第6話 シアの結婚相手

 シャロンは十四歳になった。

 リュージュの森はほとんど故郷のような気持ちになっていた。ときどきほかの地方に行くこともあったが、長くても一月半くらいで戻ってきていたのだ。それはたぶん、ミネルバもこの土地が好きなのだろうとシャロンは考え、疑問に思っていなかった。だがそろそろ、次の場所へ行かなくてはいけない頃合いだった。



 年が明ける日は、春を寿ぐ宴が領主の城で開かれるらしい。

 その年、シャロンは初めてその宴に招待された。

「やっと十四歳だし、特別な日だからね」

 この地方では十四歳は大人の入り口とされていて、大人しか参加できない夜の宴に参加できるようになるのだ。そこへシャロンも誘ってくれたのにはもう一つ理由があった。

 今回の宴は同時に、ジェイクの姉シアの結婚式でもある。そしてシャロンは、彼女の結婚相手の命の恩人なのだ。


「シアの婚約者は、私がここに来る少し前に亡くなったのよね?」

 以前シャロンはジェイクにそう尋ねたことがある。シアには幼いころから結婚相手が決まっていた。だが事故で亡くなったのだと。

「ああ。王が鹿狩りにやってきたときにね」

 この小さな領地に王が来る機会はほぼないに等しい。そのめったにない機会に、その男はいいところを見せたかったのだろう。あわよくば、王の部下として召し抱えられることを夢見ていたのかもしれない。

「父は気が進まなそうにしていたんだけど、王が彼を気に入ってね。同行させたいって言ったんだ」

 だが彼は何かに驚いて棹立ちになった馬から振り落とされた上、運悪くそのまま崖から落ちて絶命したらしい。ラゴンの狩場には美しい鹿が多く生息しているのだが崖が多く、事故も多い。狭い崖だと、枝葉に覆われて気付かないことさえある。大抵馬が避けてくれるのだが、気の毒なことだ。


 このたびシアと結婚することになった男もこの崖から落ち、足を折り、肩に大けがを負った。だが偶然ジェイクとデュランが発見し、応急手当てを施した。

 一匹でやってきたデュランの首輪の走り書きメモを見て、シャロンはその現場に駆け付けた。そこには倒れもがく馬と、ジェイクの何倍もありそうな大男が血まみれになっていたのだ。


「絶対に死なせないでくれ! 彼は素晴らしい騎士で、姉の夫にふさわしい男なんだ!」

 そう主張するジェイクに不思議な気はしたし、その時なぜかジェイクが初対面のはずの騎士の名前も言ってたような気がするが、助けたときに聞いたのかもしれない。

 むろん男を死なせる気などなかったシャロンは、魔法でその騎士と馬をジェイクの住む城に運び、男の骨を接ぎ、怪我が原因の高熱を下げるための薬を処方した。その後馬の折れた足も接いだ。

 はじめてシャロンが城に行ったことでまわりは大騒ぎだったようだが、ジェイクもシャロンもそれを気にする余裕などなかった。崖から落ちた彼をジェイクの見つけるのがあと半日も遅かったら、魔法の力があっても命の保証はできなかっただろう。


 シャロンができることが終ると、あとの看病はジェイクの姉が引き継いだ。

 ジェイクの五歳年上だというシアは、儚げな印象の綺麗な女性だが、意外なほどに芯が強く体力もあった。傷の消毒にもひるむことなく、自分よりもずっと小さなシャロンの言葉にも、まるで偉い人の言葉を聞くかのように真摯に耳を傾けてくれた。

 意識のない大男の看病は、簡単なことではなかったのにだ。

 そんな献身的に看病したシアに騎士が心を捧げるまで、時間はかからなかったのは当然と言えば当然の流れだったのだろう。


「目が覚めてシアを初めて目にしたとき、女神がいるのかと思ったよ。こんな美しい笑顔を見られたなら、天に召されるのも悪くないなと思ったくらいだ」


 そう言って笑う騎士の名前はクロウ・ラス・カード。

 岩のような体躯、思慮深い目の男は、たいへん教養ある人物だった。

 王立騎士団に所属し、一時的に帰省が許された矢先の事故だったらしい。

 身分はもとより、誰の目にもシアと相思相愛になった彼は、たしかにジェイクの言う通り、彼の姉にふさわしい男だった。


「ジェイクってば、占い師の力もあるみたいね」

 ある日、往診の代わりに館の水晶でクロウに寄り添うシアを見て、シャロンはミネルバにそう言ったことがある。目の色さえ分からない男がどんな人物かもわからないのに、よくあんなことが言えたものだ。しかもそれが正解なのだから恐れ入る。

「あんな風に想い合える相手には、人はそうそうお目にかかれないのにね」

「シャロンは子どものくせに、言ってることが老けてますよ」

「ほっといて」

 それでも、自分が治療したとはいえ驚異的な回復を見せた男と、大好きな友の姉の結婚だ。妙に感慨深いものがある。二人を引き合わせたのはジェイクなのに、なぜか自分も二人の恋の橋渡しをしたような気がするのだ。

「宴、楽しみだな……」


 春を寿ぐ宴も、結婚式も初めての経験だ。結婚式は物語では知ってるが、粗相をしないか少し心配でもある。それに宴が終わってしまえば、ジェイクとはしばらくお別れだ。

「寂しいですか?」

「うん」

 春になれば、ジェイクは大領地で騎士見習いになり、しばらく過ごした後王都に行くことになっている。

 秋にジェイクは大領主のもとに姉の結婚許可証をもらいに行き、同時にその夫が領主の後継者となる承認証ももらってきたのだ。つまりジェイクは次期領主の地位を義兄に譲る形になる。ジェイクが領主になるために騎士になるのだと思っていたシャロンは驚いた。


