第4話 市に行こう!

 シャロンの前にのほほーんと現れた少年は、今日も一人のようだ。小領地では、いいところのボンボンでも一人で出歩くものなのだろうか。今まで旅をした場所でも貴族とはあまりかかわったことがないが、いなかのせいか人々も呑気なのかもしれない。

「ジェイク?」

 あまりにも驚いて立ち尽くすシャロンに、ジェイクは少し不満そうな顔をした。今日の彼は二日前よりも簡素な服装だ。


「なんだよ。ぼくが会いに来たのに嬉しくないの? せっかく一緒にいちに行こうって誘いに来たのに」

「え、あ、ううん、会えて嬉しい……って、市? えっ?」

 混乱したままうまく話せないなんて初めてだ。


 どうしてジェイクはまた来ることができたの?

 私から会いに行かないともう会えないと思ってたのに。

 だから本当は、こっそりジェイクのおうちを探そうかなって考えてたのに。

 私に会いに来てくれたの? 本当に? 本当にお友達になったの?

 しかも一緒に市に行こうって言った?


「市は今日までだろ? 父さんが今日は自由にしていいって、小遣いも少し持たせてくれたんだ」

 ジェイクは得意げに、昨日はその分たくさん働いたんだぜと言う。

「でも私、市にはこの前行ったし」

「見て歩くだけでも面白いじゃないか」

「だって、この前子どもの姿で行ったから……」


 シャロンは人のいるところには、同じ姿で続けて出ないようにしているのだ。今日市に行くとしたら、魔法で大人の姿にならなくてはならない。でもなんとなく今日はそうしたくなかった。

「なんだよ、嫌なの?」

「いやじゃ、ない」

 むしろ逆だ。

 渋々本音を答えると、ジェイクは満面の笑みになる。

「じゃあ支度しておいで。早く行こう!」

「うん!」


 とりあえず頭巾をかぶって髪をすっかり隠し、お金を少しポケットに入れる。

「じゃあミネルバ、行ってくるね」

「ええ、楽しんでらっしゃい」

 いつものように声をかけると、ミネルバが姿を見せずに返事を返した。

「今の声誰? お母さん?」

「うん、そんなところ」




 森を出ると、大きな黒い犬が二人を待っていた。

「デュラン!」

 ジェイクが呼ぶとトコトコとそばに寄ってきて、ぴたりと彼の隣につく。その優雅な姿にシャロンは感嘆の声をあげた。

「賢い子ね。それにすごく大きいわ!」

 小さい子どもなら、乗馬の練習さえできそうだ。

 ジェイクに撫でてもいいと言われたので、おそるおそるデュランの首のあたりに手を伸ばしてみる。そっと撫でてみると毛並みはやわらかく艶やかで、いくらでも撫でていられそうだ。デュランはおとなしくシャロンに撫でられてやろうと思ったのか、きちんとお座りをして「どうぞ?」とでも言うように首を伸ばした。


「うわぁ、可愛いわ、賢いわ。素敵ねデュラン。あなた、とってもハンサムよ」

 デュランに夢中になりながらジェイクに笑いかけると、彼はなぜか口元を押さえ真っ青になっている。

「やだっ、どうしたのジェイク」

 彼は目を見開き、まるで何か恐ろしいものでも見たかのようだ。

「どこか痛いの? おうちに帰る? ああ、それとも横になったほうがいいかしら」

「大丈夫。大丈夫だよ、シャロン」

「でも真っ青じゃない!」

「いや、本当に大丈夫」

 なぜかさっきまでより少し大人っぽくなったようなのは、やはりどこか痛いのを我慢してるから?

「本当に大丈夫。ちょっとね、大事なことを忘れてて」

 額に手を当てたシャロンの手首をそっと握って、ジェイクは笑った。

「もう思い出したから大丈夫だよ。さあ、市に行こう」

「う、うん」


   ◆


 ――やっぱり未来の記憶が消える。


 心配だからと手をつないで歩くシャロンを横目に見ながら、ジェイクは急いでさっき起こったことを考えた。

 館に入ると未来の記憶が消える。これはもう偶然ではないようだ。

 シャロンと交わした会話は、記憶にある限り最初の時と同じ。たぶんこれも間違いない。

 森を出て、デュランの顔を見たら記憶が戻るのだろうか。

 それとも、森を出たから消えてた魔法が戻る?


