第9話 四年間

 ぽっかりと胸に穴が開いたまま、ジェイクは騎士になるべく勤しみ続けた。


 あの夜降った雪は近年まれに見る大雪になり、雪かきをしたり屋根が壊れそうだと言う領民の手助けにと駆け回った。自分を罰するように働き続ける姿は、周囲の人間には大人になった自覚を持つ頼もしい若者に見えたようだ。

 王女と正騎士は予定より長く滞在した。だが感情をなくしたように働くジェイクは最低限礼儀正しく接しはするが、ほぼ彼らと顔を合わせることがないよう主に外で働いていた。


 夜くたくたになって泥のように眠り、大領地へ旅立つ日が来る頃。ジェイクはようやく気持ちを少しだけ切り替え、自分のすべきことを考えるようになった。

 あの小悪党がいない今、自分が暗殺されかける未来はもう来ない。

 今は四年後に山が火を噴くのに備え、領民を守ることに尽力すべきだと改めて考えた。


  紅蓮の館で得た知識から、眠っている山が再び火を噴く可能性を父である領主と義兄に訴える。それを止める手立てはない。

 過去の噴火の資料を見た限り、四年後の噴火の規模はさほど大きいものとは言えなかったようだ。

 だがあの日はジェイクの婚姻の儀式を山の神の元で開いていたため、同行していた領民への被害が大きくなった。

 収穫の時期が終わったばかりで、気持ちのいい天気の日だ。


 歴史が万が一にもズレることを考えれば、あの噴火の日前後は決して山に入らないようにすべきだ。狩りに適している時期だが、その間は禁止せざるを得ないだろう。あの頃獲物が一時多かったのは、危険を予知した動物が逃げていたからなのかもしれない。


 クロウが次期領主になることで、大領主との意思の疎通が滑らかになるはずだ。

 噴石が飛ぶ当たりの領民に別の土地を用意すること、一時的な避難場所を確保する準備を話し合った。父も義兄も真剣に考えてくれたのは、紅蓮の館と白き魔女の影響だろう。

 それだけでも、ジェイクが時をさかのぼった甲斐があるというものだ。


 

 大領地で騎士見習いとして働くようになり、一層鍛錬にも勉学にも励んだ。周りが望むなら惜しみなく知識を分け与えた。

 すっかり口数が少なくなったが、周りの人間はほぼ知らないものばかりだったためジェイクの変化に気づいたものはいない。年の割に寡黙で勤勉な男――それが彼への評価だった。


 春が近づいたころ、姉から手紙が届いた。

 シャロンから届いたジェイク宛ての手紙を送ってくれたのだ。

 鳥に運ばせるためか、透けそうなほど薄く小さな紙だった。そこには小さな文字でびっしりと、当初の予定を変えて海を越えた国にいる旨が書かれていた。初めて訪れるそこは冬がなく、色鮮やかな色彩の国だと言う。

「シャロン……」

 

 情けないことだが、彼女に呆れられ見捨てられたわけじゃなかったと、年甲斐もなく鼻の奥がツンと痛んだ。ジェイクの体を気遣う言葉に、知らず笑みが浮かぶ。

 少なくともシャロンは今もジェイクを気にかけ、友人として想っていてくれている。

 だが懸念していた通り、彼女の旅は前世とは違うもののようだ。

 こちらから連絡する術はなかったが、いつか訪れるかもしれない時のために、ジェイクも彼女への返事を小さな紙片に認めた。


「君の声が聞きたいよ」

 前世では遠話石を使うと彼女の声が耳元で聞こえ、すぐそばに感じられた。彼女と話せることがあまりにも当たり前だった。でも今はそれができないから、デュランにだけ自分が書いた手紙を読んで聞かせるようになった。彼女に語り掛けるように。

 彼女を守りたかった。

 だがそばにいてほしいのはジェイクのほうで、それはただのわがままだ。




 大領地での見習い期間は二年足らずで済み、大領主と騎士団長の推薦で王都に行くことになったのは十六歳の時だ。前より二年も早く正騎士に任命された。

 前世ではジェイクのために、シャロンが助けに駆けつけてきてくれた年だ。だがことが大きくなる前に芽をつんでおいたので、大事にはいたらなかった。

 その功績と評価は大きかった。シャロンのまねごとをしただけなのに、だ。


「なあデュラン。もしあの時と同じことが起こったら、彼女に会えただろうか」

 デュランの毛を撫でながら独り言つ。

 だがそれはあり得ないことだ。わかっていながら流行り病を広がらせることなどできなかったし、もし前と同じことを繰り返しても、彼女は来ないだろう。


 シャロンのしたことをまねるために、ジェイクが使える数少ない魔法の力で知識を呼び出した。

 魔法には材料が必要で、万能ではない。

 ジェイクが持っているのは紅蓮の館にあった本の一部だ。

 呼び出せば水晶の板のような本が目の前に現れる。そこに現れる文字は難解で、学者でもスラスラ読めないらしい。

 魔法を過信されても困るため、ジェイクは人前では決して本は出さなかった。

 それはあくまで「英知をもたらす」ものなのだ。



 十七歳になると、王の末妹である王女殿下専属騎士の話も来たが、固く断った。本当は王に、ジェイクを王女の婿に迎えようという思惑があったらしいことは知っている。だがごめんだ。


