第12話 小さな冒険のはじまり

 ジェイクは待ち合わせの場所で大きく深呼吸をした。手が小刻みに震えている気がしてギュッと拳を握りしめる。

「くそっ、落ち着け」

 自分に対して小さく悪態をつき周囲を見回した。シャロン、いや、ブランシュはまだ来ていない。



 昨夜カロン王女を目にした時、ジェイクは息をするのも忘れた。元々美しいと思っていたが、大人になり、王女として飾り立てられた彼女は光輝かんばかりの美しさで、貪るように見つめてしまいそうになるのを必死に我慢した。

 ――やっぱり好きだ。

 四年ぶりだからといって忘れられるものか。

 だが彼女がジェイクを、いやそれ以前に、彼女がシャロンだったことを完全に忘れていることは確かのようだ。

 それでも好きだと思った。姿を見てしまったら、やっぱりどうしようもないくらい好きだと再確認してしまった。

 どこかで元気で笑っていてくれるだけでいいなんて嘘だ。姉や妹になんて見えない。側にいたいし、いてほしい。その目に映りたいし、息もできないくらいこの腕の中に抱きしめたい。


 宴の席でロイ――いや、第三王子に「彼女はいるか?」と尋ねられ、王女がそうだと答えた。シャロンを見て鼻の下を伸ばしていたのには少し(いや、かなり)ムカついたが、それは王子だけではない。あれだけ綺麗なのだ、男なら当然の反応だ。それでもやはりムカつく。

 この国のドレスはそれでなくても肌の露出が多いことに驚いたのに、彼女が歩くたびにちらちら見える白い足や、ゆったりしたボディスの裾からのぞくほっそりした腹に体中の血が上り、この場にいる全員の目をつぶしたくなった。

 無意識に「彼女はぼくのものだ」とけん制してしまったが、仕方がないことだろう。




 男性体のミネルバが現れたあの夜、偶然コンラッドに見られてしまった。

 ミネルバによれば、シャロンが帰ってこないこと、どうやらネイディアの王宮に捕らわれているらしいことを聞き驚いた。王宮の内外に大きな結界が張られたうえ、その影響で紅蓮の館の燃料の調達ができず動くこともできない。ありとあらゆる線をたどり、ようやくミネルバの思念体だけはジェイクのところにたどり着いたとのことだった。

「それでシャロンは無事なのか?」

 恐怖で青ざめるジェイクの代わりにコンラッドが尋ねる。

「ああ。だがおそらく記憶を縛られ、女官だと思わされているか、もしくは王女にされている可能性がある」

「どうしてそんな……」

 そこで語られた事情は驚くことばかりだったが、今は彼女の側に駆けつけたかった。宴に招待されていたのは偶然だろうか。王女の婿を探しているらしいという話にミネルバは、「では、その王女がシャロンの可能性が高いな」と言った。

「彼女がそのまま幸せであるならそれでもいい。だが、何も分からない状態なのは耐えられない」

 と、精霊は人間のような仕草でジェイクにそう訴えた。


「ジェイク、護衛の仕事を受けろ」

「はい」

 もしミネルバが来なければ、悩んだ末にネイディア行きを断ったかもしれない。そう考えるとぞっとする。まかり間違ってシャロンがロイを気に入って……なんてことを考えただけでも血が沸騰しそうだ。ロイはいい奴だ。だがダメだ。渡せない。


 コンラッドと共に、第三王子であるロイにも友人として事情を話した。ロイは子どものころから知っているジェイクの恋する相手にも興味津々だったため、いたずらっぽい顔で協力を約束してくれた。

「ジェイクの女神がどんな女の子なのか興味あったんだよね。その彼女のために、領主の座も叔母上との結婚も蹴ったんだろ」

 内緒にしていたことをズバリ指摘され、ジェイクは一瞬言葉に詰まる。

「っ、うるさいぞ、ロイ。その口を縫われたくなければ黙れ」

「おお怖っ。でもそうかぁ。王女様かもしれないのか。少し楽しみだったんだけどな」

 ふざけて嘆いて見せる友人の顔を見て、ジェイクは盛大に顔をしかめた。決闘をすれば負けない自信はあるが、地位や顔は負ける。何も覚えていないまっさらな状態のシャロンが、この男に恋をしないという保証はどこにもないのだ。


「もし、彼女がお前を選んだなら、ちゃんと祝福してやるから安心しろ」

 歯を食いしばってそう言うと、ロイはからからと笑った。

「そんな呪い殺しそうな声で祝福とか言われて信用できるかよ。ま、ちゃんと応援してやるから安心しろって」

「面白がるな」

「いいや、面白いね。楽しみだよ」




 そして昨夜。時をさかのぼってから二度目の出会い。

 今度も彼女は何も覚えていないが、ジェイクのほうは覚えている。今度は記憶は消えないのだから。

 気が高ぶってほとんど眠ることが出来ず、夜明け前にフラフラしていた時、女官の振りをしたシャロンに偶然会えた。

 自然とつながれた手や、変わらない目の輝き。

 彼女に髪を編まれている間は、うるさい心臓の音がバレるんじゃないかと気が気じゃなかったし、森の中にある紅蓮の館の姿を見ながら、彼女が思い出すことを期待した。

 自然と隣に立ち、微笑み合い……。その唇に触れたい衝動を懸命にこらえた。


 どうやって近づけばいい。もう二度と離れたくない。

 どうすれば手に入れられるのだろう。どうすればぼくを好きになる?