 未来を変えようと思っているのに、肝心な記憶が消えることに血の気が引いていた。二度とこの子を失うまいと決意しているのに、同じことを繰り返したら同じ未来にしかつながらないのではないだろうか。

 そう考えると背筋に冷たいものが流れる。


 ――絶対に嫌だ。


 思わず手に力が入ってしまったらしく、シャロンが怪訝そうにジェイクを見た。

 今二人の身長はほぼ同じくらいで、目線の高さが変わらないのが懐かしいと同時に新鮮だ。そのことに、ジェイクの胸の中がぽかぽかと温かくなってくる。

「ごめん、痛かった?」

「ううん。何かあった? あなた、怖い顔をしてたわよ?」

 その少しお姉さんぶった口調が可愛くて、大丈夫だよと答える。

 十年前なら大人ぶられたことにムッとして、怖いってなんだよとか、君こそ迷子になるなよとか、そんな感じのことを偉そうに言ってたんじゃないだろうか。今回は子どもっぽい反応を返さずに済んだことに、ちょっとだけ得意になった。


「あなた、本当に大丈夫?」

 まずい。無意識ににやけてたかも?

 シャロンの何か引いたような表情にあわてて周りを見渡す。

「あ、ほら。あそこの焼き菓子が美味しいって聞いたんだ。食べてみない?」

「焼き菓子?」

 思った通りシャロンの目がパッと輝いた。少し先の屋台から、甘い香りがここまで漂ってきている。

 時期は違うが、前も果実の入った焼き菓子をここで一緒に食べたのだ。以来、市が立った時はいっしょに焼き菓子を食べた。だから今回も同じにしようと思ったのだ。


「ほら、半分こ」

 少し大きめの菓子を二人で分けて、道の端にあった平らな石の上で一緒に食べる。そのほおばる様子も可愛い。

「おいしいね」

「うん」


 ――知らなかった。シャロンは子どもの頃も、こんなに可愛かったんだな。


 あの頃は女の子だと思ってなかった。

 いや、もちろん性別は分かっていたし大切な存在ではあったけど、あくまで妹みたいな感じだった(シャロンに言わせれば、ぼくのほうが弟だと言われそうだが)。


 館に行くと未来の記憶が消えることには、意味があるのだろうか?

 ミネルバに聞けばわかるかと考えたが、館に行ったら忘れてしまうので今は無理だ。


「ねえジェイク、あそこのリボンを見てもいい?」

 すっかり食べ終わったシャロンが、小間物を扱っている場所を指さす。

「いいよ、行こう」

 そうだ、シャロンはリボンやボタンみたいな、細々したものが好きだった。

 懐かしさと愛しさで目の奥がじんわり熱くなる。


「一本買ってあげようか?」

 ふと思いついて聞いてみると、シャロンは鼻にしわを寄せて「いらないわ」とすげない。

「何でもない日に贈り物をするなんて変よ」

「そうなの?」

「うん。それは大人になったら、あなたの恋人や奥さんにしてあげて」


 ――じゃあ、今君にしてもいいんじゃ?


 ジェイクはそう言いたくなったが、口には出さなかった。

 まだ早い。

 いつか恋人になってよなんて言っても、きっと彼女には通じない。

 そんなことを言ったら、下手すれば館ごと消えてしまうと気づきゾッとする。今の状態でそんなことになっては、彼女には二度と会えなくなるのだ。

 姉のシアには幼いころから婚約者がいたが、それはあくまで家の事情だ(しかもあんな小悪党になる男だと分かっていたら、父だって婚約させなかったに違いない)。恋人や婚約なんてことは、今のシャロンにはピンとこないだろう。

 前の時と同じことを繰り返してるのは、あの頃の出来事ひとつひとつが重要だったからなのだろうか。


 これから起こることに思いをはせ、今まで以上に気を付けようと決意した。


 ――シャロンとのこと以外に気を付ければ、きっと未来は変わるさ。あの悪党から家族を守れたように、きっと。


「うん、そうだね。そうする」

 そう答えたジェイクに、シャロンはお姉さんぶった表情でにっこりと笑った。

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