8話 回想なんです、パンチラで許してね


あれは確か、十日ほど前のことだっただろうか。

 

 新歓フェスの日にあたし達も別館ホールでパフォーマンスするから友達誘って見に来てねー、と羽織にウィンクぶちかまされた僕は、拒否権もないまま言葉通りに二宮と荻丸おぎまるを連れてボールへと足を運んだ。


 新歓フェスとは、運動部に比べて比較的に地味な文化部が新入生獲得のためにそれぞれ十五分程度の持ち時間で大いにその存在をアピールするという、いわば合同ステージ発表会だ。全校生徒を収容できるばかでかいホールにギッチリと新入生が詰めかける中、軽音部、吹奏楽部、合唱部といった花形文化部や、茶道華道書道香道などのマイナー部が次々とパフォーマンスを披露していき、いよいよ盛り上がりも最高潮というおおとりで事件は起こった。


 演劇部がパフォーマンスを開始したのだ。

突然、スピーカーから放たれた衝撃音が会場を撃ち抜き、それを合図にして全ての照明が一斉に明りを落とした。突如として闇に包まれるホール。滲み出る不協和音。ざわつく新入生。そして、直前のダンス部が残した華やかな空気が一掃された頃を見計らい、

―――ぬるり。

と、舞台袖から白い顔が現れた。髪の毛も鼻も唇もない、目だけが異様にギラついた白い顔が。

よく見れば、それは白塗りをして白タイツを頭から被った演劇部員なのだが、そんなことはどうでもいい。重要なのは彼(?)が現れた瞬間に、少なくない数の女子生徒の口から絶叫マシン並の悲鳴が割と長めに立上ったということだ。しかも、それは一度では終わらない。観客の金切り声を奪い合いようにして次々と舞台に現れる演劇部の演者達。皆一様に白タイツを被り、顔を白く塗り潰し、白い着物を纏いながら、グネグネと体を捩じっている。そんな集団が十人以上はいただろうか。さながらお化け屋敷と化す舞台上。客席の誰もが苦痛の時間を覚悟して下を向く中、白塗りの集団は不協和音に合わせてさらに激しく体を捩じり始めた。首、肘、膝、腰、股、体中の関節をフル稼働させて軟体動物のようにグネグネと。あくまで顔は無表情のまま。

 

この辺りまでくると客席のざわめきは鬼気迫るものに変わり始める。何と言うか、彼らの動きを見ていると不安になるんだ。自分の体が意識を離れて勝手にグネグネと動き出すような、そんな不安にかられるんだ。

一方、舞台の上のグネグネはさらに激しさを増していく。右に流れてグネグネ、左に流れてグネグネ、入り乱れてグネグネ、やがて彼らは隣の演者を巻き込み、絡み、抱き合い、そして………ああ、だめだ。思い出すな、僕。また眠れなくなるぞ。また悪夢で飛び起きるハメになるぞ。思い出すな、僕………。


「ちょっと、どうしたの? れんちゃん」

 羽織に肩を揺すられてハッと我に返った。

「大丈夫? なんか過去のトラウマに苦しんでいるような顔つきだったけど」

 心配そうな表情で僕の顔を覗き込む羽織。

「ああ、大丈夫、心配ないよ。ちょっと、羽織はおりの劇のこと思い出してだけだから」

「すごい心配なんだけど、それ! ねえ、ホントに大丈夫だった、あたし達?」

「サイコーダッタヨー」

「何で空を見てるの!」

「いつか帰る故郷を確認してるんだ」

「ふざけないでちゃんと教えてよ。あたし、その、蓮ちゃんに本番見てもらうの久しぶりだったし、ああいうとこ見られるのも初めてだったから、なんか緊張しちゃったっていうか、その……恥ずかしくって………」

 顔を仄かに赤らめつつ、もじもじとつま先で土を削る羽織。


 ………そりゃあ、恥ずかしいでしょうよ。

 最後に羽織の劇を見たのは、確か中学の学園祭だったか。あの時はメルヘンチックでまとなお芝居やってたはずなのに、そこから随分と大胆に方向性の舵を切ったもんだ。どんな役者魂のこじらせ方したら顔面白塗りで舞台に立とうと思うんだ。なんて言うか…………勿体ないだろう。

「何? 蓮ちゃん、じろじろ見て。あたしの顔になんかついてる?」

 ついてるよ。ふんわりと長くて綺麗な髪とか、ちょっと下がりがちなところが優しげな大きな目とか、すっと通った鼻筋とか。白く塗りつぶすには勿体ないパーツばっかり色々くっついてるよ。身内にあんまりこんなこと言いたくないけどさ、普通に可愛い部類だろ、お前。何であんな勿体ないことしちゃうんだ。

