第六章 剣と盾、不壊なるもの 【第五節 盾を構えろ】


          ☆


 何が起こったのか、クロにはよく判らなかった。たぶん、シロにも判らなかっただろう。気づいた時にはすぐ目の前に少年の後ろ姿があり、ケルベロスが死んでいた。

「…………」

 あたりの地面は激しい炎にあぶられて黒く変色していたが、クロたちの周りだけが、まるでマスキングでもしたかのようにもとの色をとどめている。それはたぶん、ハルドールがかざした左手が、あの炎の奔流をふたつに割ったからだろう。

「いっておくけど」

 へたり込んでいたクロとシロが立ち上がる気配に気づいたのか、ハルドールが肩越しにふたりを振り返った。

「――きみたちに俺の手助けなんか必要ないというのは判ってるよ。きっとミス・グローシェンカは、余計な真似をするなとかいいたいんだろう?」

「う……!」

 いいたいことを先取りされ、クロは唇を噛み締めた。

「その通り、これは俺の余計なお世話だよ。きみたちの強さはよく判ってるけど、それでも放っておけないのは、単に俺が女性の前でカッコつけたいだけだからさ。別にこれを貸しだというつもりもない」

「……そんなことない。正直、助かったわ、ハルくん」

 そういって、シロはなぜかクロの頭を強引に押し下げた。

「ちょ……お、おい、シロ?」

「傲慢なクロちゃんも、心の中ではハルくんに感謝してるのよ?」

「シロ!?」

「どうやら怪我もなさそうで安心したよ」

 小さく笑ったハルドールは、左手を軽く振って深呼吸した。少年の手はいくらか煤けてはいたものの、火傷を負っている様子はない。ただ、新調したばかりの服が、肘のあたりまで炭化してなくなってしまっている。

「あんた……ほ、ホントに素手であの炎を――?」

「いまさらじゃない? きみにあれだけブン回されても無傷だった俺だよ? ペットの粗相ごときで焼け死んだりしないさ」

「貴公のその力……単純な魔法ではないな?」

 もはや一センチも前に進むことのなくなった戦車を下り、ザブームが地鳴りのような声で尋ねた。

「魔法であればこのマラギギの影響を少なからず受けるはず……まして、素手で炎を割るような芸当などできるはずもない」

「できるよ。……俺は勇者だからね」

「異世界の勇者か……なるほどな」

 ザブームは髭を撫でつけ、にやりと笑った。

「嘘か真か、貴公はさまざまな世界を渡り歩き、傭兵稼業のようなことをしているそうだな? 今も雇われてジャマリエールに与していると」

「引き抜きの話ならやめてくれ」

「信義がどうのといういうタイプかね、貴公は?」

「俺がクライアントとの契約を打ち切るのは、クライアントが俺を裏切った時だけだからね。信用って金じゃ買えないだろ?」

 手についた煤をズボンの尻のところでぬぐったハルドールは、左右の耳につけていた真珠のピアスをそっとはずした。

「この前の傭兵たちみたいに、俺も簡単に寝返らせることができると思ったのならおあいにくさま」

「……は?」

「……え?」

 はずしたピアスが少年の手の上でひと組の籠手に変わるのを見て、クロとシロは同時に間の抜けた驚きの声をあげてしまった。

「あ、あんた……え? そんなところに――?」

「ひっ、ヒドいわ、ハルくん! ないないって捜し回ってたわたしたちを、ずっと嘲笑ってたのね!?」

「いや、それはまあ……あとでじっくり話そうよ、俺の部屋でさ。ね? 今は立て込んでるから――」

 上着の裾を掴んで引っ張るシロに苦笑しながら、ハルドールは魔拳ナルグレイブを両手にはめた。

「――きみたちの力を抑え込めるようなヤツが相手なんだ、ここは俺に任せてもらえるかな?」

「あいにくだけど、あんたに一番の大将首をゆずるわけにはいかないね」

 美女たちを制しようとする少年の肩を逆に押さえ、クロは前に進み出た。

「……別に完全に力が封じられてるわけじゃない。極論、素手でブン殴ってでも始末してやるよ」

「クロちゃん、それはさすがに……」

「いい加減に鬱陶しいな、貴公ら――」

 TPOもわきまえずにごちゃごちゃやっているクロたちに腹を据えかねたか、ザブームがマラギギを振りかざして斬り込んできた。

「と! 失礼!」

 ハルドールは左右の美女たちの細い腰に手を回し、ふたりをかかえて後方へ飛んだ。

「うぎゅぐ」

 脳天を踏み台にされたオークがくぐもった呻きをもらす。ハルドールはそこからさらに飛んでザブームとの間合いを広げようとした。

「逃がさんよ」

「うぇあ!?」

 ザブームは左手一本でそのへんにいた配下の兵士を鷲掴みにすると、そのままハルドール目掛けて投げつけた。さっきクロが同じようにオークを一匹ザブームに投げつけたが、さすがにザブームのほうが“球威”は上だった。