 だから聞いてみたことがあるのだ。

「本当にお姉さんの旦那さんが後継者になるの? 本当はジェイクが後継者だったんでしょう?」

 と。だがジェイクはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「それがぼくの望みだから。ぼくは騎士になるからね」


「ジェイクは、いい領主様になると思うわよ?」

 ミネルバの教育を受けているのだ。知識だけみても誰にも引けは取らないだろう。

 二人で競うように学んだ。ジェイクは乾いた大地が水を吸収するように知識をどん欲に吸収したし、彼の柔軟な発想をシャロンはこっそりと尊敬している。

 ただの騎士より……と言っては語弊はあるだろうが、彼は導く立場に向いているような気がするのだ。


「ぼくもそう思う」

 胸を張ってしたり顔のジェイクに、じゃあなぜ? と尋ねると、彼は思慮深い顔でシャロンをじっと見つめた。

「身軽に動ける立場でいたいんだよ」

「そうなの? でも、一介の騎士では戦争とかにも駆り出されちゃうでしょう?」

「だいじょうぶ」


 ジェイクは時々、ずっと年上みたいな顔をする。そんなとき、シャロンはどうにも落ち着かない気分になるのだ。シアの花嫁衣裳について聞いたときも「シャロンも着てみたい?」なんて言われ、なんだか困った。


「で、シャロンはどうするの?」

「どうするって?」

「そろそろ移動する時期だってミネルバが言ってたよ」


 何でもないふうに言われ、シャロンは少し泣きたいような変な気持ちになった。たしかにここには長くいた。三年半は、滞在期間としたら最長だ。


「うん。ミネルバは西に移動するって言ってる。王都と大領主様のお城の間くらいだね」


   ◆


 ジェイクは宴の準備の手伝いをしながら、そわそわと落ち着かない気分だった。

 紅蓮の館の移動は以前と変わらないことは分かった。前と同じなら、このまま十八歳までほぼシャロンに会えない。だがこのあと、館が旅立つ前にミネルバから遠話石をもらって、連絡がとれるようになるはずだ。

 だが未来が変わっているので、このままどうなるか予測がつきにくくなっているのが少し気がかりだった。


 ミネルバからは前世以上のことを学んだ。これはいい点だ。

 シアの婚約者だったブラッドリアンは結婚前に死んだ。ジェイクが直接手を下したわけではない。きっかけを作り、放置した。――ただそれだけだ。


 前世では、姉はジェイクが十三歳のときに嫁いでいった。

 ブラッドリアンは父の部下で、姉が幼いころに決まった許嫁だった。ジェイクは初めて会った時から、嫌な目をした男だと思っていた。ジェイクが領主になれば、自分の部下になるはずの男だったが、なぜかこちらを下に見る態度が気に入らない。だがそれは自分の前だけだったので、自分は侮られているのだろうと考えていた。だからこそ、騎士になるべく精進しようと思ったし、事実そうしたのだ。


 ジェイクが大領主のもとで騎士見習いになると、なぜか小領地の一部を管理しているはずのブラッドリアンは頻繁に城を訪れるようになったらしい。だがなぜか姉を連れてくることは滅多にないという。

 あの頃は、姉が城の切り盛りに忙しく、その後はお産や子育てで手が離せないのだと信じていた。いや、半分程度は真実も混ざっていたから信じざるを得なかったのだ。


 ジェイクが十八歳で正式な騎士になったとき、父が流感で亡くなり、予定よりも早く領主になることになった。領地に帰って同時に、王の選んだ相手と結婚することが決まっていたのだ。今はもう、名前さえ覚えていない女と。

 

「父が本当は殺されたなど、考えもしなかった」

 王のもとでは警戒していたことも、田舎領には無縁のことだと考えていた。何と愚かだったことか。ブラッドリアンに送り込まれた従者に、父は少しずつ毒を盛られていたのだ。だが父は、彼の意図に反し長く生きた。


 父の死の直後、ジェイクが騎士に就任して、即帰ってくるのは予想外だったらしい。ブラッドリアンの計画ではもっと早くに父は亡くなり、ジェイクの後見人としてラゴン領の領主になる予定だった。

「そしてぼくも亡き者にして、終幕ジ・エンド


 だが予定が狂ったブラッドリアンは、ジェイクの結婚式で彼の暗殺を決行しようとした。シャロンのおかげで毒はほとんど口にせずに済んだが、地が揺れ山が火を噴き――。


 ジェイクはそこまで記憶をたどり、ゆっくり頭を振る。

「絶対繰り返さない」

 自分は領主にはならないから、王から妻をあてがわれることはない。

 ブラッドリアンはもういないから、家族は無事だ。

 クロウを発見したときは驚いた。前世でも彼のことは知っていた。大領主の三男で、王の優秀な騎士の一人。人格も申し分なく、彼を見た瞬間、絶対姉と結婚させ、自分の代わりに領主になってもらおうと考えた。

 シアが彼から愛されることを、全く疑わなかったし、事実そうなった。天啓とはきっとこういうことを言うのだろう。


 これで自分が領主になることはない。

 騎士になり、シャロンと旅に出るのだとの決意が完全に固まった。

「まずは宴だな」

 春を寿ぐ宴では、新年の鐘がなってる間に隣にいる異性に接吻キスをする習慣があるのだ。そこでジェイクはシャロンに初めてのキスをしようと決めた。

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