

「あの時は、本当に申し訳ないことをしました」

 やっと謝罪できたことに、少しだけ心の重荷が軽くなる。

 十年前、ちょうど三日後がジェイクの結婚式だった。毒を盛られそうになり、山が火を噴き、妻となるはずだった女性に刃を向けられた。その刃は、ジェイクをかばったシャロンの胸に深々と刺さったのだ。

 その恐ろしい記憶が鮮明に蘇ったのは、この国に来る少し前のことだった。


 美しい女だったはずだ。もう顔も名前も覚えていない。

 女は姉の夫ブラッドリアンに懸想していた。そしてあの男の愛人だった。

 女は理不尽に姉を恨み、ジェイクを憎んだ。

 ブラッドリアンは女を使い、二人を消せばラゴン領の領主は自分に、女はその夫人になるとそそのかした。だが毒は、シャロンのおかげでジェイクもシアも飲まずに済んだ。

 そのとき婚儀の礼が行われた山が揺れ、火を噴いた。

 それに気を取られ、目を離した一瞬の間にすべてが終わっていた。


 ブラッドリアンと女の首をはねたのはロイだったか……。

 その記憶が戻ってからしばらくは、頭を抱えながら震えが止まらなくなっていた。


 あの日ジェイクの腕の中で最後に微笑んで息絶えたシャロンを抱き上げ、領民に避難を命じた後は一目散に紅蓮の館へと向かった。時間を巻き戻すことは禁忌だというミネルバを無視し、ジェイクは半狂乱で魔法の書を呼び出し、無我夢中で時を超えた。時越えは不安定で未完成の魔法だ。それを未熟な自分が発動する。失敗して死んでも構わなかった。


「私が何かを忘れることなどないよ。すべて記録されている。すべて、な」

 一瞬ミネルバは、女性体の時のような優しい目でジェイクを見る。それはどこまでも人間臭い表情で、精霊だということを忘れてしまいそうだ。

 時を超えると、自然に逆らった人の体は不安定になる。普通はすべての記憶が消える。それを完全ではなくともジェイクが保てたのは、偶然だろうとミネルバは言った。未来が変わっていることで、ジェイクに未来の記憶があることには気づいていたようだ。

「じゃあ四年前の出発は少し待ってほしかったですよ。ぼくが遠話石を受け取ってないことは知ってたでしょう」

 つい子どもっぽくぼやくと、ミネルバは「さあ、どうだったかな」ととぼけるので笑うしかない。やはり彼は人間臭い。


「二周目の人生のおかげでシャロンは家族と再会できた。だがあの子は、自分より誰かのことを大切にしすぎるきらいがある」

 それはよく知っているのでジェイクとしては何も言えない。自分を大事にする子なら、あんな事にはならなかったはずだからだ。

「……シャロンは、ぼくを忘れたままなのでしょうか」

 前世のことか、現世のことかは聞かなかった。

「覚えていないことは重要か?」

「いえ。彼女が生きていてくれれば――生きて幸せになってくれるならば、それでいいです」

 彼女が王女でも構わない。

 他国の、しかも一介の騎士でしかない自分では手の届かない存在。今は戯れのような小さな恋はできるかもしれないが、それだけだ。それでも彼女が幸せに生きていてほしいと、心から願っている。それは本心だ。


 本当は狂おしいほど彼女がほしいけれど。どうすれば側にいられるか、それしか考えられないけれど。だが側にいることが叶っても、そこで彼女が誰かのものになるのを見るのも辛いなどと、女々しいことも考えてしまうのが情けなかった。

 本当は好きになってほしい。だから気が付けば、彼女は自分のものだと周りをけん制してしまう。それが傲慢なことだと理解はしている。

 今朝までは、万に一つも叶う可能性を信じていた。だが今は、この特別な時期だけに許された戯れだと分かり、それでもあきらめきれなくて足掻いている。


 彼女が演じたように侍女ならよかった。

 せめてテオドラの代わりをしているなら手も打てた。

 でもカロンだった。王宮ではカロン姫として認識されていたし、王都でもそうだということが調査で分かった。


「他国の王女じゃ……無理ですよね……。この国で彼女に見合う立場になる方法があるか、探したほうがよさそうだ……」

 今の自分はあくまで婿候補の護衛。今の立場では何か功績を立てるしか方法はないだろう。それとも彼女は、身分に関係なく伴侶を選べる立場なのだろうか。


「シャロンに戻ってほしいか?」

「あなたは?」

 二人の男は顔を見合わせて薄く笑う。

 答えなど決まっている。紅蓮の館にはシャロンが必要で、ジェイクにも必要だ。

「ぼくは元々、十八になったらシャロンを追いかける気でいたんですよ」

「そうか……」

 だが最も重要なのは彼女の幸せなのだ。


「あと三日」

 前世で彼女を失った日まであと三日。

 宴が終わるまでもあと三日。


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