「ちぇっ」

 美女たちで両手がふさがっているハルドールは、空中でたくみに姿勢を変え、猛スピードで飛んできたゴブリンを靴底で受け流した。

「ハルくん!」

 シロはハルドールの左手を押さえ、早口でいった。

「――こっ、この際だから、手柄は均等割りってことにしない?」

「均等割り?」

「おい、シロ――」

「クロちゃんだって判ってるでしょ? ご主人を捜すのに一番効率がいいのは、ハルくんの提案に乗ることだって! わたしはそのためだったら何だってするつもりよ? だってわたしは一日も早くご主人に会いたいんだから」

「いや、だからって――」

「でもクロちゃんは違うみたいね」

「おい!?」

 間にハルドールをはさみ、クロはシロの首輪を引っ掴んだ。

「好き勝手いってくれるじゃないか。わたしだって、ダンナに会うためならどんなことだってやれるさ。だからこうして戦ってるだろ?」

「じゃあもっとやりなさいよ」

「……は?」

「ご主人のためなら、ハルくんとうわべだけでも仲よくするぐらいどうってことないでしょ? ヘンなところで意地張ってないで、うまく利用してやろうとか思えないの? だからクロちゃんは浅薄だっていつもいってるのよ」

「……うわべだけとか利用するとか、できれば俺のいないところで話し合ってくれるとありがたいんだけど――」

「逃げ回るのが貴公の得意技か、異世界の勇者よ!」

 苦笑いを隠せずにいるハルドールの目の前へ、配下の兵士たちを蹴散らすいきおいでザブームが迫ってくる。一瞬で表情を引き締めたハルドールに、シロがささやいた。

「いい、ハルくん? 手柄は均等に分けるのよ? じゃじゃさまにもよ~くいっておいてね?」

「――!」

 ハルドールが横目にシロを一瞥した時、すでに彼女の姿は細かな光の粒子と化していた。

「死ね!」

 ザブームが真っ向からマラギギを叩きつけてくる。クロはそれを見て、腹立たしげに吐き捨てた。

「……盾を構えな、小僧」


          ☆


 右に飛ぶか、左に避けるか――。

 ザブームの一撃をかわそうとしたハルドールを、クロの手が押しとどめた。

「盾を構えな」

「えっ? 盾?」

 咄嗟にハルドールはあたりを見回したが、手頃な盾など見当たらない。そもそも、ザブーム配下の兵士たちが使っているような盾では、あの巨大な斧の一撃を受けた瞬間、あっさりひしゃげてしまうのは目に見えていた。結局、ハルドールが自分自身の身体に勇者力をそそぎ込み、瞬間的な防御力を高めてしのぐしかない。

「いいから! 構えてみろって!」

 クロの手が無遠慮にハルドールの尻を叩く。

「……俺を謀殺する気じゃないだろうね?」

 ハルドールは盾を持っているつもりで左腕をかざし、そこに勇者力を集中させた。

「――!?」

 ザブームの斧が激突する寸前、ハルドールの左腕に光の粒子が集まり、輝くような白銀の盾を形成した。

「んぐ!」

 ずしん! と来る重い衝撃とともに、ハルドールのブーツが一センチほど地面にめり込んだが、しかしそれだけだった。ザブームの巨体が繰り出すあの巨大な斧の真っ向からの一撃を受けて、ハルドールの身体はまっぷたつにもならなければ吹っ飛ばされもしなかったのである。

 斧をはじかれたザブームと、斧を防いだハルドールは、間に盾をはさんで数秒ほど驚きに固まっていた。

『大丈夫、ハルくん?』

「……ああ」

 ザブームより一瞬早く我に返ったハルドールは、大きく後ろへ跳びのき、自身の左手に現れた盾に見入った。

「そうか……ああ、なるほどね」

 それは、たった今磨き上げられたばかりのように曇りひとつない、銀の丸盾だった。円周の部分にはあざやかな青で精緻な紋様のようなものが刻み込まれており、うっかりすると、実用的な防具ではなく芸術品か何かではないかと思えてくる。

 しかし、ザブームのマラギギを弾き返したのはまぎれもなくこの盾であり、そしてこの盾は、ほかならぬシロが変じたものに違いなかった。

                                ――つづく

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