「ちょ、ちょっと、ホント何なの、ふうちゃん。いくらお姉ちゃんが可愛いからって、女の子の顔をじろじろ見るのはルール違反だよ」

照れくさそうに笑いながら指の背中で唇を擦る羽織。いつもの癖だ。羽織は緊張すると唇を指でいじる。ふっくらとした血色の良い唇。自分でもチャームポイントだと言ってた唇。何で塗り潰したりするんだよ。何であんな………勿体ない使い方するんだよ。


 いや、顔だけじゃない。その下にも気持ちの悪いタイツや白装束で隠すには惜しいチャームポイントが、主に鎖骨と腹の間に大いに育っているじゃないか。

一昔前は色気もくそもなかったのに、変われば変わるもんだ。

かつては魔法少女と動物のローテーションだったキャラもののでっかいプリントパンツも、今では花柄のヒラヒラに飾られたリボン付きに取って代わられている。男子人気も相当だって美愛から聞いてるのに、いったなんであんなマネ…………………って、ん?

 

なんで僕今、羽織の下着をまるで見えているかのように描写できたんだ? 羽織のパンツなんて小学生以来見たことないはずなのに。

 ゴシゴシと目を擦ってもう一度確認する。ふむ、花柄のフリルが腰のラインをカーテンみたいに飾っている小さな下着。リボンはやや左にズラして打ってあり、よく見ればそのリボンも淡いストライプになっている。

 ふむふむ、なるほど、わかったぞ。羽織のパンツがまるで目に見えているかのように精密に描写出来てしまうのは、今現在羽織のパンツが完全に目に見えているからだ。羽織のプリーツスカートがお腹までべろーんと丸々めくれ上がっているからだ。


「って、おーい、羽織! どーなってんだ、それ!」

「え? それって………うわー、どうなってんの、これぇ!」

 ようやく下半身の異常に気付いた羽織が泡喰ってスカートを押さえにかかる。

「み、見た? 蓮ちゃん」

「見てない見てない」

「ウソだよ、絶対見たよ!」

「うん、ごめん。見た。てゆーか、見るだろうよ。あんな長時間スカートが浮いてたら!」

「やだもう。なんなの、今の。風?」

 真っ赤になりながら辺りを見回す羽織。

「いや、違うだろ。そんな自然な感じじゃなかったぞ。もっと人工的というか機械的というか、まるで何かで吊り上げたような………」

「吊り上げるって、そんなことでぎる人がいる?」

 確かに。人気のない裏庭に羽織のスカートを吊り上げることができそうな人物なんて、全身黒ずくめで釣竿を抱えてこっちに全力疾走してくるやつ以外に見当たらない。

「って、絶対アイツだあ! 避けろ、羽織!」


「え?」

「ど―――――――ん!」

 忠告が遅かった。黒いパーカーに黒いズボン、黒ニット帽まで被った黒い男(?)は、そのまま減速せずに思い切り羽織の背中を突き飛ばすと、

「きゃあ!」

「危ない!」

 よろめいた羽織の体を僕が抱き止めたのを確認してから、

「ほな、さいなら!」

 しゅびっと右手を突き立てて猫のように走り去った。

「いや、さいならじゃねーわ! 待てこらー!」

「だめー、蓮ちゃん!」

 咄嗟に後を追って走り出す僕の腕を羽織が掴んで引き留める。

「離せよ、羽織! 逃げちまうぞ」

「いいの、追わなくていいの! あの人もわざとぶつかったんじゃないんだから」

「どーんって言ってましたけど⁉」

「仮にわざとだったとしても、そうせざるを得ないような特殊な事情があるんだよ」

「なんでそこまで不審者の肩持つんだよ! 見ろ、あの黒ずくめを。コ●ンだったら絶対アイツが犯人だぞ」

「いいから、もう帰るよ」

「帰らねーよ、まだ追いつけるって」

「蓮冬、お姉ちゃんの言うこと聞きなさい!」

 追跡を諦めきれない僕に向かって、『めっ』とばかりに人差し指を突き立てる羽織。瀬野兄妹に絶大な威力を発揮する必殺のお姉ちゃんポーズが決まったその瞬間、

 

 ――しゅるしゅるしゅるしゅる。

 

足元から迸るロープ音。何事だ、などと思う暇もなく、


「ひぃゃあああああああああああああああ――――――――――――――!」


 羽織が逆さ吊りに吊り上げられた。


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