 受け継ぐ領地がない今のジェイクが王女と結婚をすれば、ラゴン領よりも大きな土地を与えられるだろう。家族はきっと喜ぶ。

 王女は年上だが美しい女性だし、少々お転婆でわがままなところもあるが心根はやさしい。だがこの国のごく平均的な高貴な女性ではある王女は、視野の広さも知識も会話の楽しさも、シャロンの足下には到底及ばない。シャロンが特別過ぎるのだ。

 ジェイクは、可愛いだけの女では満足できない贅沢ものになっていたらしい。


「ぼくは妻をめとる気はないのですよ」

 王の話を蹴ったことを呆れる同僚にジェイクはそう言った。

 今となれば、後継ぎがいらない立場であることは幸いだ。今年山が火を噴く。事前の準備でやれるだけのことは全てやった。白き魔女を信頼している領民たちなら心配いらないだろう。


 王都にいる間、コンラッドには可愛がられた。

 前王弟の甥にあたり、ちょうど十歳年上の彼は面倒見の良い男だ。ジェイクは剣の腕が達者なだけではなく字の読み書きや計算ができ、作法や仕草も洗練されていたこともあって、とても重宝されたのだ。

 彼はデュラン以外にシャロンのことを唯一話せる相手になった。最初は話すことを拒否したのだ。だが気付くと彼女の手紙について話す仲になっていた。

 コンラッドは昨年結婚し、もうすぐ父親になる。彼の妻はどことなくシャロンに雰囲気の似た女性だった。


「あれから一度も会えてないのか?」

 そう彼に聞かれ、正直に頷く。

「今頃シャロンは、輝く金の髪の美しい乙女に成長してるでしょうね」

「まるで見てきたように言うんだな?」

「魔女の噂は時々聞きますから」


 事実シャロンの噂は時々届いた。

 遠い異国で求婚されたことも。だが彼女の手紙には「一目散に逃げたわ!」と書いてあったので、コンラッドと笑い転げた。彼女の手紙はちょっとした冒険譚のようだ。

 そう。なぜかジェイクへの手紙は、誰かと読むことを前提に書いているような距離感があった。少し寂しいが、それでいいのだと思っている。

 彼女がジェイクを忘れていない。今はそれだけでいい。

 こちらからは返事も出せないのに、時折手紙を書いて寄こすくらいには、近しいと思ってくれている。

 まだ彼女を姉や妹のようには思えないが、元気で、どこかで笑っていてくれればそれでいいのだ。


 自分のように紅蓮の館に入れた者はいるのだろうか。

 願わくば、それだけはいないといい。


 だがある時シャロンからの便りがピタリと途絶えた。

 それほど遠い土地にいるのかもしれないが、何か良くないことが起こったのではないかとジェイクは気が気ではなかった。

 そんなころ、友好国の一つである南方の国ネイディアのから宴の招待が王の元へ届き、王の息子である第三王子が王の名代で参列することになった。表向きは長らく病床にいた末の姫の快気祝いの宴だが、その実、その姫の婿になるものの選定であることが内々に知らされているという話だ。その護衛騎士の一人としてジェイクが選ばれた。


 ジェイクは十八歳になれば領地に帰ることが許されていた。流行り病を収めた功績や山賊討伐をはじめとする数々の功績の恩賞は何がいいか問われ、一介の騎士でありながら自由の身を保証してもらったのだ。

「その前にひと仕事頼みたいのだ」

 十八になったジェイクに、所属する騎士団団長は言った。

 第三王子とは同じ年で友人関係でもあったため、気心の知れたジェイクが選ばれたことは考えるまでもなく分かった。


 ジェイクは悩んだ。ネイディアは友好国だが海の向こうにあり、一介の流浪の騎士となれば行ける機会はそうそうない。宴や王女の話は前世では聞いたこともなかったが、前の時は父の死や領主を継ぐこと、自分の結婚などで慌ただしかったため、耳にしてなかったのかもしれない。

 もともとは領地に戻って噴火の後始末の後旅に出るつもりだったが、シャロンの手掛かりをつかめるのではと心が揺れた。彼女が最後にいたのが南方とは限らないが、ネイディアは魔女が最初に降り立ったとされる国だ。今も複数の魔女の館が残っていると聞く。行けば何かが分かるかもしれない。


 一晩返事を保留したジェイクが、考え事をしながら夜星を眺めていた時だ。

 突然呼び出してもいないのに本が現れた。浮き上がる文字や図形の代わりに光が噴き出すようにあふれ出す。


「ジェイク! よし、やっと繋がったな!」

「師匠⁈」


 本に上に立つように現れたのは、紅蓮の館の精霊、今は男の姿をしたミネルバだった。

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