 全く知らない男として彼女の心を手に入れるにはどうしたらいい。

 刻一刻と強くなる想いに身がよじれそうだ。


 もう失敗はできない。これはきっと最後の機会だ。気を引き締めなければ。



「ライクストン様、お待たせしてすみません」

 名前を呼ばれ振り向くとシャロンが立っていた。すっぽり全身を包むストンとしたワンピースを着た彼女は、ベールで髪を隠し、この国の独身女性らしく鼻と口も小さなベールで隠している。だがキラキラ輝く青灰色の目は、楽しそうにジェイクを見ているので、心臓がまたうるさく騒ぎだした。

「いや、ぼくも今来たところだよ、ブランシュ。じゃあ行こうか」

 無意識に手を差し出してしまい、ここは何もしないか肘を出したほうがよかったのかと焦ったが、シャロンは自然にジェイクの手を握ってにっこり笑った。


 ――まずい、めちゃくちゃ可愛い。


 彼女に熱くなった頬を見られないようさりげなく顔を背け、それでも少しだけ強く小さな手を握り返す。暴れだす心臓が早く落ち着かないと、市場を見る前に倒れてしまいそうだと情けない気持ちになった。


   ◆


 カロンはウキウキしながら賑やかな市場を見渡した。

 色々な国から商人が来ているという話だったが、想像以上に多種多様な品があふれていて目にも楽しい。

「すごいですね!」

 無意識に隣に立つジェイクの腕にきゅっと抱き着いてしまったことに気付いて慌てて離れるが、はぐれると困るからと引き寄せられてしまった。

「ここではぐれたら、ぼくはきみを見つけられる自信がないよ」

「そ、そうですね。はぐれたら困りますものね」

 そう、これはしかたがないこと。こんな見たこともない規模の人ごみではぐれたら困るのだ。この異国の騎士の隣にいるのはドキドキするのに妙な安心感があり、ちょっぴり変な気分で、つい笑みがこぼれてしまう。

 実際手をつないでからは、ずっと頬が緩みっぱなしだ。信じられないくらい嬉しくて楽しくてふわふわしてて、なのにほんの少しだけ泣きたくなる。自分の心がよく分からない状態だった。

 ――こんなにドキドキするのは、エルザが変なことを言ったせいだわ。

 



 カロンが王宮を抜け出すのにも、一人で長い時間留守にするのは無理があった。でも絶対に出かけたかったので、悩んだ末、仲のいい侍女エルザの手を借りることにしたのだ。

 正直に早朝の出来事を打ち明けるとエルザは口を押え、「まああ」と目を輝かせた。

「姫様が外に行きたいと仰るなんて」

 そう言って浮かぶ涙をぬぐい、次にきりっとした表情に切り替わる。

「お任せください。姫様は今日は少し熱っぽいということにしましょう。お昼は誰にも邪魔されずゆっくりお眠りいただきます」

 つまり、誰も部屋に入れないということだ。

「大丈夫かしら」

 不安になってそう言うと、エルザはにっこり笑う。

「私が大丈夫にしますよ。姫様の初めての逢引デートですもの。少しくらい羽目を外すくらいしたほうがいいんです」

「デートだなんて……そんなんじゃないけど」

 ごにょごにょとカロンが否定するものの、

「とうとう姫様にも恋の季節が!」

 と目を輝かせるエルザの耳には届かないらしい。何やら念願のとか、着飾らせた甲斐が、などと意味不明なこともブツブツ言っているが、テキパキと外出の支度を整えてくれるのでカロンとしても何も言えなくなる。どうやら相手が王子の誰かではなく、夕べ密かに評価の高かった、ジェイク・ライクストンという一騎士だというのが、彼女の憧れを刺激しているようだ。最近何か流行りの恋愛小説でも読んだのだろうか。


 ――まあ、私も彼以外は顔もロクに覚えていないんだけど……。


 ジェイク以上の美丈夫はたくさんいた。彼が仕えている王子はその最たる人だったはずだ。でも顔は全く覚えていない。ジェイクと目が合ってから、多分周囲の人はぼんやりした影のようなものだったからだ。

 耳の奥で、まるで君はぼくのものだと言われ続けているような錯覚に、気を抜くと頬が熱くなってしまう。


 彼は、私に魔法をかけたの?


 この国で使われる魔法とはちがう、おとぎ話に出てくるような魔法を。


「ライクストン様、あそこで服が買えるようですわ。見に行ってみましょう」

 くいっと手を引っ張るカロンに向けられるジェイクの眼差しに、再び胸の奥が大きく脈打つ。

「そうだな。そこで服を見たら、次は奥の屋台の焼き菓子を食べに行こうか」

 彼の提案に、ずっと気になっていた甘い香りの正体に気づく。と同時に、こんなに大きな男性が甘いものを食べようと誘ってきたことに心がくすぐったくなり、カロンは大きく笑った。

「はい!」

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